本当の自分|「私とは何か―『個人』から『分人』へ」を読んで
平野啓一郎さんの「私とは何かー『個人』から『分人』へ」を読みました
英語だと、「個人 = individual」
語源で見ていくと
in+dividual → 「divide (分割)できない」という意味になりますよね
では、個人とは分割できない最小単位なのか?
いや、そんなことない、自分は所属するコミュニティやグループ、一緒にいる人によって変わり、複数の自分が存在しているぞ
つまり、個人は分けられる!!!!
individual ではなく dividual (分人)だー!!!
という、言われてみれば「まさに!」というとても面白い本でした
そして、アイデンティティ・クライシスに陥った時に救われる考え方を提示してくれている本だと思います
悩めるティーネイジャー時代の自分に何か1冊おすすめできるとすれば、まさにこの本を選ぶでしょう
私は10代前半、女子グループに「こうもり」というニックネームを付けられ、悪口をたたかれている時期がありました
※ "こうもり" とは、鳥の前では鳥にごまをすり、爬虫類の前では爬虫類にごまをすると言い、どちらの前でも良い顔をする八方美人のような人
厳密に言うと、天真爛漫少女だった私には、「休み時間は特定の数限られた友達と行動をともにする」という暗黙ルールがなかっただけなのですが
私にとってはこのいじめがかなり辛かったのですが、なぜそんなに辛かった訳は、「複数の自分をもつ」という人間の本質的特徴を否定されたからなのではないかと、この本を読んで気づきました
したがって、当時の私は、仮面をかぶり、自分らしさとやらを可能な限りすべて隠し、精神の死んだ学校生活を送ることになります
とにもかくにも、この自分にとってはなかなか忘れがたい出来事をきっかけに、まさに、自分ってどんな人間だ?と考える癖がついたのでした
そのおかげか、結局大人になって、自分の性格上、基本的に多種多様な人とコミュニケーションとるのが好きなので、"こうもり"ではありませんが、カメレオンのように、自分の複数の趣味・興味・専門性に合わせて「変化する自分」「複数の自分」を積極的に楽しめるようになりました
そして、"複数性 (plurality)" にこそ自分らしさがあると考えるようになっていました
偉大なる哲学者ハンナ・アーレントは、複数性の中にこそ真実が浮かび上がってくるのであり、絶対的真実など存在しないと言います。そして、複数性が否定される世の中こそが、ナチスがユダヤ人民族浄化をしたような暴力(全体主義)の根源であると。
私はこの考えを学んでから、自分の中でも、人との関係の中にも、複数性を大切にしたいという意思が生まれ、それからはとても自由になりました
この作品は、お友達の作家さんが私をモチーフに作ってくれました
この作品に自分で「分人」というタイトルをつけました
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