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我が家の庭の風景 part.146「今、できること」

 明かりの灯らない家のように、殺風景な庭にしたくない。散らかっているから温もりが感じられないなんて決めつけていいだろうか。冷血漢の手も温かい。整わない心と庭を抱えていても、幸せな暮らしはあるのではないだろうか。我が家の庭は、私の心の心象風景だ。
 内省は必要だ。けれども、気に入らない庭で自分の欠点をあげつらっても心は荒れ果てるばかりだ。自分の欠点に気づかないまま暮らす日があっていい。
 相変わらず、今年の冬は暖かい。日中の日差しの下で、庭は過ごしやすく、いい気分の正月だった。元旦も霧が晴れたら快晴だった。霧が晴れたら、かび臭い庭が現れたなんて思ってはいけなかった。料理に使って、残った皮を洗面器に浮かべて、柚子で足湯をする日々。毎日皮をごみ処理機にかけるのは面倒だ。中の容器を毎日洗うには、冬の水道水は冷たすぎる。ゴミ箱に毎日捨てるには、無駄になる柚子皮が多すぎる。柚子皮をふたたび冷たくなった水ごと庭に打ち捨てる。散らかった庭がますます散らかってもいまさらだ。外の猫たちは柚子とかレモンとか柑橘が鈴なりの庭にやってくるのだ。今更、猫に柑橘は気の毒だなんて思っても仕方ない。
 私は猫にそれほど気を遣えない。気が利かず、掃除も下手、おおざっぱで、人の気持ちにも猫の気持ちにも鈍感だ。そんな私を許す自分になれなかったら、私は猫なんて飼えない。完璧でない自分を許せなければ、猫のことにも庭のことにも自分のことにも悩んでばかりだ。
 庭と猫と自炊の記録を昨年は毎月YouTubeに1本投稿した。この気まぐれもいつまで続くかわからない。反省はしても後悔はしない。我事において悔いず。いや、悔いまじくらいにしておこうか。
 霧が晴れて、また日が暮れて霧が暮れる頃になって私は自省を始める。庭の景色は暗くてもう見えない。見えないでいれば、欠点をあげつらわずに済む。薄暗がりでは猫が見ている。真っ暗な深夜になってやっと庭と私が隠される。
 自分が隠されているような安心感があるから、私は深夜起きているのかもしれない。

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猫様とごはん
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