伝えられずに後悔するよりはきっと。
「思ったことはちゃんと伝えるんだ」
「いつどんなことで相手がいなくなるかなんて、考えたくないけれど」
「そんなことばかり考えてもキリないから、とにかく」
「恥ずかしくても、伝えること」
そう、誰かが言った。
人がいつどうなるかなんて、誰にも分からない。
かく言うわたしも、明日を確実に生きてる保証はないもの。
「10年後?生きてるかわかんないよ」
1年間、耳にタコができそうなほど聞いた言葉。
未来のことを話すのは必要不可欠だったから、慣れてしまっていたけれど。
「やだもう、お元気でいてくださいね」
なんて、定型文を編み出してみたりしてた。
「ええ、わたしも明日生きてるかわかりません」
と、心の中では密かに思っていた。実は。ごめんなさい。
わかっているつもりでいたんだ。
でも、自分のことまでで止まっていて。
命は有限。
いとも儚い。
いつ訪れるかも分からない静寂は誰にでも待ち受けているんだった。
わたしだけじゃない。
当たり前だけど、目を背けてしまっていること。
鈍器で頭を殴られたような、心なしか目を覚ましてもらったような感覚。
だから、かけがえのない時間をどう過ごすのか。
どう、過ごしてほしいのか。
そして今のわたしは、どうしたいのか。
思考を巡らせることをやめることは、全てを諦めることだろう。
それは自分に対しても、相手に対しても失礼だろう。
だから、先延ばしにしていたことにやっと区切りをつけた。
少しの曖昧さは残してしまった気がしているけれど。
伝えられた、と思う。少しは。
怖がりで、考えすぎて、勝手に沈んで、遠慮して、優柔不断で。
全部、自分の嫌いなところ。
ちゃんと思ったことを正直に話すほんの少しの勇気を、持てた。
うまく切り出せなかったけれど、やっと話せたなって。
いつも少しずつ自分に絶望して、自分のこと嫌いになって、
すり減っていくのをわかっていながら遠慮ばかりしてた。
考えすぎって言ったらそれまで。
でも、選択をしたのはわたし。
尊い時間だったと思う。
決して無駄なんかじゃなかった。
無かったことにはしない。
本当は後悔だらけだよ。
起こることには全て意味があったとしても。
きっととてもゆるやかに、わたし自身も変わってるんだろうな。
「ありがとう」
こんなわたしと一緒に過ごしてくれて。
たくさんわがまま聞いてくれて。
「ごめんなさい」
大人になりきれなくて。
自分勝手で自分のことに精一杯で。
ああ、ひとつ伝えられなかった。伝えなかった。
言葉にすると、無責任かなと思ってまた口をつぐんだ。
「幸せになってください。どんな形でも」
ちゃんとご飯食べて、よく寝て、健やかでいて。
最初から最後まで、優しかったあなたへ。
誰にも見せない手紙にでもして、これだけは大切に仕舞おうかな。
楓/紅葉
花言葉は「美しい変化」「遠慮」だそう。
あぁ、もう。これしかないじゃないか。