俳句 part.94「仏の座」
「仏の座」という植物に季節感がないことに、今週の季語に選んでから気がつきました。
大体1月の季語になると言ったって、今が盛りとばかり咲いているわけもないんですよ。
確かにたくさん芽吹いていますが、まだ蕾の段階。蕾と言ったって、草は小さいですからその赤い花の蕾には、かがみ込んで、地面に顔を近づけないと気づけません。
そこら中に咲いているのに、これを俳句にした人はよっぽど感性が鋭いんでしょうね。私は季語になると知って使ってみただけなので、俳句のなり損ないです。いや、俳句でもないですね。文章になっているか分かりません。
この季節に仏の座の芽吹きに気づくのなんて、散歩中の犬くらいのものでしょう。
道路工事に波打つ仏の座
ロストする人生標仏の座
帰り際、何も言わずに仏の座
夢は今鬼籍に入りて仏の座
石組の焚き火のそばで、仏の座
仏の座野良はどれだけ生きらるる
仏の座山は四方に川は西
疲れ果て車止めに仏の座
三十路手習ひは恥仏の座
来し方の川下にあり仏の座
手編み籠で物を買う日や仏の座
散歩犬首をふりふり仏の座
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