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夏バテでも肉を食べられるのは今年までかもしれない
自分では、食べられない野菜を育てている。
オクラがその代表である。
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好き嫌いで食べないわけではない。胃腸が弱いので、繊維質のものはお腹を壊してしまうのだ。一種のアレルギーのようなものである。
自分で育てている畑の野菜の成長はたとえ手を大してかけてなくても嬉しいが、美味しそうとは思えない。
熟れるまでとっておいて、トマトを丸かじりしたいなどとは思わないのだ。
野菜は火を通して食べたい。
洗わずに食べるなんてもってのほかである。
インフラの行き届いていなかった昔ならいざ知らず、庭の畑の野菜を水筒代わりにする時代ではない。
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全部食べられるわけでもないのに、たくさん実らせたくなる。
食べたくないのに、お腹が空く。
気怠いのに、料理をしたくなる。
料理をしたのに、出来上がったものが食べたくない。
お腹が空いているのに、料理をする気になれない。
もっというと、食べるという行為自体が気持ち悪くなってしまうことがある。
なんで、食べたり飲んだりしなければならないのか。
もう、嫌だ。
生きることを放棄するような思考が湧いてくる。
今年は6月の半ば頃から、真夏日が始まった。
夏の日差しは、思考を壊す。胃腸の調子を狂わせる。
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庭の空いたところに種をまきたくなる。
その種の芽生えと成長に季節を感じる。
実った作物が嬉しくて、手づから育てた野菜で料理をすることに達成感を覚え、美味しく食べられる日がどれくらいあるだろうか。
1年中、同じ野菜が庭で採れるわけではない。その野菜の中でも、私が食べられるものと量は限られている。
いつか寿命が来て、病院に入院することになったら、畑を病院に丸ごと持っていけるわけがない。
最後は点滴の栄養だけが頼りだ。
口からものを食べられる喜びを、ヒトはいつまでも味わえるわけではない。
そんなことを知りながら、精いっぱいよく食べて生きようと思えないことが多い。
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いくつもトマトをちぎっても、食べるのは、1回の料理に一個もない。
生だと半分が限界で、火を通して水分を飛ばしたらもう少し食べられる。
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グラスフェッドバターですら感じる罪悪感。
オリーブオイルですら、油だと思うと摂取するのが怖いようなときもある。
それでも、食べる。食べたらほっとする。
お腹を壊した時も、後悔しない。
不安になるのは、いつも食べる前、料理に至る前の段階だ。
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リンゴの香りがするというカモミールの種をまいたとき、本当にリンゴの香りがするか確かめるのを忘れてしまった。
カモミールは古代ギリシャ語で「大地のリンゴ」という意味だ。
アボカドは畑のバターだっただろうか。
食べ物を食べ物でたとえたのは、実際にその食べ物のどちらかを食べたことのない人に伝えるためだったのかもしれない。
「これは、こんなものだよ。さあ、食べてみてごらん」
と紹介したのは、畑を耕していたその人か、行商人か。哲学者だとしたら、どうしてそんなややこしいたとえをしてまで、まだそれを食べたことのないヒトにそれを食べさせようとしたのだろうか。
美味しいという感覚を共有することが、古代人にもそれほど大切なことだったのだろうか。
夏のさっぱりメニューのレシピを調べなくても、あらかじめ察して、登録している動画チャンネルのシェフが教えてくれる。
そんなつもりはなかったのに、作ってみたら、脂っこさをまるで感じずに食べられた。肉だけでなく、マカロニサラダもマヨネーズのまとわりつくような脂っこさを感じなかった。
「孤独のグルメ」というドラマが日本で流行って以来、一人ご飯を食べるドラマを他のシリーズでもよく見かけるようになった。漫画や小説にもなっている。
好きで見るのだが、毎回違和感もある。
食べるときや料理をするときに、そんなに目の前の料理のことを一途に考えていないということだ。
料理にスポットをあてるための演出なのだろうが、私はもっと日々思考を脱線させて雑多なことを考えている。
動画でレシピを見ながら作ったのに、タイトルにあるニンニクを使うのを忘れた。
なんのハーブを使っているかも、聞き損ねた。
概要欄に詳しいレシピが書いてあるのだが、確かめるのが面倒くさくて、庭から適当にタイムを取ってきた。茎ごとばっさり。
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いい加減に作ったら、良い加減になって美味しかった。
焦げたのも味わい。身体に悪いとか、考えない。
付け合わせのししとうは、一つしか食べないのだが、彩りについ焼いたもの全部一皿に乗せてしまった。
タイムの茎は案の定、ナイフで切れなかった。
薄くスライスしたレモンも全部食べたら、胃腸が傷つくと思い、残すしかない。
皿に盛られたものは全部食べろというのが昨今の風潮だが、自宅の庭の土に還すのだから許してほしい。
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クロワッサンを焦がしたのは痛恨だった。
美味しいと感じたのは、工程はシンプルでもきちんと自分で手をかけて作った自負があるからだろうか。
詰め物料理は切った時に、中から違う色合いの食べ物が出てくるのが目に楽しい。鶏肉の皮の下に挟んだだけなのに、きちんと中に閉じ込められたようで、切った時にレモンとタイムの香りがして、食欲をそそられた。
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牛乳を入れたら、真っ白になって何が何だか分からなくなったが、ドリンクは庭で摘んだミントのお茶だ。
レモンを入れて、牛乳を入れて、蜂蜜も淹れるはずだったが、蜂蜜を入れたくなくなり、苦いままで飲むことになった。
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ドラマでは一つ一つの料理に思いをかけるが、私が普段料理をするときには、食材の余りを気にして、何品か同時作業で作ることが多く、味付けより手順のことばかり考えている。
肉を切ったまな板でレモンを切るのが嫌なので、レモンを先にスライスして、そうだ庭からミントを摘んできてレモンティーを作ろうかなどと考えるのだ。ミントを摘むのはタイムを摘んでくるついでだ。
フライパンで肉を焼いている合間に、庭でハーブを摘んで来ようなどと大雑把なことをしているから、しょっちゅう料理を焦がしてしまうのだろう。
火から目を離してはいけない。しかし、うちは、IH。料理の火加減は、ガス火より融通が利かず難しいが、センサーがついているので、火事になる心配はない。
庭でハーブを摘みながら、クロワッサンはどのタイミングで焼こうか、などと考えている。
眺めやる庭は草ぼうぼう。トマトの周りだけ今朝草むしりをした。
ジャガイモを掘った場所には、次に何を植えようか。
風が生ぬるいのは、夕立が来る前触れだろうか。
畑に水をまく必要はなかったか。
料理をするときに、料理のことばかり考えないと言ったけれど、気持ちの穏やかな日には、やはり食べることや生き方のことをなんとはなしに考えている気がする。
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