柴又100K リタイア&完走記(3) 100kmの部 初挑戦 前編
100kmに備えて
柴又100kの60kmの部を走ってわかったのは、ウルトラマラソンはフルマラソンとは別もので、練習も違うやり方で進める必要があるということでした。月間の走行距離が100km行くかどうかという当時の自分が、1日で100km走るのは無茶だなということも、身に染みて感じました。そこで、次の年に向けてまずはランニングの距離を伸ばしていくことにしました。
私がフルマラソンの大会に出るのは年に1回か2回、たいてい2月には終わります。そこで、3月からはスピードはゆっくりでいいから長い距離を走るように、そしてひと月の合計で120~130km程度は走るようにしました。本当は150km以上としたかったのですが、ランニングに使える時間も限られる中、自分にはこれぐらいが精一杯のところです。柴又のエントリーでは、今度は迷わず100kmを選択。4~5月初旬には30km以上のランを何度か行って体を作っていきました。これで準備が十分だとは思いませんでしたが、できることはやってきたつもりでした。
暗雲
5月初めまでは順調に来たのですが、そこで大きな問題が…。普段、春のこの時期に体調を崩すことはほとんどないのに、この年に限って風邪を引いてしまったのです。さほど無理をしてトレーニングを積んだということはないはずです。GW明けに当時の仕事場で急に強烈な冷房が入るようになり、体が相当冷えてしまったというのが理由のひとつではないかと考えています。まあ、何を言っても体調管理は自分の責任なのですが(以降、私は夏でも職場にフリースのジャケットを常備するようになりました)。
熱こそ出なかったものの、風邪の症状が続いてなかなか抜けません。ほとんど走ることもできないまま柴又の本番が2週間、1週間と近づいてきて、だんだん焦りを覚えるようになりました。
せっかく1年かけて準備をしてきたのだから、何としても出たい。でも、これまで走ったことのない距離、時間をゆくウルトラマラソンに出るのに、こんな体調で大丈夫なのだろうか…。出走するか、辞退するか、この時期は毎日真剣に考えました。正直、「高いエントリー費を払ってるんだから出ないともったいない」という気持ちもありましたが、体調をひどく崩してしまうとそれどころではないことになります。本番1週間前の時点では出るのをやめようかという方向に傾いていましたが、4日前になってようやく体の芯に力が戻り始めてきました。ただ、咳や鼻水は引いたとはいえ、本調子にはほど遠く、体のどよ~んとした重い感じは残っています。出たい気持ちと、同じぐらい大きな不安を抱えたまま本番の前日まで考え、最終的に「途中でリタイアすることになってもいいから、無理をしすぎない範囲で走ろう」と決めました。
大会当日・前半
普段の4割ぐらいという自分の体調とは裏腹に、空模様はこれ以上ないほどの快晴です。日差しと暑さに相当の注意が必要だと思える陽気でした。会場に着いたのがスタート時間のほんの少し前だったので、急いで荷物を預けてスタート地点に向かいます。前年に60kmの部に出たときは前半にスピードを出しすぎましたが、今回は体調面もあって自然とゆるやかな走りになりました。序盤はキロ6分半ぐらいのペースで進み、走っているうちにどんよりした体の重さも少しほぐれてきた感じがしました。
心拍を140/分以内に抑え、10km, 20kmと思っていたよりも順調に進むうちに、「もしかしたらそこそこのところまでは行けるかも」と少し期待が湧いてきます。でもこのぐらいから気温がぐんぐんと上がって日差しも強くなり、暑さに苦しめられるようになります。エイドごとに服の袖や首、頭に水をかけて体が熱くならないようにしますが、30kmあたりからは心拍が150/分ぐらいまで上がってきました。ペースをキロ7分程度まで落としますが、35kmほどからは腿の付け根や足首に痛みが出てきてしまいます。60kmの部に出た時にも痛くなった場所です。フォームの問題なのか、自分の中で元々弱い部位なのか、スピードを遅くしても同じぐぐらいの時間を走ると痛くなってしまいます。疲労もたまってきたのでさらにペースを落とし、どうにか50km手前の大きな休憩所に到着しました。ここでうどんやキュウリをいただいて少し休憩、体力の回復を図りました。休憩所を出れば50km地点は目前、半分までくればあとはどうにか押し切れるかなと少し元気が出てきました。
大会当日・後半
でも、そんなにうまくは行きませんでした。50km地点でつかんだはずの元気はほんの数キロで消え去ってしまい、それまで以上の体の重さとツラさがど湧き上がってきました。さらに、足の痛みが強まり、右ひざにも痛みが出てきてしまいます。この辺りからは連続して1km走ることができず、立ち止まっては屈伸して膝や足首の痛みを紛らわせ、何とか先に進むということを繰り返しました。体調が十分でなかったことや、大会前の3週間ほどをほとんど走れなかったこともあると思いますが、振り返ってみると、100kmを走り切る体ができていなかったのだと思います。
リタイアが何度も頭をよぎる中、前年走った距離は何としても越えたいと思って60km地点を越え、キロ9分~10分ほどまで遅くなりながら65kmもどうにかクリアしました。でも、ここがもう限界でした。体力が持たないというよりは、気力が尽きてしまった感じでした。エイドにたどり着いたところでリタイアを決意しました。残りの距離は、半分歩いて半分走るというぐらいのペースで進めば制限時間内にゴールまで行けそうだというぐらいの時間は残っていましたが、そのことがわかっていても、それ以上進むことはできませんでした。
数キロ程度の大会やフルマラソンなども含め、これは自分にとって初めてのリタイアでした。ランナーとしての自分にとって、この年の大会はここで終わりました。でも、ゴールに帰り着かなくてはなりません。長くなったので、そのことはまた次回に書きます。
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