ズームを引いて、高い視点を使う
2023年5月18日 光の部屋 パート2
わたしはさ、こうやってじぶんが中心に(立ち始めて)
いつの頃だったかわからないけれど、
ワーク自体がなんとかじゃなくて
このワークで何を起こしてるのかが見えるようになったんだよね。
一つ一つの意識する
(例えば)光の磁場をみましょうっていうのとかが、
知ってるところで、何を起こしているのかが分かるようになったのよね。
そこから、やっぱりいろんなイマジネーションが降りてくるように
なったかな。
そしてやってみると、やっぱりそれが何を起こしているのかが分かるし、
じぶん自身にも大きな許可証になっていくし。
そういう視点がもともとのわたしたちの視点であるのよね。
現実を感じていたり、ストーリーの中に入っていくときって、
それにまみれた状態だから、
ズームを引いて、そこから抜けたところでやらない限り、
ほんとに抜け出すことはできないんだよね。
絶対そうとしか思えない。
あの人のせいでこうなったとしか思えない。
じぶんの作り上げたストーリー、だってまみれてるからね笑
で、それを正当化しようと頑張るじゃない?
ほらね、やっぱり私の思ったとおり、ほらね、っていうような見方を、
なんかこうやっぱり、そういうのを引き寄せるのよね。
じぶんのちからを証明するようなものを引き寄せたりするんだけど、
ズームをそこから引く必要があってさ、
引いて初めて、
ほんとに選んでたこととか、ほんとにやってたことっていうのが見えて、
表現を変えると、周波数よね。
どんな周波数を使って、どんな信念を持っていて、
どんな在りかたでそれを起こしていたのかっていうのは、
やっぱりズームを引いて高いところから見ないと、
それをそういう風に見えないのよ。
そういう風に見えないの。
なんかを掴まえて、捉えたっていうことじゃなく、
高いところからしか、
あぁこれが私の信念だったのだなとか、
これが私の在りかただったのだなという捉えかたができないわけ。
で、そういう捉えかたの視点を使えない限り、
本当の意味でそれを手放すっていうことができないわけ。
ここから抜けないのよね。
だから本当に統合する、本当に光に戻すっていうことは、
ズームを引いて、そこのまみれているところから離れて、
高い視点が使えるところに立って、
今まで長らく使ってきた周波数だったんだなとか、
信念だったんだなっていうのをみれるところでやらない限り、
そこから本当に抜けるっていうことをじぶんに許さないんだよね。
そういう意味で、真実の場所、じぶんと100一致する場所、
ハイヤーセルフとつながる場所、もう表現は何でもいい。
でもそのポイントに立つことがすごく大事なこと。
そこでしか、ほんとにそれが起こらないからね。