全音HP“検証”ページ(5 IV2022)の深刻な問題点
日本語版ノクターン発売
エキエル編ショパン・ナショナル・エディション日本語版のノクターン (訳: 河合優子)が全音楽譜出版社から2021年11月15日に発売され、楽譜がポーランドの私のもとに届いたのは2週間後の11月29日。少し見ると、監修者/出版社による訳文の勝手な変更がかなりあります。これらを直さないと、エキエル先生とカミンスキ先生の書いていることはまっすぐに伝わらない。
正誤表を出したくない全音
全音は訂正/正誤表を出さないと言う。そして重版の際、訂正箇所決定の判断は翻訳者ではなく、ポーランド語を読めない監修者がおこなうと。とんでもないことです。しかし全音は考えを変えようとしない。
ポーランドに助けを求める
私はポーランド側に助けを求めざるを得ず、まずカミンスキ先生、そしてPWMのチヒさんに相談。問題箇所のリストをポーランド語で作成してカミンスキ先生とチヒさんに提出し、見ていただくことになりました。作業を始める時には、全部で数十箇所くらいになるのかなと思っていました。
問題箇所のリスト作成
始めてみると、1日あたり数十箇所を毎日カミンスキ先生とチヒさんに送信することになり、予想外の多さに驚愕。「思っていたよりずっと多いです。時間がかかりそうです」と途中経過も報告。ある程度の量は予想していたものの、まさか何百という数になるとは。
リストを全部まとめ終わり、396箇所の komplet としてお送りできたのが 2021年12月13日。カミンスキ先生もチヒさんも驚かれ、この大量のリストを前にきっと途方に暮れてしまったと思います。「まずは検証だね。しばらく時間をくれるかな。」
検証の難しさ
正確な検証が容易でないことは目に見えていました。「演奏に関する解説」はピアニストでなければわからないことが多い。一方「原資料に関する解説」には専門用語が多く、ナショナル・エディションに長年親しみ、深い理解のある人でなければ難しい。
検証者が決まる
ある方には断られ、それでも「音楽学的に、そして言語的に」経験のある人が見つかったとの知らせがあり、しかしそれからもかなりの時間がかかりました。
“検証結果” は出たが、なぜか10箇所訂正のみ
“検証結果”※ が公表されたのは 2022年4月5日。当然チヒさんは日本語を深くおわかりになるわけではないのでご自身では確認できず、依頼して仕事をしてもらった “検証者”の先生の見解をそのまま受け入れ、「大部分については 重大な問題とはならない nie stanowi istotnego problemu ことがわかったが、10箇所については訂正が必要」との検証者の判断どおりに書いて掲載。実はこれが大問題となるのです。
( ※ 注: この全音HPの検証結果ページは 2024年6月21日に全音により消去され、「ページが見つかりません」と表示されます。)
声明文の日本語訳がおかしい
この部分は忠実に訳すと「大部分については重大な問題とはならない 」となるのですが、全音HPでは「ほとんどは問題にあたらない」と訳されており、なぜか「 istotny 重大な/本質的な」という言葉が省かれています。原文を読むのと日本語訳を読むのとではかなり違います。
「大部分については重大な問題とはならない」(原文に忠実な訳) と
「ほとんどは問題にあたらない」(全音HP訳)
は同じではない。
そして全音HPでは「申し立て」という言葉が2回ありますが、チヒさんは1度もこの言葉を使っていない。「(河合優子さんから)知らせを受けた」「(河合優子さんの)示した(欠陥)」と書いていますが、申し立てとは言っていない。
また、チヒさんは “Podjęliśmy więc decyzję o weryfikacji listy przekazanych przez panią Yuko Kawai błędów przez niezależnego eksperta, (…)”
「そのため、河合優子さんによって出された問題箇所リストの検証を、(…)独立した専門家によっておこなうことを決めました。」
と書いていますが、「検証することを決めました」であって「検証をおこないました」(全音HP) とは ここでは言っていない。
また “przez niezależnego eksperta”は「独立した専門家による」であり、「信頼できる専門家によって」(全音HP)とは書いていない。
また「専門家によっておこなう」とは書いているが「専門家に依頼」(全音HP)とは書いていない。
“W wyniku wykonanej analizy okazało się, że większość (…) nie stanowi istotnego problemu. ” は
「アナリーゼの結果、(…) 大部分については重大な問題とはならないことがわかりました。」であって
「検証の結果、(…) ほとんどは問題にあたらないという結論に至りました。」(全音HP) ではない。
つまり「・・・ということがわかった/判明した/明らかになった」と言っているのであって、「結論に至りました」(全音HP) ではない。これは結論という意味ではない。
“dotrze do jak najszerszej grupy pianistów w Japonii.”
そして最後の文でチヒさんは「できるだけ幅広い層の日本のピアニストたちに届く(…)」と書いておられるのに、まったく訳されていない。
“tego pomnikowego dzieła” 「この記念碑的な作品(注: ショパン・ナショナル・エディションのこと)」ともチヒさんは書いているのに、これも訳されていない。
「(…) 良き内容で全音から出版され、(…)」(全音HP)とあるけれど、「良き内容で」などという言葉は原文にはない。内容がどうであるかなど、チヒさんは何も書いていない。
協力と訳文変更は無関係
もしチヒさんが「全音のしっかりした編集作業、そしてPWMチームならびにナショナル・エディション編者パヴェウ・カミンスキ教授との常の緊密な協力にもかかわらず」と思ったとしても、これは無理もないのです。全音が本当のことを伝えていない場合があることがわかりましたし、もし全音とPWM(カミンスキ先生への連絡含む)が緊密に協力できていたとしても、監修者/全音が翻訳者に断りなく勝手に大量に訳文を変更してしまえば訂正箇所が山のように出てくるのは当然で、協力していようが何の関係もないのです。
何よりこの部分でチヒさんは紳士的に:
“Mimo rzetelnie prowadzonych prac redakcyjnych i edytorskich przez wydawnictwo Zen-On i stałej ścisłej współpracy z zespołem Polskiego Wydawnictwa Muzycznego oraz prof. Pawłem Kamińskim, redaktorem Wydania Narodowego, (…)”
「全音楽譜出版社のしっかりした(きちんとした/確実な/信頼できる)編集作業、そしてPWMチームならびにナショナル・エディション編者パヴェウ・カミンスキ教授との常の緊密な協力にもかかわらず、(…)」と書いていますが、
これは
「全音楽譜出版社のしっかりした編集作業、そしてPWMチームならびにナショナル・エディション編者パヴェウ・カミンスキ教授との常の緊密な協力」であって、
「全音楽譜出版社、当社およびパヴェウ・カミンスキ教授によって実施された徹底的な編集および編集作業の絶え間ない緊密な協力」(全音HP)ではありません。
つまり「全音の編集作業と、ポーランド側との協力」と言っており、
「全音とPWMとカミンスキ教授、による徹底的な編集および編集作業の協力」(全音)ではない。3者はひとつにまとめられてはおらず、「日本側の編集作業と、ポーランド側との協力」と言っているのです。
また、stała は「常の」「恒常的な」(一時的ではない)であって、「絶え間ない」(途中で中断しない)とは違います。
そして何より、rzetelnie は「きちんと/しっかりと/確実に/信頼できるやり方で」であり「徹底的」(全音HP) という意味ではない。チヒさんは「徹底的な編集」(全音HP)などとは書いていない。
訂正への第一歩
10箇所のみというのはいくら何でもあり得ないことで大問題なのですが、それでもこの “検証結果” 公表と10箇所についての正誤表掲載は、訂正の道のりへの “記念すべき第一歩” であることは確か。何しろ全音は、複数の翻訳者がいくら訴えても一切正誤表を出そうとしなかったのです。楽譜を買う人のことを大切に考えてはいない。
それまでまったく対応しなかった全音も、PWMのチヒさんが動けば正誤表を出す。ようやく突破口を開くことができたのです。
“外圧” がなければ動かない
ポーランド側に直訴して頑張らないと正誤表さえ出ない。何という異常さ。本来であれば、翻訳者が訂正依頼をしたらすぐに訂正されて当然です。その翻訳者の訳文なのですから。当たり前のことができない。全音はPWMに対してもまったく不必要な、大変な迷惑をかけている。
“97.5%は訂正不要で許容範囲内” と検証者
検証者の先生の見解では396箇所のうち問題となるのは10箇所のみ、残りの386箇所は訂正の必要なく “許容範囲内” であると。つまり訂正するのは約2.5%の部分で、あとの97.5%は問題ないと。
10箇所でも十分多い
全音は正誤表を出すつもりはないと言っていたけれど、(翻訳者のPWMへの直訴によりチヒさんが動き、)出すことになった。1巻の中で10箇所というのは普通に考えて十分多い。少なくはない。でももし本当に10箇所であるなら販売停止になることは避けられる。
販売停止、商品回収の可能性
もしこれが、何百という箇所をすべて訂正しなければならないと検証者が認めていたら?正誤表に何百という箇所の説明を載せたらかなりのページ数になるでしょう。正誤表だけで済むでしょうか?おそらく済まない。販売停止、商品回収、訂正された第2版の日本語版との交換など、あらゆる対応に迫られる可能性が高い。そして販売停止に追い込まれたという事実は出版社にとってダメージとなるため、できれば避けたい。
でも何百という勝手な変更を(翻訳者に無断で)おこなったのは監修者/全音担当者なのですから、一生懸命に訴えている翻訳者を恨まれても困ります。
もし10箇所で済めば、何とか騒ぎをおさめることのできる範囲であると多くの人は考えるでしょう。
検証者はピアノを弾かないのか
一方、提出されたリスト396か所のうち 約97.5パーセントは「訂正の必要がなく、許容範囲内」であると言い切ってしまった検証者の先生。
厳選された、最重要の10箇所かと思ったらまったく違う。
まず思ったのは「検証者の先生はピアノを弾かない方なのではないか?」ということです。
ピアニストたちの意見
結果が掲載されてから少し時間が経つと、この検証ページをご覧になったピアニストや教授の先生方から次々に連絡が入ってきました。「ピアノに詳しくない人でしょう、きっと」「弾かない人だと思う」「あの大問題の、あそことかあそことかあそことか、全部 “許容範囲内“ だと断言するとは。大丈夫なのかな」「もし匿名でなかったら結果は違っているんじゃない?」など。
つまり何かがおかしいのです。
なぜ問題なのか理解できなかった?
この10箇所は、ポーランド語の文法的な誤りなど、文字列の表面を生真面目に見つめて、見つかったものを並べていったらこうなったという印象を受けます。他の大部分については、許容範囲内であると判断したというより、検証者の先生にはいったい何が問題なのかわからなかった、理解できなかった、ピンと来なかった、問題に気づけなかった。だから「訂正の必要はない」「許容範囲内」ということにした。このような感じを受けます。
検証者は勝手な変更を肯定
必要なのは推察ではなく検証。修正するのであれば監修者は翻訳者に確認が必要なのに、それをしていない。検証者の先生は「勝手に変える」ことに関して何も触れない。
検証者の先生は「澄み切った響き」から「濁らないで響かせる」への変更をはじめ、監修者/全音のありとあらゆる勝手な変更を「やむを得なかった。良い方向へ変わった」と本気で思っておられるのでしょうか。
専門用語の正しい理解
専門用語については、エキエル先生の著書 Wstęp do Wydania Narodowego Dzieł Fryderyka Chopina, część 1, Zagadnienia edytorskie (1974) の用例を確認するだけでは不十分です。検証ではなく確認。この本を熟読しても、例えば Źródło podstawowe が1曲の中に複数ある場合について知ることは難しい。この場合、Komentarze źródłowe Ballady (1970) の中に情報があります(special thanks: 楠原祥子先生)。
監修者が変更してしまった現在の訳語には問題がある。ひとつの言葉に、ランダムに複数の訳語があてられている。検証者の先生は、このような不正確でバラバラな訳語のあてかたで本当にかまわないと考えていらっしゃるのでしょうか。この不正確さを「特に問題は認められない」としてしまうのは、この解説で真摯に学ぼうとするピアニストや学生さんに対して 失礼で無責任、不誠実だと思います。忠実に、正確に訳すべきです。
また、このエディション全体における用例をご覧になったとのことですが、本当に37巻のすべてを確認されたのでしょうか。
音楽家の目線
ピアノを弾く人にとって重要で深刻な箇所は見事なまでにことごとくスルーされ、なかったことにされている。音楽家の目線とは違う。
音楽家でない方に、ナショナル・エディション日本語版翻訳の正確で信頼できる検証が可能でしょうか。
もし検証者の先生が「まったく迷いはない。問題なのは10箇所だけ」と真の自信を持っておっしゃることができるのであれば。しかしその場合も音楽家の信頼を得ることは困難でしょう。より重要で深刻な問題点を、多くの人はすでに知っています。しかし検証者の先生が選んだ10箇所には、それらがひとつも含まれていない。
許容範囲内 = 高みを目指さない
言語ごちゃ混ぜの、多くの人が拒否反応を起こす、破壊されてしまった目次ページについても「許容範囲内」。訳注ではなく訳者注でもなく監修者注であるのに、すべて[訳注]とされてかなりの量が加えられ、あたかも訳者が書いたかのように、場所によってはかなり長い文が、それも(エキエル先生が書いていないのに)断定するように監修者によって書かれている。この問題にも何度も触れているのにすべて「許容範囲内」。
その他、解説の詳細部分も同様。「判読が1種類に限定できない」が勝手に「明確に判読できない」に変えられても「許容範囲内」。無音で鍵盤をオクターヴで掴んで底までゆっくり押し下げるのを「タッチする」に勝手に変えても「許容範囲内」。もうめちゃくちゃです。
または忖度
あるいはまったく別の可能性もあるでしょう。本当は10箇所よりもっと多いことは検証者の先生にはわかっていたが、ある事情があってやむを得ず忖度しなければならなかったと。
どちらなのかはわかりません。どちらにせよ、おかしいです。できるだけ批判は控えたい。しかし、おかしいことをおかしくないとは言えない。
翻訳者は反論するに決まっている
演奏経験、そして難解なポーランド語解説を深く読み込む力、そしてナショナル・エディションへの深い理解。これらを兼ね備え、すべて一定レヴェル以上の能力のある検証者の先生を探すことは極めて難しい。検証者の先生は例えば「演奏に関する記述に関しては、自分は演奏家ではないので自信が持てない部分がある」と一言触れておこうとは思われなかったのでしょうか。自信を持って断定するように書いておられて、しかしあれではすぐに翻訳者の反論を受けるに決まっている。わからないことをわかると言うべきではない。翻訳者から反論されて大変に困る事態を、検証者の先生は予測しておられなかったのでしょうか。
監修者の今後に触れない全音
そして「検証結果を受けて」で全音は「これまで以上に最善を尽くして」と書きながら、多くの人から批判されている「ポーランド語を読めない監修者」の問題について一言も触れようとはしない。最善を尽くすのであれば、まず監修者の問題を解決しなければ始まらない。そして、あまりにも翻訳者の仕事を尊重しない現在の姿勢を変えなければ、この日本語版の未来はありません。
訂正表 11-20 追加要請
約2週間後の4月20日、私は訂正表 “11番目から20番目” リストを作り、PWMのチヒさんに「検証者の先生に送って 4月30日までにお返事をいただいてください。必ず直さなければいけない、比較的単純でわかりやすい10点です。検証者の先生はきっと見落とされたのだと思います」とお願いしました。
検証者の回答
チヒさんが検証者の先生に送ってくださり、その後お返事についてチヒさんからお知らせがありました。検証者の先生は「11-20を訂正表に加える必要はない」と。しかし「その理由?理由はない」と。根拠は挙げられていないと。
これは検証ではない
“音楽と言語の面で実績と経験のある、独立した専門家“(全音HPで訳されている“信頼できる専門家“ は誤り)であるとされる検証者の先生は、根拠を示さず、理由を説明せず、ただ「訂正する必要はない」と。これではとても検証とはいえない。
数百箇所について根拠が示されていない
つまり396-10=386箇所についても、検証者の先生は具体的な根拠を何も示さないまま4月5日に「訂正の必要はない。許容範囲内」と断定してしまったのです。検証の詳細は386箇所についてまったく記されてはいない。
訂正箇所は一挙に倍に
11-20を加えると、10箇所だったのがもう10箇所増え、倍の20箇所になります。
検証者の先生は、11-20というわずか10箇所でさえ、(4月20日から1か月が経つというのに) ひとつも根拠を示すことができないでいる。もともと4月5日の“検証結果” 発表時にも、386箇所について何も根拠を示せていない。
つまり実は真の検証ではなかった、正確ではなかったことがはっきりわかってしまったのです。
再度 声明文を出さなければならない
チヒさんは検証者の先生の言うとおりに声明文を出してしまって、今になって「実は検証者に見落としがあり倍の20箇所になりました」と再度声明文を出さなければならなくなっている。今度は検証者の先生がチヒさんに大迷惑をかけている。
訂正は数百箇所必要
そして何より、確実に 20箇所だけでは終わらない。さらに次の21-30、31-40、41-50 が待っている。まったく、いったいどうするのですか。
もともと監修者と全音担当者がきちんとしていればこうした新たな問題は起こらなかったわけで、時間が経てば経つほど問題がどんどん増えていく。
10箇所以上は訂正したくない全音
11-20を訂正表に加える必要がないと検証者の先生がおっしゃる具体的な根拠について、再回答をお願いしているにもかかわらず 現在(2022年5月20日)までお返事はありません。
そして全音は10箇所だけ訂正するけれど、それ以上は訂正したくないと。したい、したくないで決める問題ではなく、必ず訂正しなくてはいけない次の10点(11-20)です。
全音は10箇所だけにしておきたい。しかし真実は違う。10箇所ではなく、20箇所だけでもなく、数百箇所です。誤魔化してはいけない。隠そうとしてはいけない。第一、隠すことなど不可能です。でも全音担当者は隠せると思っていらっしゃるようです。
“見落とし” か “茶番” か
これは検証者の先生の見落としという “大いなるミス” なのか、それとも “とんでもない茶番“ なのか。私にはわかりません。
(2024年4月30日追記: 2年が経過しましたが、検証者の先生からのお返事は今日までありません。)
エキエル編ショパン・ナショナル・エディション日本語版、
一体何が起こっているのか《1》
一体何が起こっているのか《2》ーー私たち(国内外)の声を受け止めて
エキエル先生との出会い・ポーランド語をどのように学んだか・私の翻訳の師匠