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東と西の薬草園 ⑦-1「薬草とハーブ」

四月。『峠道の貸庭』の職員と客たちは、庭師の野人から宿題を出された。自分の理想の庭をデッサンするようにというのだ。手書きでなくても構わないが誰が見ても色は分かるようにとのことだった。
4月中にほとんどが提出を終えたが、庭の管理人たる遥とかえるの二人だけ5月になっても何の絵も描けていなかった。絵が苦手で線描で赤や緑と書いて提出した人がいたので、遥もそれで出そうとしたら、「ハルさんな絵は描ききるじゃろうもん」と決めつけられてしまった。落書き以外に絵を描くのは子どもの頃以来だが、確かに遥は特別絵が苦手と思ったことはない。食い下がらずに素直に従うことにしたが、何を描けば良いかどうしても思いつかなかった。

植物を知らないと植物の絵は描けない。
きちんと整枝され、美しいガーデンに立つ木と自然に任せた木とでは枝の伸び方が違っている。
ガーデンの計画を立てる上では、まず高木の植え付けで骨組みを考えなければならないが、どんな種類の木を選んでどんな庭を作りたいか考えておかなければ、庭に立つ木の枝を全く描けずに、葉っぱで緑に塗り潰して終わってしまう。
もちろん、木の種類すら絵を見てわからない。
高木の下の中低木の花の色も決まらない。
結果、ただの緑と茶色の庭になってしまう。

ロッジを借りて木を植えるのは良いが、計画から考えるのが大変になる。また、木が大きくなってからレンタルをやめると、その木の抜根の費用は『峠道の貸庭』の経費としてのしかかるのを忘れてはならない。

まずは、レンタルガーデンのポタジェの庭に、シンボルツリーも何も木を植えないことが肝要だ。10年計画ではなく、3年で完成する庭を目指してほしいと野人は客に説明した。

遥は野人の言うことをノートにメモして黙って聴いていた。遥の出番は何もない。遥が客とディスカッションすれば、遥より園芸に詳しく熱心な客人からの質問で野人に教えを請わなければならず二度手間になるだろう。
質問は遥が進行及び書記として書き残し、後日調べて答えることになっていた。調べた結果が合っているかは野人にごじつ聞いて答え合わせをする。

レンタルガーデンが客で埋まってひと月以上遥は決まった時間以外庭に出ることがなくなった。受付や調べ物やイベントの準備など事務作業で日中ほぼ身動きが取れないからだ。

高齢の野人に週5日富居家の庭で朝から晩まで作業させている。
その状況の解決には人手が必要だった。
しかし、人材はすぐ育たない。即戦力は遥と考えが合わない。農協の人に叱られるのが嫌だから、もう窓口は霞に便りきりでその事で霞の負担が増えていることはわかっていた。

「給料もらって庭遊びに来ているようなもんだよな」

パートの3人の女性にそんなことを言ったのは、やはりパートの60代の多沼という町外から来ている庭師の男性だった。凍りついた空気をどうしたらよかっただろう。

田沼は2週間で辞めてしまった。

「確かに今のままだとパートの人と客の区別がつかないよ。接客対応のマニュアルを作った方がいいかもね。あくまで客を手伝うことがメインで、ガーデニング談義に花を咲かせていい立場じゃないんじゃないか」

霞にそんな風に言われて、レンタルガーデンで働く職員のマニュアルなんてものを作ろうと遥は試みたが、3日経っても1ページも埋まらない。

頭では考えているのだが、日が落ちると気づいたらすぐベッドの中にいて机に向かえないのだった。

「夢のように楽しそうな暮らしですね」

受付をしてそんな言葉をレンタル待ちの客から聞くことも億劫だった。
レンタルガーデンは拡張する予定だが、ガーデニングに向かない冬の時期に工事をすることになっていた。まだ1年は待たなければならないが、イベントに参加した年配の人は残りの人生が短いと思うとその1年が酷く待ち遠しいらしかった。

説明する遥は自分の暮らし振りを客に教えている。庭で花や野菜を育てて、毎日ハーブティーを飲み、薬草で温浴したり、ポプリを作り、ドライフラワーを飾り、ガーデニング好きの人とSNSで繋がって山の中で暮らしていても夜寂しいことはない。むしろ朝は鳥の声で騒々しく、ついには家の前に餌台を作り、毎朝パン屑や果物などお裾分けするようになった。
パンは友人のかえるの手作りである。

「絵本の中の暮らしみたいですね」

説明しながら、遥も客と同じ感想を持つ。けれども、最近は遥の体調は絶不調だ。病院に行ってみたけれど、どこにも異常はないという。

なんだろう。ストレスのない生活をしているか、或いは疲れても薬草やハーブですぐ疲れを取る方法を知っているのに酷く疲れるのだ。

(庭を放置して一人きりになれるところに旅に出たいな)

山の中で一人暮らししているのに、そんなことを思った時には自分でもどうかしていた。けれども、相談に乗ってくれたカエルも似たような気持ちだとため息をついたのだった。

二人は翌日のイベントに備えて、例の如く準備していた。単純作業なのと、他のメンバーが忙しく、作業は二人だけだった。遥が富居家から借りているロッジで当日の進行確認をしていたら、肝心の物の準備を始めたのは夕方近くになってしまった。

「身体に良いことばかりしているはずなのに、なんだかずっと疲れている気がする。貸庭のお客さんが楽しそうにしていても、嬉しくなくて、早く日が落ちないかなと思ったりするんだ。まだ、慣れてないからだと思いこもうとしているけど、身体がついていかない。だんだんと慣れていく未来が見えないんだ。自分で選んだ道なのに、1か月でへこたれて、自分でびっくりしているよ。やりたいことや理想はたくさんあるんだけどね。でも、ハルさんが同じ気持ちなら、お互い傷を舐め合えるからほっとした」

「カエルくんがそう言ってくれると、私も助かる。ヤマさんもカオさんもなんか忙しく張り切ってるから、ちょっとペースを落とさないとついてけないなんて言えなくて。二人より私の方がずっと仕事に割ける時間があるんだもん」

明日の山菜採りのイベントのしおり作りをしながら、漫画家の湧水デザインの明るい表紙を見ても気持ちは晴れなかった。
数十人分と数が少ないから、印刷所に頼むことはしなかった。作りながら、カラー写真を見てしっかり山菜を見分けられるよう覚えようと思うのだが、遥の頭には取るに足りないことばかり占拠して、山菜の名前がちっとも頭に入ってこなかった。

「師匠は明日半日山歩きして大丈夫かな。結構歩くと思うけど」

「じいちゃんは俺より元気だよ。ただ、張り切り過ぎないように、山菜の確認はここに帰ってきてからってしとこうか。そうじゃないとじいちゃんがあちこち教えて回るだろうからね。レンタルガーデンが出来てから人に教える喜びに満ち溢れてるみたいだけど、最近口が回らなくなる時は、疲れているんじゃないかって思うんだ」

「疲れないはずがないよね。でも、それなら"山菜は各自摘んで間違いがないかは後で『峠道の貸庭』に着いてから確認します"ってしおりに書いておかないと。印刷し直して、今からしおりを作り直す?」

「いや、たった三十冊くらい手書きすればいいよ。それにしても、来年は山菜採りするなら考えないと。同じ場所に1度に100人で行ったらとりつくしちゃうからね。タラの芽とかはここで育ててもいいのかもしれない」

「タラの芽の他は?GWとか4月、5月に採れる山菜って?」

「さあ、蕗のとう・・・はもっと早いか。それぞれが採れる時期に毎週行くとか?それなら分散するかな?今日は今から山菜の種類を改めて調べ直す気力はないな」

しおりを作り終えると、かえるはさっと有り合わせで夕飯を作ってくれた。富居家の台所同様、遥のうちのも勝手知ったるものだ。
作り置きのコッペパンにハムとレタスを挟んでマスタードとマヨネーズで味付けしたサンドイッチ。飲み物は遥が早摘みのドライイチゴでミルクティーを淹れた。

いつも癒される酸味の効いた甘いイチゴと牛乳の優しい香り。けれども、食べている時は幸せな気分だったはずなのに、食べ終えると何かお腹の中にモヤモヤしたものが残り、食事しただけで疲れが増したという気がした。

「ー明日の準備がめんどくさいから、じいちゃん連れてきて、こっちの空いているロッジに泊まろうかな」

「布団はあるけど、明日の確認は私がするよ?」

「いや、明日1日移動はなるべく少なくしたいし、朝少しは貸庭の手入れもしたいしな。午後からは何もしたくない。じいちゃんを連れてくるよ」

「わかった。布団の準備はしておくね」

「うん。ごめん。よろしく。湧水さんには俺から連絡しておくよ」

霞と香は明日は途中からの合流だ。それぞれ仕事が忙しく、あれだけイベントに登山をしたがっていた二人が待ちぼうけなのは皮肉なものだ。山菜採りの後は簡単な保存食料理を参加者で作ることになっていて、そこから二人も参加する。

山菜採りのコースは一周6キロ程度。それなりに体力がある人しか参加出来ない。遥たちはまだ30代で主催者の側だから体力に自信がありませんなんてなかなか言えないが、どうにも気持ちが上がらないのが遥も自分で不思議だった。野草は好きだから、山菜採りはしたいのだ。しかし、その後に来る疲労を考えると不安だ。翌日休んでおきたいが、休日は貸庭の客の誰かしらにランチに誘われる。それが何だか億劫だ。

(断ってしまおうか)

素直に疲れているから遠慮するといえばいい。しかし、ランチに参加しなければ疲れが取れるかといえばそうでもない。

まだまだ、慣れないだけだから。

遥は1年で辞めてしまった新卒の社会人1年目の会社員時代を思い出して、その日の夜もここ一か月の常で寝つかれなかった。

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