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フルーツフレーバーティーを贈ります ④

アロマティカスの花言葉:「友情」「鎮静」。「鎮静」には、アロマティカスが火傷の治療に使われたことに由来するという説がある。

近くにコンビニもスーパーもない。
それどころか、山に入ると信号も横断歩道もなかった。
おまけに今はシーズンオフで夫の目当てのレンタルガーデンもやってないという。
無料で見られるという冬庭の花畑にはきっと花はまばらだ。
温室の観葉植物などホームセンターにでも行けば飽きるほど見られるではないか。
夫に偶にはお前もついて来いと半ば強引に誘われたものの、行く前には文句タラタラだった。
しかし、その奥さんは夫について『峠道の貸庭』に訪れた途端にすぐに考えを改めました。

「正月休みにどこにも連れてってくれないと思っていたけれど、こっちにもいい場所があるのね。緑の手に私も入ってみようかしら」

「緑の手」は、かつて果実町では婦人会と青年会として活動していたものが合併した町の保全新興のための町内組合だ。緑の手は会合を富居家という東京で飲料メーカーとして成功した一族の所有する山で経営されているレンタルガーデン『峠道の貸庭』で定期的に会合を行なっている。
噂には聞いていたけれど、事務所やレストランの外装や内装の雰囲気は予想外に奥さんの好みだった。まだ冬季休業の最中特別にレストランを開けてもらったので、他に客はなし。静かな雰囲気で思う存分レストランの内装を見学する事ができた。

夫の杉山がこんな九州の田舎の副町長になると聞いた時には、反対はしなかったが憂鬱だった。
東京の都市圏で生まれ育って生きてきた。結婚実家は定食屋でそれなりに繁盛していたものの、下町機室で華やかな都会の生活とは程遠い。とは言え地方に比べれば、便利な暮らしである自覚はあったので、同様に、大学まで関西の都市圏で育った夫と共に九州に馴染めるのか不安が先に立った。結婚して県庁所在地に住んでみれば、子育てにも危惧したほど不便はなかった。しかし、果実町は正真正銘の田舎だ。車の運転が苦でなくて幸いだが、さらに老いた時の不安はある。

実際には、孤独どころか夫関連の付き合いで、ここ数年目まぐるしい日々を過ごしてきた。馴染むのはあっという間だったが、地元の観光名所にすら訪れたことがなかったのだ。

木造の太い梁存在感のある吹き抜けの天井に開放感がある。窓の外は冬景色だが、店内には所狭しとハーブが飾られている。

「いいなぁ。私も鉢植えで何か育てようかな」

田舎で庭付きの家に暮らせると聞いて、何を楽しみにしていたかと言えば庭で花を育てることだった。しかし、日々の目まぐるしさに取り紛れて、庭の手入れは、夫に任せきりだった。
家の中には観葉植物の1つもない。
念願だった猫も飼っていない。
知り合いの名前が増えることだけが、その土地に馴染むということではないと奥さんは反省した。

「じゃあ1つお持ち帰りになられたらどうですか。プレゼントしますよ」

レストランのスタッフのカエルが奥さんに勧めた。夫から彼は関東からの移住組だと聞いていた。ここに住んでいる年数も自分たちと変わらないのに、彼の方がずいぶんと果実町に馴染んでいるように見えた。山奥のレストランに引っ込んでいるのに、陰気な雰囲気は無い。むしろ人生を謳歌しているようだ。自分が30代だった頃と比べて、やりたいことに邁進している彼が奥さんには眩しかった。

「枯らしちゃうのが嫌なのよね。一生懸命世話をしても、いつかは枯れるんでしょう。それがちょっと寂しいから」

「そんな事は当たり前じゃろうが。どうせ種が落ちるんだから、それで枯れるのなんのと騒ぐのがおかしい。輪廻転生。諸行無常。人間だっていつかは死ぬんだから」

「またあんたはそういう屁理屈ばかり捏ねて」

夫は彼女の感傷をいつも理解してくれない。魚を触れなくて捌けないのを小馬鹿にし、虫が苦手で蠅が家に入ってきて騒ぐたびに「蠅よりお前がうるさい」と叩き殺した蠅ごと彼女の心を引っ叩くのだ。なんで彼と結婚したのか、なぜこの果実町にまでついてきたのか、それは彼女自身にも不思議だった。子どもたち二人は社会人と大学生になったところで、離婚しても良いタイミングだったけれど、絶対に離婚すると決意するだけのきっかけもなかったのだ。

「それならハーブはどうですか。強いですよ。虫除けにいいハーブも多いです」

「へえ。そんなハーブがあるんですか?どんなのですか」

奥さんが興味津々身を乗り出して来たので、カエルは少し返答に詰まった。軽い気持ちで提案してはみたものの彼はまだ園芸について勉強中でハーブについてもそんなに詳しいわけではなかった。
そこで、助け船を出したのが急遽レストランの手伝いに駆り出されたカエルの友人の遥だった。遥は普段レンタルガーデンの管理を主に請け負っている。

「今咲いているラベンダーもありますよ。虫除け効果があるって言われています。ラベンダーはそのまま鉢植えで育てても良いですけど、地植えでもよく育ちます。乾燥させて花をポプリにするんだから、わざわざ枯らすようなものですね。お茶にもできますよ」

「へえ、ラベンダーねえ」

奥さんはちょうどカウンター席の頭上に飾ってあったドライフラワーの束の中にあるラベンダーの紫の花を見ました。ドライフラワーやポフ作りについては、貸庭のイベントで習う機会があると遥が説明した。しかし、そこでラベンダーをもらえる機会があるとすると彼女があえて自分で育てなくても良い気がした。

「花が咲かないやつでもいいなあ。多肉植物とか」

「それなら、これはどうですか?アロマティカス!」

遥が張り切って持って来たのは表面が少し白っぽく花びらの形のようでいて、葉が肉厚な鉢いっぱいに繁った植物だった。

「アロマティカスってゴキブリ避けになるとかいう?」

奥さんは以前に虫除けできる植物を買って育てようと思ったことがありました。実際にホームセンターに通って、蚊遣り草とかローズゼラニウムとかアロマティカスとかを見比べて検討して、どうしても買う決心がつかなかったのだ。

「効果のほどは定かではないですけど、そう言いますね。寒さに弱いらしいですけど、室内でもよく育つんですよ。実は繁殖しすぎて、困ってるんです。押し付けになるかもしれないですけど、一つどうですか。伸びてきたら、切って土に挿せばどんどん増えますよ。水やりもほとんどいりません」

「へえ。それは楽ちんね。私でも出来るかしら」

「多分。枯れたら、またお裾分けしますよ。本当に繁殖して困ってるので」

「ハーブなのよね?」

「ミントみたいに使えるらしいです。とは言っても、僕はちょっと料理に使うのは躊躇してますけど、表面がほわほわしてるので。今、お茶にしてお出ししましょうか」

「そりゃ、よかね。うちでもハーブティーが飲めるようにぜひよろしく。ハーブは健康にいいからね」

カエルが提案すると、杉山が上機嫌に応じた。何か話があってここに来たはずだが、なかなか切り出さずに居座っている。理想主義だが、優柔不断で人に先んじる事が出来ない。生き馬の目を抜く県議会より、腹芸のいらない田舎の副町長の方が夫にあっていると思って来たが、同じ県内でも果実町には果実町独自のルールがあって思いつき一つ通す事にも苦労しているようだった。

家でテレビ見てお茶を飲んではため息を吐いている。老後は田舎でのんびり出来るぞと移住前に浮かれていたのが嘘のようだ。
彼らの前で果実町の事をよほどわかって見せているのも虚勢に過ぎない。そんな虚勢など、恐らくこのレストランの二人にはお見通しである事だろう。

「普通のミントより癖がなくてこれはこれで好きかも。お茶にできるなんて楽しいわね。殖えて困ってるなら、一つ鉢で貰おうかしら。でも、ごはんをご馳走になって無料なんてね。そこまでいいのかしら。こんなに美味しいオムライスを」

出されたアロマティカスのお茶には乾燥させた蜜柑の皮が加えられていた。そのため香りは柑橘系でさわやかだった。

「いいんですよ。試作品ですから。それに杉山さんには、栗とか桃とか季節のものをいつもいっぱいいただいてますから」

ートラックいっぱいに。迷惑なほど、というのは言わないでおいた。笑顔の二人の嫌味に気づかずに杉山は機嫌よくお茶を飲み干した。

「悪かね。ご馳走にまでなって。それなら、町の振興の話はまた今度」

「ゴルフ場は嫌ですよ!」

それまで愛想良く応じていた遥が帰り際に声を張り上げたので、奥さんは椅子から立ち上がってそのまま動けなくなった。

「また、別の話よ。まあ、君たちの意見を聞きたいだけたい」

杉山は渋い顔をして、木戸をゆっくり押し開いて出て行った。
外は薄曇りから雪がちらつきはじめていた。
今年、いや、今年度初めて果実町に雪が降った。

「ごめんなさいね。なんか嫌なこと言ったみたいで。せっかくのお休みの日に正月早々押しかけたり。これ、ありがとう。もらっていきますね」

奥さんは二人に深々と頭を下げて出て行った。
そして、『緑の手』に奥さんが入ろうとその日のうちに連絡を取ったところ、『峠道の貸庭』の保護猫の事を知り、翌日にもやってきて、数日後に茶トラの猫を一匹引き取っていった。
家の中に一つの鉢植えと一匹の猫と奥さんは少しだけ適った夢の暮らしに旦那さんへの小言が減ったそうだ。
というより、しばらくは猫と植物に夢中で会話が減ったらしかった。
しかし、それは陰気な静けさではなく、静かな平穏だった。

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猫様とごはん
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