落とし物探しと「あきらめない」努力の方向性

車のカギを落とした。しかも旅行中に。
最後に車を停めたときから5日余り、鍵はカバンにしまいっぱなし。
方方に問い合わせるも、空港や宿泊したホテルには届いていない。
警察にも問い合わせて届出を出したけど、それらしきものは届いていないと。

これ、きっと街の中で落としたんだ。
しかも、スペアキーもない。
さらに、盗難防止の機能がついてるとやらで、どうやら、最悪鍵ごと取り替えなければならないかもと。

絶望的だ。
どんだけお金かかるんだ・・・。

きっと、もう見つからないだろう。
だから「見つからない」ことを前提に考えていた。

だけど、最後に、まだ連絡していなかった交通会社にも聞いてみようと
電話してみたら。
なんと、そこに、あったのだ!!!

ビンゴー!!!!

なんでもっと早く連絡しなかったんだろう。
たぶんそれは、
「きっとそこの可能性は低いだろう」と思い込んでいたから。
さらに、いろんなところに連絡して、疲れてしまっていたから・・。

落とし物は、ないところをどれだけ一生懸命さがしても、絶対見つからない。
だけど、あるところにいけば、ちゃんとある。
でも、そこにたどりつくまで、あらゆる可能性を考えて、そこに問い合わせることをし続けることは、忍耐がいることだ。
私みたいに、途中であきらめてしまう人は、きっとたくさんいるだろう。

落とし物を探す努力は、あきらめないで、可能性を探り続けること。
ないところを何度も探しても仕方ない。
移動した経路とそこの落とし物を管轄するところを、「くまなく」問い合わせること。
「きっとここだ」「きっとここではない」という、自分の思い込みにまどわされないこと。

何かが「見つからない」ときの、努力の仕方も、こういうところが大事なんじゃないかな、と。
「あきらめない」ことの方向性を、教えられた出来事だった。





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