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Ritural

数年前、本当に幸運なことにお茶を習う機会を得た。残念ながら数ヶ月だけで終わってしまったけれど、楽しかった。
初めてのお稽古で、まず茶巾の洗い方を習った。
水屋と呼ばれる裏の部屋で行われる、準備段階にも作法がある事が、新鮮な驚きだった。洗い終わった小さな木綿布の、畳んだ形にも美学があった。
全てに型があり、「何故そういう動きなのか?」という疑問がチラッと頭の隅にかすめるが、敢えて無視して、言われた通りを出来るようになるように練習する。
海外暮らしの中で、「分からないことは質問する。」が常識になってしまっているが、実は日本文化を理解するには、「聞かずに、まず体験する。」が正しいやり方らしい。

友人のアルゼンチン人のAちゃんは日系三世。日本での生活経験もあり、1を聞いて10理解するような賢い子だ。
日本からデボンの田舎に仕事でいらしたご夫婦とお食事をする機会があった時、Aちゃんは工場勤めの旦那様に「日本と英国と比べてどう違いますか?」と質問した。
イギリスの工場で管理者側として働いている彼は「質問してくるのが困るね。」と言った。やっているうちに分かってくる事、というのがあって、やってない人には説明できない、というのだ。だからとりあえず言われた通り、やってほしいんだとか。
彼女が言うには、日本の工場で働いていた時、「一体これは何になるんだろう?」とか、「どんな意味があるんだろう?」という疑問が南米の労働者からはあったけど、ほとんど答えて貰えなかったそうだ。「自分たちの作業が何なのか知ってたら、モチベーションが上がるのに。」という彼女。

私はどっちにも頷けてしまう。

お茶の先生がお休みの日に、生徒だけで練習しようという事になり、Youtubeでお点前を検索。
驚いた事に、茶道のお点前は「口承」なんだそうで、記録してはいけないのだとか。なので、ほとんど見つけられなかった。何とか参考になりそうなビデオ(高校の文化祭とか)を見ながら練習した。
単純に「記録しておけば便利だろうに」と思ったけれど、考え直した。書き言葉や二次的媒体では伝わらない部分があるのだろう。

お点前はダンスに似ているかも知れない。数百年を生き抜いて来たその動きは、時間をかけて習得され、完成された時に真の美が表現されるのかも知れない。それは身体的な会話となり、初めて、表現者と受け手のコミュニケーションに繋がっていくのだろう。

先生の手の仕草がとても美しい。その同じ手で、お裁縫やお料理をする。日常での物の扱い方もきっと美しいんだろうと思う。

ある日、家でおさらいしている時に、何か次元の違う世界に触れた気がした。

「あ、これがお茶の世界か。」

茶道をやっている人は「奥が深い」と、よく言う。その深淵の縁に、本当にちょっとだけ手をかけてチラリと覗いた経験だ。いや、覗いたのではなくて、扉の取っ手に指が触れた程度だ。
それでも素晴らしい経験だった。

茶道の世界の真の価値に触れられる人を、うらやましいと思う。そんな世界が祖国日本にある事も知らずに、海外に出てしまった事は悔やまれる。
そしてほんの少しの間でも、触れる事ができたことに感謝である。

先生が教えてくれた、「一期一会」という言葉も、体験が伴って、一層深い意味を持つようになった。

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