狐
ふわりと浮いた。傘を差して歩いていたはずだが。
傘と言っても日傘だ。
コンビニを出てすぐ甘酸っぱいドリンクを飲んで信号を待つ。この通りは久しぶりに歩く。途中川もあり、木の葉がかかる橋の手すりを見ると、名の知らぬ虫がいた。
確かに歩いていた。通り過ぎた車の色も覚えている。すれ違ったおばちゃんたちの会話すらも。
ここはどこだろう。静かに流れる水の音。チョロチョロと心地よい音。さっき飲んだドリンクの香りとは似ても似つかないような、青っぽい匂い。好きだ。
遠くでゴロゴロと何かの鳴く声。猫撫で声というものだろうか。いや知らない。猫は飼ったことがないし、そもそも私を見ると皆逃げて行く。
声が近づく。
身を潜めて、なるべく静かに息をする。心臓の音が聞こえる。眠れなかった日の朝みたいな感覚だ。一体何の声なのか。
ゴロゴロ、クワーン。
奴が姿を現した。思ったよりも大きい。私はまた宙に浮く。お決まりのパターンだ。どうせ夢なのだろう。最近の眠れなさ具合に慣れきって、夢も現実もどうでも良くなっているのだ。フワフワする。
ゴロゴロ、グルル。
このまま食べられてしまうのだろうか。まあそれでも良い。行くあてもなく日差しの中歩いていたのだ。いっそ誰かの餌にでもなり、少しは役に立って人生を終えたい。さあ、煮るなり焼くなりかぶりつくなり好きにしてくれ。目を閉じる。
コンコン、コンコン。
冷たい。何かが頬に触れている。
それから、甘い香り。あのドリンクを飲み干した後みたいな香り。まだ生きているようだ。
じわりと目を開ける。隣にいたのは彼だった。
また迷惑をかけてしまった。おしぼりを掴んで彼の大きな目を見つめる。狐とは似ても似つかない、二重まぶたでタレ目の彼。オレンジジュースの染みのついたTシャツ。起き上がるとはらりと何かが落ちた。笹の葉。
振り返る。拗ねたように丸まっている彼の背中には、猫のシルエット。日傘は玄関にある。笹の葉が挟まったまま。
「ねぇ、お願いごとしよっか。狐さんに。」
振り向いた彼はコンと言った。