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人生の大半を○○として過ごすなんて耐えられない ~星の王子さまを読み終わったあとの人たちへ~ ②

こうして私は、今から2年前、我が家の庭に猫が捨てられるまで、心から話ができる人もいないまま、ひとりで生きてきた。今でもまだ、人間としてどこかが壊れている。子どもの頃から猫と暮らしたことがなかったので、いつか庭からいなくなるんじゃないかと何日も覚悟を決められなかった。猫はまだ小さくやせ細っていて、そのままでは生きるか死ぬかの問題だった。うちには、猫の飼育のためのものが何もなかった。
  猫のケージを買って庭においた最初の晩、ケージの中の子猫が気になって、寝付かれなかった。大海原のただなかをいかだで漂流している人より、子猫は不安ではなかっただろう。
 だから、夜明けに、子猫の獣の声で起こされたときには、どんなに驚いたことだろう。
 聞こえてきたのは、こんな声・・・・
「お願い・・・面白いことをして」
「え?」
「退屈で我慢できないの・・・」
まだ夜の明けきらない早朝の靄の中で、私は雷に打たれたように跳びあがった。そうしてごしごし目をこすった。眠たい目でしっかり見てみた。するとそこには、まだ遊びたい盛りの少女のような雰囲気の小さな三毛猫がいて、一生懸命にこちらを見つめているではないか。私は、その後いくらか人間みたいに見える子猫の肖像画を描いて、満足できるような出来で描けていない。私の絵は、もちろん、輝くばかりに愛らしい目の前の猫の姿を、とても伝えきれていない。でも、私のせいではない。
 何しろもう大人でずいぶん分別がついていたし、川が龍に見えていた子どもの頃以来、絵の練習は何もしなかったのだから。
 とにかく私は、その子が突然庭に居ついたことに、すっかり目を丸くしていた。何しろ、人家は他にいくつもあって、うちが特別居心地が良さそうでもなかったからだ。その子猫は、うちにたまたま迷い込んだのではなさそうで、いつも元気に走り回ったが、その後すぐに疲れてくたくたになってぜえぜえ言っていて、死にそうなほどおなかがすいていたり、のどが渇いていたり、隣の犬が吠える声を怖がったりしていた。
 どう考えても、餌のひとつももらえないうちの庭に、住みつく理由がないのだ。
 子猫の気持ちが手に取るようにわかると、私はその子猫にたずねたかった。
「いったい・・・・・・きみはここで何をしているの」
 でも、その子は、与えられたごはんは食べ残したまま、朝っぱらから元気な鳴き声を繰り返すだけだった。
「おねがい・・・・・・退屈で我慢できないの・・・・・・」
 不思議なことに、あまりに相手の気持ちがよくわかると、ヒトは逆らわなくなるものだ。
 母猫の影もなく、死の危険にさらされいているときに、遊びたいなんてばかげていると私は思いながらも、その日のうちに、猫にボールを二つ買い与えた。だがそこで、猫を飼ったことがなかった私は、店の犬用のコーナーで音の鳴る柔らかい卵型のボールと子猫の半分ほどの大きさのボールを与えてしまい(とにかく遊びたがる猫に困り果てながら)、卵型のボールはケージに戻し、大きい方のボールを追い回しても猫が蹴り返せないことに気づいた。
「蹴れなくても平気。あなたが投げてくれたら良いの」
球技は苦手だったので、猫が望むような方向にボールを蹴り出せるのは3回に一回しかなかった。庭の砂利にひっかかって跳ねるボールの軌道は、あの川の始まりの龍の形を思い出させた。すると、ボールの軌道がジグザクであるほど猫は喜び勇んで、ボールを追いかけた。
「ちがうちがう!ただまっすぐ投げたら、鼻にボールがぶつかって鼻がつぶれてしまうでしょ。ボールが向かってくるのはすごく危険だし、このボールはちょっと大きすぎる。ボールは、追いかけるのが楽しいんだよ。ボールは反対方向に投げてほしいの。さあ、ボールを投げて」
そこで私は、ボールを何度も猫が行きたそうな方向に蹴ったり投げたりした。
猫は注意深くボールの軌道を選別して、言った。
「そういうボールはまるで弱弱しい蜂みたい。もっと違う風に投げて」
私は、もう一度ボールを投げた。
子猫はこちらを気づかうように、目を細めてにっこりすると、やさしく言った。
「ねえ・・・・・こんな普通の投げ方じゃなくて、もっと面白い感じよ。もっと弧を描けるでしょ」
私は、またボールを投げなおした。
けれどもそれも、前ふたつと同じように、ダメだと言われた。
「歳をとったコオロギみたいだよ。わたし、もっと元気なボールを投げてほしいの」
私はとうとう我慢できなくなった。お腹が空いてこっちも早く朝ごはんが食べたいというのに。そこで、なるたけ庭の奥にボールを投げ込んで、その後に猫を閉じ込めて言い渡した。
「ほら、ボールだ。君がおもうようにこの中で遊びなさいよ」
するとどうだろう、小さな気むずかし屋さんの顔が、ぱっと明るくなったのだ。
「これだよ、わたしがほしかったのだ!このボール、ずっとこんな音が鳴るのかな?」
「どうして?」
「私はずっと鳴いていたらつかれちゃうから。鳥だってそうでしょ」
「壊さなければ大丈夫だよ、きっと。君にあげたそれは触ると音が鳴るのよ」
猫は、おっかなびっくりボールを噛んだり蹴飛ばしたりした。
「そんなに、簡単に壊れないよね・・・・・・あれ!寝ちゃった」
こうして私は、この小さなお姫さまと、知り合ったのだった

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マガジンが増えて収拾がつかず、普段の日記と区別するために有料にすることにしました。 素人短編を書いていこうと思います。内容の保証はできませ…

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