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柴又100K リタイア&完走記(2) 60kmの部


60kmか、100kmか

初めての柴又100Kにエントリーしたのは、締め切り最終日の夜遅く、ギリギリになってからでした。出場するかどうかを迷っていたのではなく、60kmにするか100kmにするかを迷っていたのです。いま振り返ってみるとおそろしいことですが、そのときはウェブサイトの案内文だとかコース表示といった情報だけを見て、「60km行けるなら100kmも何とかなるかも」なんて考えていました。フルマラソン以上の距離を走ったこともなかったのに。勢いで100kmの方をポチっとしてしまわなくて本当によかったです。いきなり100kmの部に出ていたら、途中でどうしようもなくなってリタイアし、しかも足に相当のダメージを負っていたのではないかと思います。

こんな経緯で選んだ60kmの部は、「フルマラソンよりもゆったりペースでいけば体力的にはどうにかなるはず。6時間ぐらいを目指せるかな」というのが、これも今考えると甘すぎる見立てでした。

レース当日

そして大会がスタート。普段ゆっくりペースで走る習慣がなかった私は、スピードを落とすと逆にリズムが乱れそうな気がして、ほどよい感じで走れるキロ5分20秒~5分30秒ほどで進むことにしました。その速さでは最後まで持たないことはわかっていましたが、疲れてきたらだんだんペースを落とせばいいやという「戦略」(何てとても言えたものではありませんが)で臨むことにしたのです。ただ、脈拍は高くなりすぎないようにしようとは思っていて、160/分を超えないよう気をつけていました。

30kmぐらいまではそれで何とか進んでいくことができました。でも、さあ残り半分だと折り返しを過ぎたところで、ひとつ重要なことがわかります。復路が向かい風になっていたのです。「追い風のときには後押し効果に全く気づかず、向かい風になった途端に青ざめる」というのは普段のランニングでも時々あるのですが、このときもまさにそれでした。

疲れと向かい風で、体を前に進めるのがぐっとつらくなりました。ペースをキロ6分ぐらいに落として進みますが、フルマラソンの距離を越えたあたりで、キロ7分ぐらいまで一気にペースダウンしてしまいます。50km前からは足がさらに重くなり、ふくらはぎと太腿のけいれんや膝の痛みが出てきて、さらに遅くなりました。そこからは、1, 2km進むごとに屈伸したり少し歩いたりもしながらゴールを目指すことに。無事に完走はできましたが、事前に何となく考えていた「6時間」はとっくに過ぎていました。

走り終えて

60km走ってみて痛感したのは、「これはフルマラソンとはまた全然違うものだ」ということと、「つらくなるのは体力よりも足の筋肉や関節だ」ということでした。フルマラソン以上の距離を練習で走るのはなかなか難しいにしても、30kmぐらいはゆっくりペースで走り慣れておいた方がいい、ということも感じました。

また、それまでは擦れたことがなかった胸に擦れの痛みが出たり、走り終わった後で腰がどよ~んと疲れていたり、さらに使用したハイキング用の軽量ウエストポーチで揺れないようにベルトの調整をしたら腰回りに圧迫痛が出たり、といった点も、初めて経験することでした。体を動かす時間が長かったのと、気温が上がり汗をかきやすい春だったこと(フルマラソンの大会はほとんどが冬なので、汗の量が全然違いました)が、大きな理由だと思われます。

一方で、ハーフやフルマラソンよりもずっと競い合いの感じが少ないこと、脈拍を上げない分余裕を持って周囲の景色などを楽しみながら走れたこと、そして沿道で応援してくれる方たちがとても温かかったことは、私が考えていた以上の楽しさを生み出してくれるものでした。最後20kmは相当つらくなり、ゴール直後は「もう懲り懲りだ」とも感じましたが、時間がたつにつれて、こうした楽しい側面の思い出ばかりが心に浮かんでくるようになりました。「次は100kmに挑戦しよう」と決意するまで、走り終えてからさほどの日数はかかりませんでした。

使用シューズ:
アシックス Gel Fuji Trabuco
トレイルラン用のシューズですが、履き心地が良く半ば日常使いの靴にしていました。柴又はトレランシューズを使う必要は全くありませんが、当時いちばん履き慣れた靴がこれでした。60km、しっかり脚をサポートしてくれました。その後、Gel Trabucoと少し名前を変えて継続しています。


これまでの話:


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