なくならない自己顕示欲のこと
兎角、日々SNSでは「イイネ」されるためにキラキラした投稿が散見されるし、かく言う私も「旅行に行ったら」「美味しいご飯を食べたら」「子供と遊んだら」「素敵な本を読了したら」...などなどやっぱり投稿してしまう。
疲れてたら忘れたりもしますが、少なくともスペシャルな日の写真たちは「SNS投稿のため」キラキラした鱗片を何層にも羽織って撮影されて(投稿されず携帯電話のアルバムの肥やしになろうとも)いるような気がします。
褒めて欲しい。認めて欲しい。自分の存在価値を承認して欲しい。
なぜ人間はこうも振り回されてしまうんでしょうか。そんなに枯渇してるんでしょうか。実際とSNS上は「違う自分」を演出できるから楽しいのでしょうか。
「イイネ!」「おいしそう!」「楽しそう!」「羨ましい!」「●●の本は示唆ありますねさすが!」などなど...見る側も相手が欲しい返信をギブアンドテイクのようにしているような。本当にそれって楽しいのかな...。
やっぱり、ちょっと盛ったリアルな自分とはちょっと違う感じってずーっとは続けられなくて、自分も相手も疲れちゃうよなぁ。
例えば家族とか子供とか仲のいい友達とか恋人って、阿吽の呼吸というかなにか話題をひねり出さなくても同じ空間にダラっと別のことをしていてもよかったりする関係がとても心地よかったり、自然なわけで。
きっとコミュニケーションツールもそういうゆるゆるっとした距離感やテキストや写真や動画とはまた違う繋がり方が「楽」であるを模索していくのかもなぁとか、思った10月の朝でした。
Zenlyとかmocriとか。
それでも人はどうしても「自己顕示欲」を「承認」を求めてしまうんだろうなぁ。