他ファンの得は自分の損ではないという話する
少し前に、「ある有名漫画の作者が特定のファン(過去何通もその作者に対してファンレターを送っている方)に書き下ろしサインを贈った」ということが物議を醸していて、いろんな界隈のオタクをしてきた(している)身として思うところがあったのでちょっとnoteを書いています。
物議内容としてはこんな感じ。
ポジティブコメント
「おめでとうございます!すごく素敵!」
「ファンの鑑」
「所有物を見せているだけなのに叩かれる筋合いはない」
ネガティブコメント
「モラルのかけらもない」
「嬉しいのはわかるけどXに載せたらヘイトが集まるのは当たり前」
「界隈が荒れるから自慢するな、自分のものにしておけ」
今回騒動になったのは漫画だったけどこういうのは何処の界隈でもある。私が愛するディズニーでさえ、「キャストさんがこんなことしてくれた!」というポストに「SNSでいうな」「平等じゃない」「対応を統一しろ」という声があがる。
こう言った騒ぎを見る度に私は「落ち着いて皆さん、他人の得は自分にとっても喜ばしきことですよ」と思っている。
これは何も「1人の幸せはみんなの幸せ!羨んだりしないでお祝いしてあげようよ」などという優しい感情ではなく。言い換えるならば「そうやって人の得を非難していると、得の供給自体がなくなってしまうので結果的にあなたにとっても損ですよ」といった感じ。
そもそも特定の人間への供給によって自分への供給がマイナスになることはない、ということを念頭に置きたい。単行本化、グッズ化、アニメ化、舞台化…。こういった推しの様々なイベントで、ヲタクへの供給は同じだけプラスの方向に進んでいく。誰かが特別な供給を受けるということは、その人が1つ多く与えられるだけのことであって、自分が何かを奪われることではない。
さらに、この1歩前に出られる権利を得る人というのは超ランダムなので、明日は我が身、明後日は隣の人かもしれない。2人3人、もしかしたら100人同時に得ることもあるかもしれない。ただ、供給する側が、どういった頻度でどれくらいの人にその権利を与えてくれるのかは、権利を得る側の声にかなり依存すると思う。権利を供給したことによって、界隈全体が喜んだり盛り上がったりしてくれていれば、供給側ももちろん嬉しいだろうし、それによってもっとそういった特別な対応をしようと思うかもしれない。逆に不満ばかりが聞こえてくれば、「誰かに特別をあげることによって、他から不満や批判があがるならもういいや」と、権利の供給すらしてくれなくなる可能性だって大いにあり得る。
そうなったときに損をするのは、他人の得に不平不満を言っている人だということに、本人はあまり気づいていないケースが多い。
何が言いたいのかというと、「SNSで言わなくていいのは特別対応をしてもらった幸せの報告ではなくお前の不平不満だぞ」ということである。別に「『いいなあ』『羨ましいなあ』と思うな」とは毛頭思っていない。そういった感情があることは否定される筋合いはないし、私もまったく抱かない感情ではない(もちろん心からお祝いできる人は素敵!そのまま育って!)。ただ、界隈に幸せの循環を作りたいのであれば、そしてあわよくば自分も得をしたいのであれば、「思っても黙っててくれ」というのが私の思いである。
自分がいる界隈には、表面上でも幸せのシェアが気持ちよくできる環境であってほしい。