【出産】「2人目は?」と言われ続けたことを振り返る♯076
我が家の息子と娘はおよそ4歳離れている。
娘を妊娠するまでの4年間、道行くご老人によく
「もう1人産まないといけないよ」とか「まだ1人なの?」とか
あれやこれや声をかけられたことがある。
はじめて会った見ず知らずの他人になんでそんなこと言われないといけないんだ?
一人っ子がそんなに悪いのか?(そもそも私一人っ子やし)
いろんな理由で子供を持たない、持つことができなかった人がいるなかで
この人たちは、こんな配慮の無い言葉を言い続けているんだろうかと思うとゾッとした。
上野千鶴子さんのエッセイによると、子供を持たない女性に、子供を持つこと前提にあれやこれや言葉を投げかけることを「不産ハラスメント」というらしい。
子供を増やす必要性は理解している。
しかし、それを個人に強要すべきなんだろうか、と正直疑問に思う。
(もちろん、いろんな意見があると思うけれど)
私は、シリアの避難民の子供たちの教育支援の活動に参加をしている。
シリアの沢山の人たちが「子供は平和なシリアをつくる希望だ」と教育支援の必要性を口々にしていたというエピソードに、
子供は未来を担う存在であることを再認識したことがある。
また私が講師をしている先の高校生に、「子供って社会にとってどんな存在なんだと思う?」と尋ねると、
「子供を産むこと、育てることにネガティブな意見は多いけれど、子供には何も罪は無いし、社会にとって大切な存在だ」
という趣旨の意見を話してくれた。
高校生の言う
「子供には何の罪はないんだ」という言葉がズッシリと心に刺さった。
SNSでは「子連れ様論争」が勃発し、社会のシステムに対しても「子育て罰」なんて言われる日本で、子供が自分の存在を「罪」だと捉えることなく、子供たちの可能性の羽を折らないよう、社会の仕組みも意識も子供や親に優しい社会になってほしい、と思う。
ただ、ある上場企業で人事部門の仕事に従事され、初の女性役員になられた方に、「キャリアと子育て」についてご質問させていただいた際、独身で子供がいないことに負い目を感じておられたことを振り返り、このようなエピソードを話していただいた。
『「私は子供2人育てて四苦八苦しているのに、あんたは会社で何百人もの人を育てている。社会的子育てをしている」と言ってくれ、私の役割を照らしてもらえた気がしてすごくエネルギーが湧いてきました。』
私はこの言葉に、次の世代へのバトンの渡し方はさまざまだと実感した。
「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」という権利があるように、出産するかしないか、また子供を何人持つかについても、本来、自己決定ができるはずだ。
「子供を持たない人生」を選択しようとしている人にまで、強要するのではなく、本当は子供が欲しいけれど、何等かの原因でそれが叶わない人に寄り添う支援が優先すべきではないのだろうか。
だからこそ、自分の子供、そして授業で関わる高校生には、自己決定できるようになってほしいな、と考えている。
ちなみに、高校生ともなると、なかなか子供と接する機会自体も少ない。
だから、子供と接するなかから、自分の将来に対する何らかの気づきを得てほしいと赤ちゃんとふれあう授業を考えている。
そして、赤ちゃんとお母さんのコミュニケーションを観察しながら、共感力を育むヒントを得て欲しいなとも思っている。
子連れ様論争はじめ、いろんな分断が起きているけれど、それの解決策の一つが「他人の靴を履いてみる」共感力だと思うから。
また、街を歩く夫婦のお子さんが一人であっても、いなくても、「そこには何らかの理由があるから」と立ち止まって想像できる大人が増えてほしい。