DAY3 時間が経ちすぎたけど、結局考えてみても行き着くところは一緒なのかもしれないって話。
「無」の期間を過ごしてみた
note再開し始めた頃から、ちょっと自分なりに自分の人生を見直し始めてみてて、思うことや考えたことを正直につらつら書いている。
それは備忘録のためでもある。
そんな期間を過ごしていて、自分なりには手応えがあったはずなのに、やっぱり周りから言われる一言一言になんだか傷ついて、なんだか影響されて、なんだかブレブレな自分がいて、
結果的に、何に悩んでんのかもわかんなくなって、何を問われているのかもわかんなくなって、
気づけばすごい乾いた涙が流れて、流したあとから「無」になった。
何を考えても考えられないし、もはや何を考えればいいのかもわかんなくなった。
誰とも話したくないし、誰にも会いたくなくなった。
その期間で一番顕著だったのが、車のBGMがうるさくて仕方なかった。
いつもだと爆音でなんなら歌いながらドライブみたいな状態が大好きなのに、その時ばかりは本当に大好きなアーティストの声や歌たちが「うるさかった」。
本を読め
そんな期間。それでも色々声かけていけていたのに、申し訳ないことではあるが自分に届いた声はほとんどなく、届くものは猛烈なネガティブワードのように聞こえたものだったりした。
そんなかでも唯一くらいに聞こえた言葉が「本を読め」だった。
子どものころから本を読むことは苦手だった。
両親も兄弟も本を読む人たちだったが、なんでかものすごい苦手だった。
本を読むより遊びたい。体を動かしたい。音楽聴いてたい。そういうタイプだった。
年を重ねるたびに読む本の数は明らかに増えた。
なんでかと言われると、わかんないけど、人の考え方とかを「おもしろい」と思えるようになったからな気がする。
でも根本的に苦手だから、3〜4回読まないと内容入ってこない時もあるし、買って満足して最後まで読めてない本はたくさんある。
とにかく何かわかんないけど、変わんなきゃいけないって思ってたから、唯一聞こえた「本をよめ」だけは実践しようと思った。単純で良かったって心から思う。
「無」の期間に4冊の本を買った。
*「言葉にできる」は武器になる。
*「もう傷つきたくない」あなたが執着を手放して「幸せ」になる本
*反応しない練習 あらゆる悩みがきえていくブッタの超・合理的な「考え方」
*精神科医Tomyが教える 心の荷物の手放し方
タイトルだけで、どんだけの精神状態か見てわかる感じがもはやウケる。
書いてあることは、私がいつもどうしようもなく悩んだ時に相談する、同友会の事務局長に言われる言葉ばかりだったように感じる。
ほんといつも「聞こえてなかった」んだろう。聞こうともしてなかったのかもしれない。ほんと情けない。局長にあったら気づきを伝えよう・・・。
執着を手放す。
Day1で言った通り「こうでなきゃいけない」っていう思いが強い私は、つまりは執着がすごいんだということもわかった。
執着ってなんかこう簡単なことじゃなくて、人とかモノとか状況に心が囚われちゃって、離れようとするとネガティブなことしか思いつかないような気がして離れようとしない状況って感じだと思っている。
つまりは、人とかモノとか状況について「こうでなきゃいけない」って思い込みのこと。
そこにある感情はすべて「ネガティブ」なんだって。
わかるわかる・・・ハイパーネガティブだったもん。最近特に。
次に出てくる謎ワード「手放す」
手放すことがやっぱり怖い。。そんでもって「手放す」って何よ?!
そんなこと思ってたけど、本に書いてあった。
「手放すと別れるは違う」
・・・あ、へぇ。。てなった。
さらに書いてた。
「感情を手放すことは、執着する前の、最初の状態に戻すこと」
手放すってことは「さよならすること」だと思っていた。
だから執着しているあれこれを、全部「さよなら」して、孤になるんだと思ってた。違ったらしい。
逆に手放せないものはなにか?
こんなことも本の中にあった。
「最後に残った手放せないもの。それこそが生きる意味」
生活していく中で、「自分はどうしたいの?」を問うことが増えた。
でもいつも答えが出てこない。
やりたいことリストのようなもの書いたって、20個くらいで限界が来る。
そもそもの自分のモヤモヤの根源、そこなんじゃないか??
今日の時点での到達点はここ。
自分軸で生きる
まだまだ読んでいる途中なんだけど、
「執着」「手放す」系の本に必ず出てくる「自分のために生きる」的な文言。
苦手意識しかないわけだけど、今そこをふかぼっている最中のわたし・・・。
次回はそんな話が書けるようになるといいなと思っている。