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東と西の薬草園 9-①

峠道の貸庭もだんだんと秋らしい風景になった。赤とんぼが8月の中旬から飛び始め、夏型の大きな揚羽蝶も黒いのやら、黄色っぽいのやら全種類いるんじゃないかというくらい飛んでいる。

何より貸庭の山に情趣を加えているのが、9月にできたばかりの新しい事務所だ。80歳を過ぎた庭師の野人は一級建築士でもある。

特に凝ったデザインには見えないのに、壁の質感や屋根の形などが山の風景に似合っている。毎日事務所の前に入る度に遥は立ち止まって景色を眺め、まるで妖精の森の家に招待されたような気分に浸った。

「髪を切りに行くんだけど、ハルさんも行かない?そろそろ髪を切りたいって言ってたでしょう」

赤石みどりの誘いに乗ったのは、ちょうど遥も県外に出る用事ができそうなタイミングだったからだ。そうでなければ、一年中髪を切ろうかなと言いながら、果実町に帰って4年も伸ばしっぱなしにしている髪を本当に切りはしなかっただろう。

地元の散髪屋を訪れるのは、10代の子供の頃以来だった。母の行きつけのその散髪屋は、今はもう名前が変わっていて代替わりしたことを思わせた。しかしながら、従業員は20年前と半分も変わっておらず、店名を変えただけだったのかオーナーは20年前と変わらない細身のスタイルで若々しかった。眼鏡をかけてなくて、顔形がわからなかったから、遥がそう感じただけだったのかもしれない。内装が変わったはずなのに、まるで20年前にタイムスリップしてきたかのような気分になった。

「どのくらい切ってないの?」

遥はオーナーに髪を切ってもらうの初めてだった。子供の頃はいつも別のスタッフに切ってもらっていた。その頃のスタッフさんには、「中学生の頃ぐらいに来てたよね」と声をかけられた。

遥にはオーナーの問いかけが、「どのくらい店に来てないの?」と言ったように聞こえた。

「もう20年くらいですね」

そのため、そんなふうに答えて、髪を切り終わった後に「髪を切るってなかなか勇気が要ることですからね。でも、すごく似合いますよ」と大げさに褒められて、違和感を覚えて、帰りの車の中でようやく、相手の言葉を勘違いしていたことに気がついた。背を覆うほどに長かった遥の髪は、首の中ほどまでに切り揃えられ、ふんわりと車内のクーラーの風に靡いた。

「それにしても、いろんなことが重なって、びっくりしちゃうわ。髪でも切って気分転換しないとね。地域の活性化は役場の使命かもしれないけど、一方的に勧められるのは困ってしまうね」

先月、レンタルガーデン「峠道の貸庭」で働き始めたばかりのみどりはどこか人ごとのように遥に同情するように言った。
生まれも育ちも東京で、還暦になって田舎に引っ越してきたのは、果実町をついの住処と覚悟を決めた上ではあっただろうが、まだまだ田舎の風習ややり方に戸惑うことも多いようだ。人生経験の多いみどりですらそうなのだから、同じく関東育ちで貸庭のメンバーのカエルと香が最近怒りっぽくなっているのも無理もない。2人に感化されているのか、いつも穏やかだった野人も最近は、感情の起伏が激しい。年齢のせいもあるのだろうか。
後から入社してきた湧水とみどりの方が落ち着いていて、遥は2人の冷静さに助けられていた。

あまり物事を長く深く考える質でない遥は、みどりが口にするまで最近の懸案事項を頭の隅に追いやってしまっていた。

梅雨ごろだったろうか。どうしてもここで働きたいという夫婦がやってきた。それもその日からすぐにでもという。フルタイムが良いそうで、とりあえず三日間試用期間を経てからということで落ち着いた。

だが、どうしてもその夫婦を雇うべきではないと野人が譲らなかった。
根性が悪いから嫌らしい。
野人が他人について批評するのを遥は初めて聞いて戸惑った。
2人の性根がどうなのか、たった3日でわかるものだろうか。とは言え、3日の使用期間で判断するといったのは遥だ。

申し訳ないけれど、希望者が他にもいて、その人に決まったとお断りした。

ところがだ。

その夫婦が、最近富居家の山の入り口の麓で飲食店を始めたらしい。飲食店のみならず、宿泊もできるロッジがあるそうだ。
農協が勧めていた宿泊公園施設の管理者になったようだ。

夫婦について話題が出ると、野人は2人の採用を反対した理由について重い口を開いた。

「あん人らはね。カエルくんの料理に口出ししたとよ。あーしろ、こーしろって、全く何様のつもりか。こんな町外れの山に、そんなに飲食店はいっぱい作っても、お互いつぶし合いになるだけよ」

そんな風に野人は怒っていた。

さらに、事件が起こった。
野人の許可を得て、中学生がガーデニングの一日体験にやってくるという。
レンタルガーデンはレンタルしている人たちのものだ。見学する事は可能だが、勝手に他人に使用させるわけにはいかない。野人もそこは分かっているはずだ。しかし、野人の許可を得たと言われると、野人に本当にそんな許可をしたのかとは聞き辛かった。

野人は遥たちがすることに基本的に意見は言わない。決まった事にアドバイスはするが、いつでも協力者だった。貸庭を運営する立場に回ろうとしたことがないのに、本当に杉山の提案にうなずいてしまったとしたら、その時判断能力が鈍っていた可能性がある。庭作業の腕は落ちていないものの、夏が終わって野人はぼーっとしている時間が増えた。耳が多少遠いせいもあるのだろうが、呼びかけにも返答をしないことが増えた。
カエルはあれこれ理由をつけて、祖父を病院に連れて行こうとしたが、野人は一年に一塊の健康診断で充分だと譲らなかった。

結局、中学生の体験学習は、イベントをやることになってしまった。お風呂の肌ケアセットと銘打ったのは、何も女子中学生に向けてではない。遥自身は、肌ケアなどにさほど興味は無いのだけれど、今は男性も肌トラブルを気にするという世間の情報を思い出したからだ。遥の気分としては、男性目線である。遥も肌が弱いから、化粧水等は仕方なくやっていた。今はデンタルガーデンでヘチマを育てて、ヘチマ水などで以前より楽しく肌の手入れをしているけれど、それでも面倒だと思う事はある。カエルは草まけがひどく、遥よりも肌が弱い。しかし、遥よりも、肌ケアを怠りがちだ。周りに心配されると、湿疹を隠すということが多い。
この際だから、女子がいるときに、男子にも肌ケアについて学んでもらおうと思ったのだ。

実際、イベント当日はうまくいった。まるで就職活動する前の学生が化粧を学ぶように、皆、熱心に話を聞いてくれたのだ。カエルが肌の手入れをするのが好きではないと、実体験を交えて話したのも良かったのかもしれない。カエルはイベントになると張り切るので、これまで興味がなかった肌ケアについて、事前に十分に学習して臨んでくれた。

ところが、翌日になってハーブ石鹸やミント水を使った中学生の1人がかぶれてしまったと連絡が入った。希望者のみの体験学習と杉山は貸庭の遥たちに伝えていたが、学校はそのことを十分に子供たちに説明していなかったらしく、親は強制の学校行事と思い込み、学校の管理不行き届きだとご立腹らしい。遥が謝罪すべきなのかと慌ててしまったが、その日のうちに学校が十分にお詫びをして説明するということになった。

しかし、その日にかぶれた当の本人がたった1人で逆に貸庭に謝罪に訪れたのだ。学校帰りに、制服のスカートのまま、山道を10キロ以上自転車で登ってやってきた。髪が汗で額に張り付き、9月の下旬になっても、最高気温は連日30度を記録していた。熱中症になっては大変と、慌てて妖精小屋と周囲に呼ばれている事務所に招き入れて、大好きだという梨と栗のフルーツフレーバーティーを1杯飲みほした途端に、少女は、堰を切ったように話始めた。

「お母さんは何にもわかってくれないんです。私はここみたいな綺麗なお庭が作りたいのに、ウチは農家なんだからには作り何か自分の庭ですればいいって言うんです。農作業だってかぶれるのに!それは自分ちの庭でやりたいけど、おばあちゃんが畑をやっているし、そんなにスペースもないんです。ここに連れてきてくれたのだって、たった1回きりだったし、庭師になりたいって言ったら、女の子がそんなことするなんてありえないって怒るんですよ。イマドキ古くないですか?ガーデニングなんて、もう大衆の趣味でしょう」

語彙の高い少女らしく、言っていることには筋が通っていた。とは言え、少女が尤もらしいことを言っているからといって、家庭の事情もわからないのに、おいそれと、うなずいてやるわけにもいかない。
遥はひたすら聞き役に回って、最終的に「今日は迎えに来てくれるらしいから、おうちの人とよく話し合ってみて」と、月並みのことしか言えなかった。一瞬だけ、10月のイベントに親子で無料招待をでもしようかと思ったが、招待すれば絶対来なければいけないと思って親子喧嘩の火種になるかもしれないとやめておいた。

それでも、夕暮れの貸庭を眺めながら、「冬になる前にもう一度この庭に来たい」と庭を睨み付けるように呟いた少女の顔が数日以上、頭にこびりついていた。

そして、少女の家庭の問題の解決策にはならないかもしれないが、貸庭にわざわざ来なくても、貸庭を楽しめる1つの案を思いついた。

「駅に貸庭のフォトパネルをおいてもらえないかと思うんです。花冠はドライフラワーで作れば、冬でも楽しめるでしょう。どのくらいの頻度でフォトパネルを作り直せるかわからないけど、花冠を100円とかで駅で売ってもらえば、フォトパネルを四季折々に新しく作り治せる資金にならないでしょうか?フォトカードも考えたんですけど、とりあえずは新しい手間や資金がかかりすぎないところですぐにできることをしてみたいんです」

妖精の事務所でテーブルクロスを百均で買って新しくして、丁寧にフルーツフレーバーの紅茶を淹れて、貸庭の運営メンバーの前にカップを並べて改まって話す時、遥はなんだか緊張した。殺風景な会議室で話すよりも、中央に花瓶を置かれた妖精小屋の中で話す方が何か重大なことの語り部になったようで、みなの視線が気になった。
まるで、外の庭の花々に監視されているような気持ちだ。

「とってもいいと思う。庭を見に来てくれた人やレンタルしてくれる人たちが勝手に写真を撮るからかな。フォトスポットのことを全然考えていなかったのが、自分でも不思議だわ。今は、こんなに写真映えの時代なのに。ハルさんにSNS投稿を提案しておいて、そこから閲覧が増えるような解決策を何にも考えてこなかったのが恥ずかしい」

はるかの提案には、誰も反対しなかった。一方で、香はなんだか反省していた。SNSの更新は1週間に1回でもいいとみんなで取り決めており、かといって頻度に明確な基準もなかったから、思っていたほど、遥に作業上の負担はなかった。しかし、閲覧数の少なさは気にしていた。野人の庭は素晴らしいのに、良さが伝わらないのならスマホではなく、一眼レフカメラでも買わなければいけないかと思っていたところだ。しかし、それだと今よりもずっとSNSの更新に負担がかかる。

フォトスポット作りは、貸庭のSNSの宣伝に役立つだろう。パネルの裏にQRコードをつける事で話はまとまった。

自分自身を写さなくてもいいように、人形を置くのも悪くない。ただし、果実町のゆるキャラは、お花の似合うキャラクターではなかった。

「僕の漫画のキャラクターのぬいぐるみを置けないか、出版社に聞いてみるよ。花の妖精に花冠を乗せてもいいよね。花っぽくないみどりの妖精がいいかな?新たにキャラを作ろうかな」

明るい色のベンチに人間の大きさぐらいの大きさのぬいぐるみを置こうと湧水は大乗生で創作意欲を刺激されたようだった。

1週間、貸庭の作業には出てこなかった。その間に、出版社と話をつけてくれて、ぬいぐるみの製作についてすぐに許諾が下りた。ちょうど出版社も新たなグッズ販売を考えていたところだったようだ。これまではガチャポンで回すソフトビニールの小さな指人形くらいしかなかった。

そうやってフォトスポット作りの計画と毎月のイベントの準備等をこなすうちに、あっという間に遥が東京に出張に行く日が来た。

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猫様とごはん
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