【短編】続・本当に怖くない猫の話 「捕獲の費用」
全く大変な目に遭ってしまった。結婚相談所に出社するのはおよそ1週間ぶりだった。猫の捕獲の依頼が舞い込んで、それに奔走していたのだ。
10キロのノルウェージャンフォレストキャットと12キロのメインクーンが逃げ出したというので捕獲を依頼された。依頼は例によって元依頼人で結婚相談所の同僚によってもたらされた。
「断ってもいいですよ。そんな大きな猫をほとんど捕まえたことはないでしょう」
「最近、何でも屋の方の依頼が少なかったですからね。まあ、捕まえられなくてもやってみればいいというなら引き受けますよ」
猫の捕獲の依頼と言うのは、成功したときの成功報酬で成り立つものではない。捕まえられなくてもその期間活動しただけの費用を請求するのだ。
ところが、行ってみると、やれ、捕まえないと、近隣住民から苦情が来るとか、やれ、体が弱ってきて娘夫婦のところに夫婦で引っ越すので、それまでに捕まえられないと困るとか泣き付いてくるので、三日間で終える仕事のはずが9日間もかけてしまった。出社する前日に、やっと2頭を捕まえたところだ。おかげで何でも屋は、休みも取れずに働きっぱなしだ。二足のわらじは辛い。
「捕まえたならよかったですね。猫さん達はそのご夫婦の下にいらっしゃるんですか?」
何せ、自分たちでは逃げ出しても捕まえられなかった猫である。依頼人も昼時になってて自分のデスクで何でも屋の隣で弁当を広げ、猫のことをすぐ聞いてみずにはいられなかったようだ。
「それが娘さんたちの所では、猫は飼えないとおっしゃるんですよ。でも、よくよく話を聞いてみると、一軒家。『娘さんたちを説得するしかないでしょう』といっても、その猫たちは自分たちの手に余ると言うんです。4年育てただけでもがんばったと。なんでも、その猫たちが1歳位の時に知人から預かるつもりがそのまま飼うことになったらしいです。まさか、それ以後も猫が成長して大きくなるとは思わなかったらしいですね」
彼らの言い分が曖昧で、それだけ聞き出すのにも苦労した。捕獲する前にもいつ逃げ出したのか、はっきり言わないかったのだ。逃げ出したばかりという話だったが、捕まえたときの汚れようからして、1週間どころか、1ヵ月以上逃げ出していた可能性もある。自分たちが引っ越すので、そんな大きな猫が周辺に逃げ出したままでは、体裁が悪いと思ったのではないか。
「爪は切っているんですか?」と聞いたら「切ったこともあるけど、もう伸びちゃってるかもしれない」と言われた。多分切った事は無いのだ。猫の保護器を1つしか持っていかなかったので、ノルウェージャンフォレストキャットを捕まえてから、キャリーに移すしかなかった。何せその夫婦が猫をそのまま家に入れるのは困るというのだ。汚れているから、家に置けないと。洗うときには、トリミングサロンに連れに行っていると言っていたが、それもどうやら怪しい。猫のトリミングを引き受ける店は少なく、それでなくても大きな猫だ。長い期間逃げていたからかもしれないが、捕まえたら、かゆくてかゆくてすぐにノミダニの駆虫をしなければならなかった。
一方で、暴れまわるものの人間を引っかかない賢い猫だったのが幸いだった。黒白柄のノルウェージャンをなんとかキャリーに移したら、ずいぶんお腹が空いていたのだろう。その日の夕方にメインクーンの猫も捕まった。
夫婦は何でも屋のために近くの高級旅館をとってくれていた。それでも居心地が良かったわけではなく、毎日ご馳走なんて食べられない。3日目からは素泊まりで、9日間、秋の晴れ渡る空の下で、猫と格闘して、汗を流したわけだ。疲れきっていたので、飼えないという話をされてから、話がつくまで、数時間はかかった。その日、連れて帰る判断をすることができただけでも自分を褒めたい。
自分の飼い猫のかかりつけ病院に無理を言って、夜に診てもらい、そこでも散々な目に遭った。爪が折れているとか、目を怪我しているとか、皮膚病にかかっているとかで、しばらく通院を続けなければならない。
「長毛の猫を外に出しちゃいけないんですよ!」
説教してきた獣医も何でも屋の責任でないことはわかっている。それでも、猫たちのかわいそうな様子に、怒りが収まらなかったらしい。とは言え、老夫婦だって話を信じるなら、自分たちで飼うつもりではなく、手に余った人に押し付けられたのだ。安請け合いでお人好しが過ぎたとも言える。
猫の診察をしてもらっている間に夜の10時までやっているホームセンターに駆け込んで、立派な3段ケージを2つ買った。それを組み立てるだけでもまた疲れたが、その日に治療して去勢した猫二頭はしばらく洗えなかった。おかげで、家がとっても臭い。
「それは本当にお疲れ様でしたね。変な依頼をしてすみません。でも、何でも屋さんのおかげでて猫たちは助かってよかったですね」
「どうでしょうか?僕がしなくても保健所の方が行動したかもしれませんけどね。山のほうの土地で海で魚をもらえるってわけでもないし、鳥を食べて生きてたみたいです」
外には向いていない猫種と言われつつ、高い狩猟能力を発揮して、がんばって生きてはいたようだ。ただ、夫婦に聞いていたほど、体重がなくて、がっしりした体格だけど、痩せすぎているなと獣医に言われた。
「大変なら私が預かりましょうか?うちなら広いですし」
「いえ、まだうちでもう少し様子を見てみますよ」
何でも屋は依頼人の親切を即座に断った。依頼人の家は確かに広いが、建物は重要文化財クラスに貴重なものだ。高級そうなものもたくさん置いてある。猫たちの種族を考えたら、そんなおうちが背景としては似合っている。けれども、今の性格で走り回らせたら、家のものを確実に壊しそうだ。幸いに、性格はフレンドリーなようで、ケージ越しにでも手を出せば、何でも屋の手をなめてくれた。今からでもそこそこのしつけが出来るなら助かる。
「そうですか。じゃあ帰りにこのままお伺いしますね。今日、買って帰るものも多くて大変でしょう。フードとか猫砂とか。割に合わない依頼になっちゃってすみません」
依頼人は一人決めしたが、正直言って何でも屋も助かった。飼い猫のネコクロとセミ猫と長老を放置してしばらくその2頭に付き合わなければならないかと思っていたからだ。3頭と5頭では世話する手間が全然違う。ましてや新入りは長毛大型の雄猫だ。
昼頃に付き合いのある保護団体に電話をかけてみた。今は保護している猫でいっぱいだそうだ。それでなくても大きな暴れる猫を急に押し付ける事は難しい。どうあっても、何でも屋がしばらく飼わなければならない。9日間かかったとは言え、高級旅館に泊まって報酬は100万円だ。割に合わないと言うほどのことでは無いと老夫婦と別れる前には思っていた。けれども、1回の医療費で10万円以上が飛んだ。ケージを買って、トリミングサロンにももしかしたら連れて行かなければならない。大きな猫の捕獲費用はもっともらってよかったかもしれない。しかし、キリのいい数字しか何でも屋は思いつかなかったのだ。
数ヶ月は持つというくらいに依頼人が、猫たちの物資を何でも屋におごってくれた。けれども、ホームセンターで買い込んだそれは実際5頭の猫たちでは1ヵ月しかもたなかった。また、その猫たちが、夜になるとムームーと夜鳴きした。何でも屋はそれで10日ほど眠れなかった。
結局は半年経って、ようやく2頭に引き取り先が見つかった。もはや自分が飼っていたいくらい情が沸いていたが、飼う手間を考えると、現実的ではなかった。仲良しの2頭を引き離すことにも心が傷んだ。オスながら友情で結ばれていた珍しい二頭だ。飼う人たちが連絡先を交換して、いつか再会させましょうと約束してくれた。しかし、それはいつになるかわからない。何でも屋も別れるときには、もう二度と会えないかもしれないと覚悟して、涙がこぼれた。
長毛の猫は外に出してはいけない。そして、簡単に手放してはいけない。情の深い猫達の信頼を裏切ってはいけないのだ。
そして、捕獲の費用は、その別れの胸の痛みを考えるとどれだけつまれても割に合わないだろう。
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