わたしの大切な命は卵ひとつより軽い
6年前にももこさんが家に来た時、もともとは男の子を迎えるはずだった。セキセイインコの女の子はふつうおしゃべりしないし、卵詰まりを起こすと簡単に落鳥する。悲しい思いをするのは嫌だなと思ってお店に男の子をお願いした。
ひと月後、女の子が店に入荷したと聞いたとき一瞬お断わりしようかと思った。でも待てよ。それじゃあ、私が大学生の時の就活で会社の採用情報さえ送ってもらえなかったのと同じじゃないの?女だから要らない。学卒の女なんてどう使っていいかわからない。女は結婚したら腹がでかくなるだろ?旦那の転勤についていくだろ?
就活中から入社後までさんざんだった私の20代前半。
インコだってね、女の子だからってハネたらいけない。卵詰まりを起こさないように予防策ばっちりすればいいじゃないか。
引き取りに行ったとき、小鳥屋さんの奥さんは「この子は自分の頭で考えて行動する子ですよ。運動神経もいいし」と太鼓判を押してくれた。
一大決心をして迎えたのに、籠から出てこない。餌も最初の2日、全く食べず、心配した小鳥屋の奥さんが様子を見に来てくれて、小鳥の病院まで連れて行ってくれたが異常はなかった。3日目に餌を食べ始めた。
そしてその後は引きこもりが続く。籠のドアを開けておいても出てこない。
インコって人間の3歳児くらいの知能はあるらしい。感受性も豊かな子が多い。それが一日中、籠の止まり木いとまったまま、何もせずじ~っとしている。何も刺激がないとウツになるんじゃないか?
心配になってトイレットペーパーの芯を1センチ幅にわっかのまま切ってつなげて籠の中につるした。鏡つきのブランコもつるした。その二つはつかんだり、つついたり反応はするけれど、やっぱり籠から出てこない。
小鳥の飼育書には、そういう時は何もせず、そばに座って本でも読んどけばよい。いたずらに声を掛けるより、そっと静かにいて、飼い主が害のない存在だという信頼関係を築きなさいと書いてある。
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そろそろ家に来て2ヶ月になろうというころ私はあきらめかけていた。女の子だからおしゃべりしないのはいいとして、このままだと手乗りインコにもならない。ただのトリか?
その朝もルーティンで床をモップで掃き、籠のドアを開けっぱなしにして、周囲に落ちているシードの殻を小さな箒で掃きあつめてからぼおっとして窓の外の木々を見ていた。
ぽとん。左肩に何か重さを感じた。左を見たらももこだった。
あ、、、、籠から出た。それも私の肩に乗っている。そのあと初めての室内を台所のシンクまで飛んで行って洗いかごの縁にとまった。どうしたものかとこちらに首を伸ばしている様子を急いで撮ったそのときの写真はいまでもスマホのアルバムの中にある。
その日からももこは突然活動域を広げ始めた。
朝、水を変えて餌をやると自分の朝食に取り掛かる。そして私自身が朝食の準備を終えて食べ始めると、それにあわせてもう一度、自分の朝食を食べ足す。ちょくちょく頭を上げて、こちらの様子に合わせて2度目の朝ごはんを食べる。インコは集団行動する鳥なので一緒にいるものと同じ行動をするのが好きだ。
ももこが家に来てまる2年になるタイミングで、コロナ禍がやってきた。
対面ですることがほとんどの私の仕事は、お取引先がどこもオフィス閉鎖になり、1週間で在宅オンラインに切り替えた。4月から9月。春と夏が過ぎていく。お花見も花火大会もなかった。ジムも閉鎖した。外に出るのは通院くらい。今度は私が引きこもった。
ある日、高々と囀り続けるももこをスマホで動画撮影してネットに投稿した。あとで動画を再生すると、ももこがしゃべっていた。「タブン、モモチャンノ、オカゲダヨ」。
インコ友達から次々書き込みが入る。「ももちゃん、話してる!」「しゃべってる」。「タブン、モモチャンノ、オカゲダヨ」を覚えたのは私が言ったに間違いない。そんなことを口に出していたのか、私は。インコが覚えてしまうほど何度も何度も。
その思いは確かにあった。活動自粛の中でオンラインだけで仕事をして、誰とも話さない生活。このままだとウツになるかな?となんとなく怖かった。そして自分がウツにならずにこらえられているのは、ももこのおかげだよ。と心の中ではずっと感謝して壊れそうなところを踏みとどまっていたつもりだった。
コロナが去って普通の生活に戻ったが世界には戦争や悲しい事件があふれている。携帯でニュースを見つめたまま涙をためていると、ももこがやってくる。肩に乗って、私のほほをチミチミと羽繕いする。
ソファにごろりと横になれば遠くから飛んできて私の顔に直接着地。ほほと鼻の隙間にお腹を乗せて一緒にまどろむ。目が覚めた瞬間にももこと目が合う。
鶏卵一つは50グラムという。その卵ひとつよりも軽い、32グラムの温かな重さを頬に感じる午後は、いままで私がずっと欲しかった安らぎかもしれない。
インコの平均寿命は8年から12年。
最後に旅をした3年前の春、迎えに行ったときに小鳥屋さんの奥さんが言った。
「ももこちゃんは一日中、籠の中からおひるねさんのことを探していましたよ」
ごめんね、ももこ。胸が締め付けられた。
かつて私は金沢でもロンドンでも思い立ったら2日後には飛んで行っていた。でもその日以来、いっさい旅に出なくなった。日帰りでしかでかけない。実家にも泊まっていない。一日中、籠の中から私の姿を探して外をうかがっている姿を想像するのは苦しすぎるから。そしてあと何年旅ができなくてもいいと思う。
ももこさん、一緒にできるだけ長生きしようね。
#2024創作大賞 #エッセイ部門
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