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くまさんとの対話 13 (心療内科の先生とのおしゃべり)



 

合理的な理由は?

随分前に上司にそう問われた。その頃の私は仕事、会社に適応するためにかなり努力をしていた。数字の積み上げ、理詰め、合理的な判断、もしダメな時の救済策。リストラされそうなワーママは必死だった。そのうちプライベートでも、なにをするにも合理的であるかどうか、を考えるようになっていた。両立させるには仕方ない。もともと直観で生きてきたのだからそうはうまくはいかないわけだが、そうするように心がけていた。

 上の子の大学受験に際しても、多方面から検討していた。第一志望目指して突き進むのか?届かなかったときの救済策は?そもそも彼に適した大学はどこなのか。。。

生まれ育ったこの土地での知名度は?全国的な評判は?偏差値は?数字を積み上げて積み上げて、考えていた。

 ああすればよかったこうすればよかった、と後悔を口にすると「いつも数字しか見ていないと」と否定された。ところが入学が決まってから「〇〇のほうが偏差値が上なんだね」とこともなげに言われた。(だから、あのとき)理詰めで考え抜いた結果をもって行動しているわたしと、特にリサーチもせず、なんとなく行動している旦那。なんとなく、やり過ごして、見過ごしてきたことが、がまんならなくなった瞬間だった。

 ああ、何もわかっていない。理解しあうことは無理だ。夫婦は理詰めで論破しあうために一緒にいるわけではない、と今は思える。しかし、当時はこれまでのつみかさねが粉々にこわれたと感じていた。

いつまで自分の大学受験がうまくいかなかったことを引きづっているのか。失敗した割には、そこそこ修正できた人生を歩んでいるようにも思える。楽しいこともあるのに、なぜこんなにここがトリガーポイントになるのだろう。これは今度先生に聞いてみよう。

 



 

 

 


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