形はただの象徴
2023年6月15日 光の部屋 パート2
そうね、明日か夏至の日にはやれるだろうねぇ。
あれはほんとに新しい段階なんです。おっしゃるとおり。
(ゆきとし) ね、なんかほんとにそれを感じて。
あ、空気変わったみたいな。
そう、そのくらい意識の自由さを取り戻していて、
もともとピラミッドってそういう装置として使われてたものなのよね。
次元移動として使われていたもの。
だから、経由地点みたいなもの。
エネルギーの経由地点、意識の経由地点、
そうやって、いくつもの経由地点を通りながら、
今ここの今のじぶんっていうものにフォーカスしているんだけど、
それが光の身体、意識、を通じて、今使えるようになったんだなって、
あのワークが降りてきた、先週か、じぶんでやってみて、
あ、ほんとにそうだなっていうのがあって、
あのワークって、1個目と2個目とセットになっていて、
1つ目のはほんとに
私たちは、夢を見て、イリュージョンを信じていたから、
この形が豊かさだとか、この形が幸せだとか、ほんとに学んだもの、
これこそ豊かさの形であり、これこそが幸せの形であり、
っていう限定的なもの。
そして自分がまだそれを映し出していない。
まだそれに至っていないっていうのがあるとき。
ずっとそれにエネルギーを送り続けてる。
これを引き寄せたい。これを引き寄せたい。これを引き寄せたいって
言いながら。
例えば象徴的な豊かさ以外でも、
目を醒まして生きるとはこういうことだっていうのもあるんだよ。
誰かを見て、あ、目を醒ますってこういうことなんだ。
こうならないと目を醒ますって言わないんだ。っていうような。
それも一つの形で見て、
じゃあ自分がそれと比較してじぶんがそうではないっていうときに、
まだ私はそうなっていないっていう使い方をするわけ。
だからそれ自体も外していくとき。
なんかね。高い意識とつながっていったとき、
イエスキリストとか、ブッタとか、そういう存在たちとの
コネクションが始まったと同時に、
それと同時に、この世界に名前を残していない存在も
たくさんいることが分かったわけ。
だから、ただそれが象徴として有名になっていたり、
話として残っていたり、
それも結局はほんとうのじぶんにもどっていくための布石みたいな
かんじでのこっているんだけど、
そうではない存在たちも波動を上げてっていうのは、
もうたくさんの存在たちもそれを起こしているっていうのが見えた時に、
私はね、目を醒まして生きるっていうのはこういうことだっていう、
何かに形作った時、対比するものが生まれて、限定してしまうんだな
っていうのを感じたのよね。
(ゆきとし) なるほど、対比して限定ねぇ。