アサリの絶命とサイコパス。動物愛護とウナギの目打ち
これって私だけなのか、前から聞きたいとことがありまして。
それはアサリが調理中にパカッと開くところを見て、みんなは何とも思わないかってコト。
アサリがどの段階で絶命してるのかハッキリしないコトが、この問題の鍵のような、ちがうような(どっち)。
このご時世、ネットで検索すればわかるかもしれないけど、「知らぬが仏」っていうか、知っちゃうとなんだか良くない感じがして、敢えて調べずにいる。そう書くと、
「それはアサリが可哀想になって調理がやりにくいからですね」って優しい人は思うかもしれないけど、ちがーう。
うまく説明できないけど、フライパンの中でアサリがパカっと開くところを見ると、何とも言えない気持ちになるんです。
ちょっと遠回りな書き方しました。。。
実は、「アサリ、今苦しいのかな」って思いながらフライパンの中を見ていて、そして全部のアサリが「パカッ」となるのを見届けるまで目が離せない。まあそれを調理と言うんだけど。
気になってるのは、ワタシには残忍な気質があって、苦しんでるであろうアサリを見てるのが快感なんじゃないか?もしやサイコパスなんじゃ?
っていうこと。(サイコパスの定義知らんけども)
でもこの感情ってなぜかアサリにだけ発動される。どうしてなんだろう。
そこで私と同じ悩みを持つ人がいないか、ヤフー知恵袋で検索してみたら、なんと優しい女神が、「生きてる貝を調理できないから割り切れる考え方をご教授下さい!」というお悩みを相談していた……!
まさに、ワタシと正反対の症状をお持ちの女神出現。女神からすると、私なんかサイコパス認定間違いなし。
そういえば前にオーストラリアで、動物保護団体の抗議を受けて、ロブスターに苦痛を与える「活き造り」が禁止されたニュースがあった。茹でる時もなるべく苦痛を与えないようにするべきとか。ってそんなことできます?笑
それなら「ウナギの目打ち」とか見たら、オーストラリア人は卒倒するんじゃなかろうか。。。
(アレは人に例えたら、まさに後世まで語り継がれる拷問。実は目を刺すんじゃなくて、少し下を刺してるんだけど。そしてあの「刺す道具」のことを目打ちって言うらしい)
でもそんなこと言い出したら、私たちが毎日のように食べている鶏や豚や牛だって、生きている時は毛も生えてるし、目だって見えてるし、叩けば痛がる生き物だ。
それを、誰かがどうにかこうにかしてくれて、パック詰めになってスーパーに並んでる。誰かがしてくれなければ、スーパーに並ばない。
結局、現実を知っても、恐ろしく早いスピードで喉元を過ぎて忘れる人と、やっぱり気になって忘れられない人がいて、その先の行動が変わってくるんだろうな。
そして、熱がっているであろうアサリを凝視ししながら、「ヴィーガンはアサリ食べないのかな?」とか、色んなことが頭をかすめているうちにフライパンのアサリが全部開く。そう、アサリはいつも私に何かを考えさせる存在なのだ。(哲学ぶってもダメだよ)
一番上のサムネイル画像は私が作った「鯛のアクアパッツァ」。実は意外と簡単で、これは友達の家での持ち寄りパーティーで、イキってその場で作ったもの。でもホントに材料さえあれば、そんなに調味料もワザもいらなくて誰でも作れる。実はそれもアサリから出るダシのおかげ!
これは本当に、スンドゥブチゲでもキムチチゲでも、アサリを入れるだけで間違いなく数段美味しくなるから。
そう、だからこれからも私は、やっぱりアサリをよく調理するだろうってことです。ふふふん。