まさかの緊急手術➀(2023年10月20日)
【注意⚠️】この記事は出血・処置等の生々しい描写があります。苦手な方は精読をお控えください。
2023年10月20日。
その日はいつもの形成外科外来受診日でした。
入院・手術(血管内治療)直前の外来受診日で、潰瘍や出血の状態を確認しドレッシングしてもらって、「では10月24日に入院し、翌日手術でお世話になりますのでよろしくお願いします!」と形成外科のA先生に挨拶する日
……のはずでした。
ところが10:00頃に診察室に入り、A先生と会話しながらドレッシング材を取ってもらった瞬間、またまた動脈性出血したのです。それは「ピュー」ではなく「ドバ〜」という勢いでした。
※誤解のないようお伝えしておきますが、A先生のドレッシング材の取り方が動脈性出血を招いたのではありません。当時の私の右手親指は皮膚の状態がみるみる悪化しており、いつどんなきっかけで出血してもおかしくないほどだったのです。
A先生はすぐさま圧迫し、私に診察室のベッドに横になるよう促しました。
診察室にはいまだかつてない緊迫感が漂い始めました。
それまで頻発していた動脈性出血と比べて最も出血の範囲が広く、かつ勢いが激しいのです。
右手親指から出血していることだけはわかっていたものの、出血箇所をピンポイントで特定できていたわけではなく、A先生が確認のために圧迫止血の手を一瞬だけ緩めようとすると、尋常じゃない勢いで血が噴出。
A先生は圧迫止血を続けたまま看護師さんを呼びました。
「放射線科のB先生と会話したいんで、内線してくれる?」
看護師さんは、血の海になっている診察室を見て「あらー」と驚きながらも、すぐに対応。
そしてA先生がB先生に内線電話で状況を説明し、それを聞いたB先生が診察室に駆けつけてくれるまでの間、A先生が私に言いました。
「今日はこのまますぐにB先生に手術(血管内治療)してもらいましょう。予定早まっちゃったけど、こんなに出血しているから急いだ方がいい。今は命を優先させないと」
私も「はい、ぜひお願いします」と即答しました。
もはや他の選択肢などありません。このままだと出血性ショック死に至る可能性大なのですから。
診察室に看護師さんや形成外科の先生たちが集まり、「今日はもう外来中止だね」とやり取りしたり、診察室前に立入禁止っぽいパーティションが設置されたり、辺りはますます騒然としていく中で、放射線科のB先生が診察室に到着。
B先生は「あーこれは大変だ💦」と言いつつも、「岸川さん久しぶりだねー元気?」「準備して待ってるねー🎵」と、相変わらず軽やかに声がけして、診察室を出て行きました。
でも、緊急手術とはいえ、このあとスムーズに手術室(正確には「血管撮影室」)に行けるわけではありませんでした。
まず、動脈性出血を止血しないといけません。
また、至急採血して血液検査してもらったり、点滴のルート確保をしてもらったり、ブロック麻酔をしてもらったり、術衣に着替えさせてもらったり、同意書を準備してもらったり等、それはそれはやること満載です。
肝心要の止血については、
①右脇の下をエコーで診ながら腋下ブロック注射(局所麻酔)。
②手術室から「ターニケット」という血圧計のような器具とでっかい機械を運んでくる
③「ターニケット」を右上腕に巻き、ギューーっとかなり強く圧迫して駆血→動脈性出血を一時的に止める。
③A先生が出血箇所を縫合し、包帯等で圧迫。
こう書き下してみると簡単な工程に見えますが、実際には形成外科の先生たちが数人がかりで慎重かつ大急ぎで処置してもらいました。
特にA先生は約40分間、時折自分の握力ダウンと闘いながら圧迫止血の手をずっと離さずにいてくれましたから、ターニケットで駆血に至るまでは、さすがのA先生も恐怖や焦りと闘いながら冷静な判断・指示をしていたにちがいありません。
一方、私はベッド上で一切動けず、形成外科の先生たちや看護師さんのチームワークにお任せすることしかできません。
そのせい、というかそのおかげで、私自身の脳内ではあらゆる人たちのことが駆け巡っていました。
まず旦那さんに電話して状況伝えておかないとな。迷惑かけて申し訳ないな。あ、今朝干した洗濯物を取り込んでもらわないとな。
旦那さんには私の実家にも連絡してもらわないと。特に実家は大騒ぎになるだろうな。
会社のメンバーにも、緊急手術になったことをLINEしておかないとな。ますます心配かけるなぁ。
お客さんにも連絡しておかないとな。みんなそれぞれ大変だし、まだまだ話したいことたくさんあるんだよなぁ。
友達とも、ご飯を食べに行こうねって約束したままになっちゃってたなぁ。
先生たちもこうして私の命を守ろうとチームワークで動いてくれてるんだから、私もこのチームの一員としてこのヤマを乗り越えて、早く元気になってみんなに会いに行かないとなぁ。
こんなふうにいろんな人たちのことが頭の中を駆け巡ったとき、つくづく感じました。
独りで生きてはいけない、生かされてるって、こういうことなんだろうな、と。
多くの人はとっくに気づいておられることなのかもしれませんが、私は齢50にして、この病気によってやっと気づかされた。
生かされていることのありがたみは、このときのように「自分は何もできないし動けない」という状況に置かれないと、気づかないのかもしれません。
騒然としながらも着々と緊急手術に向けての準備が進められました。
ベッドに寝た状態で手術同意書にサインをしたり、輸血の可能性等の説明を受けた後、診察室のベッドからストレッチャーに移動。
その時、ふと診察室の床を見たA先生は呟きました。「まるで殺人事件現場のようだ…」と。
私はずっとベッド上に居たので床を目視できませんでしたが、それほどの大出血だったということでしょう。
そんなこんなで、前述のターニケットやら点滴やらいろいろなものに繋がれた状態で、12:00頃にようやく血管造影室に運んでいただいたのでした。
<次回に続く🎵>