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私の人生が「大好きだった」と言えるように


私が花音カノンちゃん(仮名)と出会ったのは、立春の頃。まだ寒さが厳しい時のことだった。

6歳の彼女は、病気で余命数カ月という状態。できる治療が無く、自宅で最期の時間を過ごすこととなり、訪問看護の依頼が来た。花音ちゃんの担当看護師を、私がすることとなった。


花音ちゃんと出会った日、私は彼女に「どこか行きたいところはある?」と聞いた。最期の時間を良いものにしたいと思った。『やりたいことは何でも叶えてあげたい』という気持ちだった。

しかし、彼女は首を振った。病気の影響で動かしづらくなった唇をゆっくりと開き、小さな声で「お う ち に い た い」と言った。

そうか。
今まで長い闘病生活を送っていたもんね。お家の時間が大切だよね。胸がキュウっとなった。

「そっか、じゃあお家で楽しいことしよう!何が好き?何か作ることとか好きかな?」そう尋ねると、彼女は大きく目を開き、コクッとうなづいた。「次訪問の時に、遊び道具持ってくるね」と、約束した。


その日から、花音ちゃんの家に訪問する日々が始まった。

製作アイテムを持って行き、折り紙を折ったり破ったり、アロマを楽しんだり、絵本を読んだり…。

私は『今日は花音ちゃんとどんな時間を過ごそう?』と、いつも考えていた。彼女のくにゃっと笑う笑顔に、癒されて、私がいつも元気をもらっていた。

***


「花音は学年で誕生日が最後のほうだから、いつも誕生日が来ることが待ち遠しくて、楽しみにしていたんですよ。」

ある日、花音ちゃんのお母さんが話してくれた。
3月は、花音ちゃんのお誕生日があるのだ。

「そっかそっか~!お誕生日楽しみだね!プレゼント何がもらえるかなー?」そう話しかけると、彼女は照れながらニコニコしていた。


余命はあと1~2か月。
目に見える形で日に日に体力のレベルは落ち、もう先が長くないことが予測されていた。
でも、せっかく楽しみにしていたお誕生日は、絶対迎えさせてあげたい。
私も、家族のみんなも、そう感じていたのだと思う。

何より、花音ちゃんが一番、お誕生日を迎えたいと思っているだろう。彼女の口から直接聞いたわけではないけれど、にじみ出ている、強い願いを感じた。


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桜が満開になる少し前、花音ちゃんは無事に7歳のお誕生日を迎えた。

お誕生日の日、ちょうど訪問看護の訪問日だった。手作りのお誕生日カードを渡し、一緒にお祝いした。花音ちゃんは横になった状態で大きく目を見開き、ぱっちりと瞬きをしてくれた。


実は、数週間前から急激に体の機能が低下し、横になっている時間が多くなっていたのだ。声はほとんど出すことができず、アイサインと微かな口の動きでコミュニケーションを取っていた。

お母さんが、「どこか行こう?って誘っても、『行かない』って言うんです。」と寂しそうに言った。お家で過ごす、静かな誕生日だった。


その翌週、桜が満開のピークを迎えていた頃に、花音ちゃんは亡くなった。週末、近くに桜を見に行こうと計画していた矢先のことだった。


医師の話によると、状態が悪くなってからこれだけ長く自宅で過ごせたことは、花音ちゃんの病気の経過からすると本当に珍しいことだそうだ。


亡くなってからしばらくして、私は弔問に伺った。本当に素敵なお写真が飾られていた。その周りには、花音ちゃんが大好きだったブルーやラベンダー色の花が咲き乱れていた。

「先生から、”花音は120%で生きていた”と聞きました。よく頑張ってくれていました。」声を震わせながら、お母さんが話してくれた。ほんとうによく頑張ってくれたよね。最期まで、やり切ったよね。

帰りの車の中で、私も泣いた。


花音ちゃんは、医師の予測よりも、ウンと長く生きた。

落ちていくレベルにジレンマを抱えながらも、
できる手段ではっきりと意志を伝え、
120%の力で、全力で生きていた。

その原動力は、何だったのだろう?


最後まで目でサインを送り、微かに口を動かして意思を伝えた。

泣きごともほとんど言わなかった。

いつも周りには家族の誰かがいて、家族との時間を喜びとしていた。


出会ったのは数か月前のことなのに、私も不思議に思うくらい、長く付き合ってきたお友達のような気持ちだった。それくらい、私にとって、花音ちゃんと過ごした数か月は、人生の中でも印象強く、一緒に居られることが幸せだった。

少し大人びていて、我慢強く、
凛とした姿に、何度も胸を打たれた。


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「お う ち に い た い」


そう言えば初めて出会った時に、私にそう伝えてくれた。

花音ちゃんは、お家で過ごす時間が大好きだった。おじいちゃんとおばあちゃんと、兄弟が大好きだった。

そして何よりも、お母さんのことが大好きだった。

大好きな家族の側に、ずっと一緒にいたかったのだと思う。


そこまで一緒にいたいと強く願う人たちがいること。
その事実を、真っ直ぐな気持ちで想うことができること。

なんて美しいんだろう。
なんて愛おしいことなのだろう。



「花音は、どうしてもお誕生日が迎えたかったんだろうなぁと思います。」

「私もそう思います。」

弔問に伺った日、お母さんと、私とで顔を見合わせて、笑った。
花音ちゃんも一緒に、『そうだよ』って、笑ってくれているような気がした。


***


4月に私は30歳の誕生日を迎える。

花音ちゃんよりも3倍以上も長く生きてしまった。

私は、花音ちゃんのように、最期を共にしたいと思える家族が築けるのだろうか。後悔なく死ねるのだろうか。「生き切った」と思える人生を、送れているのだろうか。


yesでもあり、
自信をもってyesとは言えないところもある。

答えが出ない部分がいっぱいある。
迷うこともいっぱいある。

心臓が飛び上がるくらいに嬉しくなったり、
びっくりするくらいに辛くなったりすることもある。

もう何もかも辞めてしまいたいと思うこともある。


30年生きたところで、
まだまだ、私の中のいろいろは
不安定な事だらけだ。

それに、私のこれから先が、必ずしも長い人生が続くのだとは限らない。

突然に終わりを告げることだって、あるかもしれない。

何が起こるかは、全く未知の世界だ。


そんなあれこれを想像する中で、一つだけ自信を持って言える、叶えたいことがある。

それは、「自分の人生が大好きだった」と心から言えること。

その一言を、今の瞬間から、毎瞬毎瞬言えること。


嬉しくても、辛くても、
「あー、今日も大好きな人生だった」と言えちゃうようになる。

花音ちゃんの笑顔を思い出しながら、
一緒に過ごした日々を想いながら、
この一言を心に刻むことにする。

これを今の瞬間から、
そしてこれから始まる30代への

抱負としたい。


(個人が特定されないように、設定を変更しているところがあります)

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