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エジプト旅行④ l 巨大岩窟アブシンベル神殿。これを移築したとは。。砂漠の蜃気楼もすごかった。
4日目はこの旅で一番早起き。4時過ぎに起きて、5時にはチェックアウトしてホテルを出る。
5時に出発というのは遅い方らしい。ヨーロッパ人は3時に出てるとか。
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出発時、砂漠で日の出が見えるよーと言われて一瞬楽しみにしていた。
しかしミニバンで体を伸ばして休めたため、ありがたいことに道中爆睡だった。
起きたときには休憩場所のカフェに着いていた。
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砂漠の途中のカフェテリア Tourist cafeteria
アスワンからアブシンベルに行く道沿いにある休憩場所。トイレは有料だが、コーヒーやお菓子も買えてありがたい。陽気な音楽が流れてみんなタバコを吸っていて、異国情緒がある。
朝はまだ涼しくて見えなかったが、昼過ぎにアスワンに戻る時には気温が上がって砂漠に蜃気楼がくっきり見えるそうだ。
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ちなみにエジプト人は結構タバコを吸う。ガイドさんもみんな吸っていたし、道行くおじさん達も吸っていた。南インドは吸う人がいないので、「ちょっとタバコ」と言って席を立つガイドさんを見て日本が懐かしくなった。
日本やアメリカはかなり厳しく喫煙場所が制限されているが、エジプトではどこでも吸い放題。
「アルコールがないから、それくらいしか楽しみがない」らしい。でも吸い殻が道に落ちてるのは良くない。
アブ・シンベル神殿 معابد أبو سمبلل
4時間弱のドライブでついに、エジプトの最南端にそびえる巨大な岩窟神殿に着いた。
この日は10月25日で、快晴。着いた時はまだ朝早かったのでそこまで暑さは気にならなかった。真夏に来ると50℃を超える日もあるらしい。恐ろしい。今まで私が経験した中で一番暑かったのが学生時代に行ったアンコールワットだが、それでも50℃はなかったと思う。
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左から「異国の支配者たちの太陽」
「2国の支配者」
「アメン神に愛されし者(ラメセス・メリィアメン)」(ラムセス2世が最初に与えられた名前)
「アトゥム神に愛されし者(ラメセス・メリィアトゥム)」(最後に与えられた名前)
という、像の名前が肩に彫ってある。
なので時代順というわけではないようだ。
ちなみに入り口向かって左にはヒッタイトの王女とラムセス2世の婚約碑がある(写真撮りそびれた)
エジプトではすごく珍しく、雪が降ったという記載があるらしい。
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複数のカップルで来たイタリア人が順番に長くて濃厚な写真を撮っていて、この撮影スポットがなかなかあかない。
写真や映像で見ても十分きれいなのは想像できるのだが、実際その場に立つと圧倒的な存在感で、周りの深青の湖と透き通る青い空、薄茶色の岩が実にきれいなコントラスト。どこを切り取っても絵になる。
いまだからこそアスワンハイダムによる人工湖があり、道路もできてアクセスしやすくなったが、実際造られた時代には砂漠のど真ん中にただ巨大な岩山があるというだけ。
ラムセス2世はエジプトの国力を示すために、敢えてこんな難しい場所に巨大な神殿を建てたそうだ。
アスワンハイダムが出来てからこの神殿がもともとあった場所は湖の底に沈む運命だったが、ユネスコで各国が協力して今ある場所に移された。
ユネスコでの移築計画の際、各国を代表する考古学者が案を出し合ったそうだ。例えばフランスは場所を移さずに周りを高い塀で囲む案を出したそうだが、それだと太陽の光が神の像のある奥まで入らないということで、却下されたらしい。
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入り口のドアには大きな鍵を持った門番のお兄さんがいる。
この鍵と写真を撮るとお金を要求されると聞いたが、みんな普通に撮っていた。
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入ってすぐの列柱の部屋には、オシリス神の姿をした高さ10mのラムセス2世の立位像が8体ある。向かって左側にはカデシュ(現在のシリア)の戦い、右側にはヒッタイトの戦車2500に対して1人で立ち向かい、敵をバッサバッサ倒すラムセス2世が描かれている。そんなバカな。
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この時代にそういうことはほとんどなくて珍しいらしい。
カデシュの戦い、エジプトではラムセス2世の圧勝と言われているが、実際はそんなことなかったらしい。ヒッタイト軍の方が圧倒的に軍兵の数が多く、エジプト軍はかなりつらい戦いを強いられた。
ともあれ、政治的には「世界初の和平条約」が結ばれ、歴史的な大イベントであった。
奥に行くと側室があって、いろんなレリーフが綺麗に残っている。
貢物してる系の絵がいっぱいあって面白かった。
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さらに奥に行くと有名な4体の像のある至聖所があり、大混雑おしくらまんじゅうである。「見たら早く動く!順番に!」などと誘導する大きな声がしたが、ガイドさんではなく一般の観光客。
以前はガイドも入っていたが、あまりに混雑するので、こういった遺跡の内部でのガイドは禁止されている。なので、入る前に遺跡の前で全部の説明を聞くのだ。
年に2回、朝日がここまで入る日があり、それこそ日の出とともに超大混雑らしい。
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朝日に照らされるのは、2/22 と 10/22
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第18〜19王朝についてざっくりと
ここでちょっと古代エジプト王朝について復習したい。
思うに、エジプト観光するにあたって最低限知識が必要なのは、最初の方のピラミッド関連の王たちと、第18王朝と第19王朝だけだろう。
カイロ(旧メンフィス)では第1王朝のエジプト統一した王(ナルメル)とピラミッドを作った第3王朝の王たち(ジェセル、スネフェル、カフ→カフラー→メンカウラー)の名前がよく出てくるが、それ以降は第18王朝と第19王朝がメイン。
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第18王朝(エジプト新王国時代の最初の王朝)
第18王朝は、古代エジプト文明が最も栄えたエジプト新王国時代の最初の王朝である。この時代にエジプトは再統一され、記念建造物が多く造られ、すごく盛り上がった。都はテーベ(現在のルクソール)
古代エジプトの代表的な王がたくさんこの王朝に属している。
有名な登場人物
・ハトシェプスト
女性としては初めてエジプトに実質的な支配権を確立したファラオとして知られている。
夫のトトメス2世が遺言で義理の息子トトメス3世を後継者に指名したが、うまいことやって自らが王になったそうだ。即位については、夫の遺言でトトメス3世を無視してファラオの地位まで登りつめるほどの野心家であったと見るか、夫の遺言を守るために幼い継子が成人するまでの「つなぎ」を果たそうとしたと見るかで、諸説ある。(wikipediaより引用)
ファラオとしてなめられないように、男装していたとか。
治世は穏健で、戦争を好まずに平和外交によって統治した。
・トトメス3世
義理の母、ハトシェプストのあと王位を継いだトトメス3世。
エジプトを拡大することに頑張ったファラオの一人で、好んだ戦術は、国家が完全に屈服し投降するまで、その最も弱い都市または州を1つずつ狙い撃ちして征服していくことだった。よって、彼の作戦のほとんどにおいて、敵国は都市ごとに各個撃破され、服従されるまで攻撃され続けたそうだ。
彼の軍事方針は、東はシリア南部とカナンのアジア地域、南はヌビアに広がる国を造ることであったとされ、実際に征服したことによってエジプトを国際的な超大国に変えた。(wikipediaより引用)
そんなところから「古代エジプトのナポレオン」と呼ばれたりする。
ちなみにトトメス3世はハトシェプストが亡くなってから、葬祭殿のハトシェプストのレリーフから顔を削り取ったり、像を破壊したりしているのだが、怨恨以外の説もいくつかあるようだ。ハトシェプストとトトメス3世の仲は良好で、事跡を抹消したのは女性であるハトシェプストがファラオとして君臨したことを快く思わない者たちではないか、という説もある。
ちなみに「スフィンクスを掘り出して修復すれば王の座を与えられる」というお告げを聞き、見事ファラオの座に就いたトトメス4世は、このトトメス3世の孫にあたる。
・アメンホテプ3世
トトメス3世、トトメス4世の時代を経て絶頂に達した王国を継承したアメンホテプ3世。在位期間も長く、40年近くだったそうだ。
アメン神を篤く崇拝していて、テーベ(現ルクソール)にカルナックのアメン神殿と直結する分神殿としてルクソール神殿を建設している。
自分自身の葬祭殿もルクソールに建設しているが、後に後代の王たちによって破壊されて、メムノンの巨像と呼ばれる彼の坐像のみが残っている。(wikipediaより引用)
・アメンホテプ4世 (アクエンアテンに改名)
世界初の一神教ともいわれるアテン神信仰を追求したアメンホテプ4世(アクエンアテン)
自身の名前も、アメンホテプ(意味:アメン神は満足する)から、アクエンアテン(意味:アテン神に有益な者)と改名したのだ。
自分が一神教にのめり込むだけではなく、他人にも他の神の崇拝を認めず、偶像崇拝も禁止した。以前からある神殿のアメン神のレリーフを削り取ったり、名前を書き換えたり、アケトアテン(現在のテル=エル=アマルナ)に遷都したり、ヘンテコな形の神殿を作ったりした。
アテン神に傾倒するあまり国民の支持を失い、またトトメス3世の時代から維持してきたアジア植民地に注意を払わず、治世末期にはエジプトは大きく領土を減らしたそうだ。
これだけ聞くとちょっと。。。な人だが、彼はアマルナ美術を広めたファラオとして評価されている。革新的で自由な表現をもつ美術で、妃ネフェルティティの像、息子ツタンカーメンの王墓から発見された黄金のマスクなどがその代表作だ。生き生きとした写実性が特徴。
アクエンアテンは、それまでの古い形式ばった表現よりも、見た「ありのままを描く」ことが美術だと考えた。太陽神アテンをシンプルな日輪のみにしたことからも彼の考え方が伝わってくる。それまでのエジプトでは、神は人間と同じ形か、人間のからだ+動物の頭部という形で表現されてきたので、それを変えたかったのかもしれない。
一神教という思想をはじめたり、西洋美術史における写実主義や印象主義を思い起こさせるような美的感覚を主張したりしたのは、記録に残っているかぎりこの時代ではアクエンアテンだけだと思う。時代が時代なら大成功してもっと違う形で後世に名を残したのだと思うが、おそらく考え方が、早すぎたのだろう。
ちなみに、アクエンアテンは昔はマルファン症候群だという説も上がっていたそうだが、ミイラが見つかって、かならずしもそういうことではなかったようだ。アクエンアテンの像に見られる特徴的な顔つきや両性具有を思わせる体つきは、王族を崇拝するための誇張であるという話だ。
↓参考
・ツタンカーメン (トゥトアンクアメン)
ツタンカーメンは生まれたときの名前はツタンカーテン(トゥトアンクアテン)。なぜなら父親であるアクエンアテンがアテン神のみ崇拝していたので、「アメン」の入った名前はつけなかったのだ。
でもこの父の死後、エジプトはすぐに伝統信仰へ復帰し、王名がトゥトアンクアメン(「アメン神の生ける似姿」、ツタンカーメン)に変更された。
彫られた名前や、この一文字違いの「アメン神」と「アテン神」のレリーフはその都度削られたり掘り直されたりしたらしく、振り回された人たちは大変だっただろうなあと思う。
第19王朝(エジプトがオリエント最大の国家の一つとして栄えた時代)
さて、第18王朝はアクエンアテンが宗教にのめり込んでしまって政治・外交が荒廃し、ツタンカーメンの時代にもなかなか立て直すことができなかった。後半には王統が断絶したと考えられている。
元将軍であった最後の王ホルエムヘブはその混乱を克服し、宰相ラムセス1世を後継者に指名したことで、彼が第19王朝を開き、新王国の繁栄はなんとか継承された。
ラムセス1世はすぐ亡くなったため、息子のセティ1世が頑張った。
・セティ1世
名前がまず「セト神」からきているところがすごいらしい。
セト神は、エジプト神話で主に悪として描かれる。兄であるオシリス神を殺しバラバラにして捨てた、粗暴な性格を持つ戦争を司る神。だがこの時代には、どうやら軍神として信仰の対象だったらしい。とにかく強くて、軍事力で国を引っ張るというパワーが必要だったんだろう。
セティ1世はアクエンアテンの時代に荒廃したエジプトの復興に努め、国力の充実も図った。海外遠征にも力を入れ、パレスチナへ侵攻、西ではリビュア軍を撃退し、南はナイル川の第四急流(現スーダン)までを支配するに至った。(Wikipediaより引用)
彼の息子、ラムセス2世の代におけるエジプトの大繁栄は、セティ1世の安定した治世のおかげといわれている。
・ラムセス2世
セティ1世の息子、ラムセス2世は、アブシンベル神殿を始めとしてエジプト史上最大の建築活動を行った王であり、父が中途でやり残したいくつかの神殿の建設を引き継ぎ、また全国土に渡って大規模建築を残している。ラムセス2世の治世初期は、父王時代と同じく対外遠征が熱心に行われていた。
中でもヒッタイトとのカデシュの戦いは有名で、戦いの様子は話がお互いに盛られていてよくわからないが、政治的に世界で初めての「和平条約」を結んだということは歴史的にとても大事なイベントだ。
この条約によってエジプト王ラムセス2世と、ヒッタイト王ハットゥシリ3世は領土不可侵、相互軍事援助、政治亡命者の引渡しを約し、ハットゥシリ3世の娘がラムセス2世の後宮に輿入れした。
ちなみにこのラムセス2世は大変長生きし、90歳まで生きた。
100人以上の子どもがおり、亡くなったときに王位を継いだのは13番目の子メルエンプタハだったそうだ。12番目までは亡くなっていたということだ。しかもそのメルエンプタハも王位を継いだ時すでに60歳を超えていたとか。
ラムセス2世が亡くなってからは、だんだんエジプトは衰退しはじめる。
その後はけっこう飛んでアレキサンダー大王が出てくるくらいまで有名な話はなくなる。
小神殿 Temple of Nefertari
さて、90歳まで生きて子どもが100人以上いたラムセス2世には正妃が8人いた。側妃は100人を超えているそうだ。
中でもラムセス2世が一番気に入っていたのは最初に王妃となったネフェルタリ。この神殿はネフェルタリのために建てられた神殿だ。アブシンベル神殿と並んでいるので、それぞれ大神殿、小神殿と呼ばれたりもする。
王妃のためにファラオが神殿を建てるというのはエジプト古代史上初だったらしい。アブシンベル神殿と比べると小さいが、こちらも十分見応えがある。
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王妃が王の像に挟まれている感じで左右対称に配置されている。
足元には二人の子どもたちの像が彫られているそうだ。
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彼女は「王の娘」の称号を持っていないので、王族出身ではなく、エジプト貴族の一員であったらしい。
ネフェルタリの墓で発見された球飾りの装飾に前王朝のファラオであるアイ(ツタンカーメンが即位したときの大臣であり、最終的に後継者となる摂政。高齢のため王位継承後わずか4年で亡くなった)の名前があったことを根拠に、彼女がアイの孫娘だったのではないかという説もある(wikipediaより引用)
また、彼女は高度な教育を受けており、王や書記官にのみ許された聖刻文字の読み書きが出来たそうだ。
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小神殿側にはカフェがあって、湖を見ながら休憩できる。
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アブシンベル神殿を十分満喫したあと、また同じ道を車でアスワンへ戻る。
本日はアスワン駅から列車でルクソールに移動する。
蜃気楼が見えた。
行きに寄った休憩のカフェにまた寄って、言われた通りに広大な蜃気楼が見えた。砂漠の砂が熱せられると見えるので、昼すぎくらいがちょうどいいらしい。
初めて見たので感動した。
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ローカルレストラン Abeer Resturant
さて、アスワンに戻ったあとは、人気のローカルレストランへ行った。
ここはローカルでなかなかいい雰囲気だった。自力で来るのは難しそう、と思ったら、日本人女性二人組が出てきた。すごい笑顔でスタッフに声かけていていい感じだった。外国でたまに見かける日本人が笑顔で雰囲気がよいと嬉しくなる。私もそうありたいと思う。
テーブル席は狭い通路の両側に小分けになった部屋がいくつかあるが、混んでいたので外の席に案内された。エイシ(ピタパンみたいなもの)とパンや野菜をディップするタヒーナ(ソース)が美味しい。チキンも柔らかい。ライスを腸詰めした食べ物が美味しかった。イカ飯みたいな。
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駅前のマーケット Aswan Old Souks
食後、列車の時間まで少し時間があったので、腹ごなしにアスワン駅近くのローカルマーケットを歩いた。
お土産、パン、ケバブやチキンの丸焼き、スパイスなど、いろんなお店が並ぶ。このマーケット内に割安なホテルもあるが、夜が1番賑わうらしく、周りの騒音で眠れないそうだ。
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アスワン駅 Aswan Railway Station
周囲にレストランや賑わうマーケットもあり、出発時間まで色々と見て回れる良い立地にある。
観光地と同様、駅構内に入るときに荷物検査がある。
列車やホームは古いため劣化は目立つが、席は思ったより広くてクーラーも効いている。構内やホームに売店がありお菓子やパン、飲み物が購入できる。電車は遅れることが多いらしいが、ルクソール行きの夕方の列車は時間ぴったりに出発し快適だった。
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ルクソール駅 Luxor Railway Station
駅のシンボルマークがかっこいい大きな駅。周りも賑わっている。
アスワンと比べると、都会感があってガヤガヤしている。
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ルクソールのホテル Steigenberger Resort Achti
ホテルはナイル川沿いの Steigenberger Resort Achti へ。
清潔で広いホテル。屋外プールもある。
快適だったが、強いて言えばシャワーのお湯がもうちょっと熱いとなお良い。
敷地内にお土産屋アーケードがあり、ハワイのホテルのような雰囲気。
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明日は7時発なので、久しぶりにホテルでゆっくり朝食がとれる。楽しみだ。
ルクソールを全部見て回るため、この旅で一番忙しい日になりそう。
夜はあまりお腹がすかなかったのでお昼の残りをホテルで食べようと思っていたら、すぐに寝てしまった。