動静脈奇形の告知から、その後の経過(1993〜2011年)
U先生に「あなたの病気は難病だけど仲良く付き合えばいいんだよ」と言われて以来、私はごく普通の学校生活を送りました。
そして20歳になる頃、1993年の夏休みに病変の一部を切除する手術を受けました。
就職して社会人となり、特に支障なく働いていましたが、2000年に右手親指に潰瘍ができ動脈性出血。再び入院して硬化療法と塞栓術(橈骨動脈を縛る)を受けました。
そんな経過を辿っているうちにU先生は高齢となり引退。
U先生の後輩にあたるT先生に経過を診ていただくことになりました。
2010年頃に再び右手親指に潰瘍ができましたが、
①潰瘍にフィブラストスプレーという褥瘡治療薬を噴霧
②ゲンタシン軟膏を塗布したトレックスガーゼで潰瘍を覆う
③さらにその上に普通のガーゼで覆って包帯で保護
という処置を外来でも自宅でもひたすら繰り返し、痛みは神経性疼痛の薬でコントロールし、約2年かけて上皮化。動脈性出血は回避できました。
ちなみにその頃の私は、2009年に個人事業主として独立し、いろいろな企業の人材育成の仕事をしていました。
独立当初は仕事の依頼がなく、非常に厳しい状況でしたが、おかげさまで次第に人の縁に恵まれ、2010年はそこそこ忙しい日々を送っていました。
その一方で、動脈性出血のリスクや潰瘍の痛みを抱えてもいたわけで、今思い返してみると実にタフだったなと、当時の自分をヨシヨシしたくなります。
でもタフでいられたのは、私がどんな病気であろうと私を信じて仕事を任せてくれた当時の仕事仲間やお客様のおかげ。
そして、勝手に独立して個人事業主となった私を咎めることなく見守ってくれた両親のおかげ。
仕事を通じて社会生活を送っていたからこそ、自分の病気をさほど思い悩むことなく日々を過ごしていたのだろうなと、最近とみに思います。
2011年、10年ぶりに再会した学生時代の友人と結婚。
この頃から仕事の依頼も増えてますます忙しくなり、公私共に充実感を得ていました。
〈次回へつづく🎵〉