わたしだけのNewJeans:推し活の恐怖を経て
(写真もとにしたAI自画像です。実物と違い過ぎて流行るかもねこれ)
NewJeansとハッシュタグに入れてる。
が、私はリアルな推し仲間を作ることは諦めている。
世間一般で言われているような「推し活」をする気はハナから持ち合わせていないのだ。
なんでかというと、まあだいたいこんな感じ。
・はまりやすいので自主規制
・リアルで推し友にあわせすぎてしまう
・「好き」の箇所が一般と違う
ハマりやすいのである、私。
もうすでに痛い思いはさんざしてきた。
亀の甲より年の功。もう、ああいう失敗は繰り返すまいと心に決めているのだ。
昔の私は、ここでは名前を明かさないが、あるミュージシャンのファンでした。
でしたって過去形でもないけどさ、まあ、今でいうところの強烈な推しがいたわけです。
仮に、そのミュージシャンを、Aとしよう。
で、没頭気味な私は、金も時間も労力も人間関係も、全部そのA中心に回り始めるわけです。
金に余裕があったわけじゃない。普段はスーパーで半額シールの張られた総菜を買い、ビニール袋が欲しいからとわざわざたくさん買った品物を一つずつ、台の上に設置されたビニール袋に入れて帰ったり。あっちのほうが10円安いと聞けば10分歩いてもそっちに行って買うとか、合理的でないことまでやって節約生活。
そんな暮らしをしてるっていうのに、Aのコンサートとあらば、ドーンと金使って、行っちゃってましたよ。チケット代より交通費のほうが高くとも。
友だちも、Aを認めるかどうかで決める。
Aを褒めたら、多少の欠陥がある人間でも許す。
ファン同士の情報交換はもちろんのこと、Aが出てる、書いてる、と聞けば、普段は到底読まないような雑誌だって買ってたね。
テレビに出ると分かればもちろん予約。
主題歌になれば見たくない映像も色々と見たり。
いくら頑張ってもとうてい完全に追いきれないくらいの世界的スーパースターとかだったらまた話は違ったかもしれないが、やや無理すればそこそこコンプリートできたくらいのほどほど感というのも、推し活(なんて言葉は当時なかったが)やるには程よかったせいもあったと思う。
まあ、無理はしてたね。ヤク中の廃人の気持ちわかるもん。
ヤバすぎな諸々は省略するとして、完全にどうかしてましたね。
もっと早く気づけよという話なのだけれど。
身近なファン友の中でわいわい楽しみながら、自分がこの中で一番Aにたいして愛情を持ってる、Aをいちばん愛する資格があるのは私、などと思い込んで、それを、証明したいという気持ちが強かった当時の私。
キモいファンという自覚がなかった。
「こんなことも知ってるのよ」って、自慢モードで下世話な話まで。
ストーカーと変わらない。
今から思えば、闘争心とか競争心の塊だった。
当時の私を思い出すとマジで、ああ、キモい。
そんなわけではまりすぎないようにしよう、という、自制心が働きすぎる私は年をとったということだけではないとは思う。
セコい話になるけど、Aのファンやってて失ったものとえたものとを眺めて呆然とするところがあり。
こういう経験を持つ以上、やっぱりNewJeansのファンやって、自分が向上しなきゃ意味がない、周囲に迷惑かけちゃいかん、と今は思うわけです。
で、わかりやすいところから。NewJeansをダイエットの道具であり、韓国語勉強の道具である、とクールに考えて見ることにする。
そうすれば罪悪感も薄まるかなと。
そんなこんなでわたしだけの特殊な愛し方をするので、普通のNewJeansファンがこれを読んでもきっと楽しめないと思いますが、私なりの愛をここに著してゆくことになるかなと。
今日の一句:誰一人 理解せずとも 推しは推し
今日の韓国語
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