コロナで〇〇〇〇〇はじめました
家の前の路地で、商店街で、駅のホームで。大人たちはどこかを目指して、何かを探している。その時間をただただ楽しんでいるだけの人もいる。公園では子どもたちが大きな声を上げて、はしゃいでいる。人の行動は以前とさほど変わらないのに、視界に入る人間の顔にはすべてマスク。私の目はそんな風に世界をとらえてしまう。冬になると、黒っぽいコート姿の群れが目に入って、気持ちが沈むのと似ているかもしれない。江戸っ子が入り乱れる多様な浮世絵を眺めるように楽しめばいいのに、赤白のボーダー模様を見つけては一喜一憂する「ウォーリーを探せ」みたいに、マスクにばかり目が行ってしまうのだ。
そんな光景にちょっと疲れていた6月のある日。在宅ワークが始まって2か月たった頃、ひさしぶりに出社すると、エレベーターで隣の部署の女性と一緒になった。傾げた首とはっきりとは聞き取れない発声で挨拶を交わす。私の意識はいつものようにマスクを捉えた後、自然と彼女の耳元に向いた。ボブカットのまっすぐな髪をかけ、マスクを支える耳に、大ぶりのイヤリングがちょこんとついていた。艶々と光る薄いグリーンのイヤリングは私の目をとらえて離さず、不思議な感情をもたらした。あまりじろじろと見るのは失礼なので、狭いエレベーターで目をそらした。「おひさしぶりです」「出社はいつ以来ですか?」などとささやきあいながら、マスクにもイヤリングにも話題を振ることなく、私と彼女はそれぞれの席に分かれた。
デスクに向かっても、脳裏には、彼女のイヤリングがちらついて離れなかった。顔の面積の半分が真っ白の不織布マスクで覆われた中でそれは、中東のどこかの街でモスクの外壁に嵌められた緑色の石のように浮き出て、太陽に照らされてみずみずしく輝いているかのようだった。行ったことないから想像だけど……。凛として、爽やかだった。彼女もそのまま、爽やかなまま記憶されるのだ。マスクだらけの世界で、彼女の顔のふちで光るイヤリングは、私の心を浮き立たせた。
私はだいぶオシャレに無頓着で、普段全くアクセサリーをしない。けれど、街にはいろんなファッションの人が歩いていてほしいようだ。自分が買わなくても、デザイナーには新しいファッションを生み出してほしいと思っているようだ。
おそらく、このマスク着用の風潮の中で、イヤリングやピアスをしなくなった女性は多いはずだ。外すときに引っかかるし、実際に失くしてしまった人もいただろう。在宅ワークかつステイホームな毎日で、外出の機会もぐっと減っている。だけど私は、マスク顔にうんざりしていた自分のもやもやを晴らす答えを見つけたような気がして、ひとり頷いた。
イヤリングというものをしてみむとするなりーー。
さあて、イヤリングってどこでどう買えばよいのだろうか。初めて彼女にプレゼントをあげる中高生のように悩み始めた。だいたいこのコロナ下に「試着」も心配だ。かといって、自分の耳にどんなものが似合うのかも分からない。自宅に戻った私は、Googleに「イヤリング」と入れてみた。意外にも単体の商品写真ばかりだ。耳に付けた状態の写真を見たかったのに……。
ネットは諦めて私は近所の商店街に出かけて行った。おぼろげに記憶していたとおり、イヤリングとピアスの専門店が1軒あった。値段も手ごろなので若者向けのお店だろう。色ごとにアイテムが並べられていた。好きな色は青だ。でも、青いTシャツを着る時に、青いイヤリングはどうなんだろうか?真っ赤な丸い石もけっこう気になる。イメージでいうと、チャイナ服と合わせそうなビビットなデザイン。でも、やっぱり着る服を選びそう……。会社で見かけたような大ぶりの石はあまり売っていなかった。あれはあれで初心者向きじゃない気がする。私の誕生石であるペリドットが緑のコーナーにあった。薄い緑の石はマスクの紐に引っかかってすぐにでも草むらに消えてしまいそうな気がした。高い買い物ではないけど、このコロナ下の景気づけの試みだし、そして何より自分の体の一部になるものなのだから、簡単に決められるわけでもない。今日中に決められるかしら?ちょっと弱気になり始めていると、紫色のコーナーに懐かしい名前を発見した。
アメジストーー。そう、2月の誕生石だ。20年以上前、私が高校の軽音部で所属していたバンドの名前でもある。「バンド名は、アメジストにするね」と2月生まれのボーカリストに、8月生まれのベーシストである私は言われ、「私も他の子も2月生まれじゃないし」という言葉を頭の上の方に泳がせながらも、反対するほど嫌なわけでもなく、「ペリドットにしてよ」という強い気持ちもなかったので、それを受け入れた。そして、ボーカルとギターの好きな、当時カリスマ的人気を誇っていたビジュアル系バンドのコピーに勤しんだ。今ではすっかり楽器も弾けないし、音楽も聴かない私にとって、「アメジスト」は、若気の至り、というか、しまい込んだ記憶である。でも確実に自分の一部だったモチーフだ(正直言うと「ネタ」としての側面のほうが強いが)。さて。私の冴えないマスク生活に色どりを与えるアイテムとしてはどうだろうか。マスクの奥で、ニヤリと笑って、私はアメジストのイヤリングを購入した。
初めてイヤリングを付けるわけでもないけど、この数カ月、コロナとは関係ないことをスタートすることもなかった。こんな風にワクワクするのも久しぶりだ。それからはちょっとした外出でもイヤリングを身に付けるようになった。
高校時代の友人に、「アメジスト」に再会したことを報告した。ネタとして。笑ってくれるかな、と思ったけど不発。そのあと、8月に誕生祝いとしてイヤリングが届いた。「モスアクアマリン」と「シトリン」という石で、転職活動するyukoinoueさんにぴったりの石言葉だよ、というメッセージをもらった。石言葉なんてあるのか……と驚きつつも、友人の気遣いにあたたかい気持ちになった。
11月に遠出をした先で散歩した。そこで作家さんが直売りするアクセサリーに出合った。作家さんは普段はパートタイマーでスーパーで働き、年に一度だけ場所を借りて作りためた作品を披露するんだそうだ。この作家さんのイヤリングは耳たぶにすっと挟むような構造だ。普通イヤリングは耳たぶに挟んだあとにネジで締め付けるけど、これは耳たぶにぐっと挟んだ後、耳たぶの弾力を利用して固定させるような作り。いつの間にか喪失してしまう危険性は高く、初心者の私にはどうだろうか……と心配になった。ためらっていると、「部屋の中でつけるのもアリですよ」と言われた。なるほど。ステイホームだからこそ、出かけた先でなくても日々オシャレすることと、その気持ちが生活を彩るんだなーーと納得した。
イヤリングをするようになった今年を振り返って思い当たったことがある。今日も私はマスクをして出かけるんだ――。そう思っていたからこそ、私には同じ「ウォーリー」しか目に入らなくなっていたのかもしれない。「ファッションは利便性じゃない。アイデンティティーだ」と、ふいに思い出して観た「プラダを着た悪魔」で誰かが言う。不織布マスクの利便性を重視する私には布マスクの選択肢はなかったので、イヤリングに活路を見出すしかなかったのもある。こんな形ではあるけど、オシャレとの付き合い方を見つめなおした2020年となった。
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