警鐘を無視しないで。〜3000mの山暮らしを終えて〜
まだ、思考がほんわかとしている。
言葉が浮かんでくるようで、浮かんでこない。
体には心地よい疲労感は残っていて、それが確かに「歩いた」のだという証なのだろう。
この数日間で、山を歩いた時間は平均すると7時間/日。けれど、それはあっという間で、いつのまにか「もうここまできていたのか」という刹那の連続だった。
北穂高小屋から大キレットを越えて、槍ヶ岳へ登頂し、また同じ道を戻って、北穂高小屋へたどり着いた2日間。そしてその翌々日、北穂高小屋を出発して、涸沢岳、奥穂高岳、吊り尾根、岳沢、そして上高地へと下山した。
1ヶ月の3000mの山暮らしのフィニッシュだ。
▼大キレット越えのお話はこちらから
▼山暮らしを始めたお話はこちらから
北穂高岳から涸沢岳への縦走路は、キレットよりもハードなのではないか?と思うようなルートだった。
時々道標がわからなくなり、どこだどこだと探しながら歩く。一度登山道とは違う道へ一歩足を踏み入れてしまったときは、危なかった。ガラリと石が転げ落ち、人は居なかったものの落石させてしまったときは、ヒヤリ。気が引き締まった。
こういったハードな道は、必ず足場は安定した岩の道になっている。だから、ガラガラとした石が増えたり、明らかに補助がなく歩きにくい道になったときは、気をつけたほうがいい。
何よりも、「違うよ」という何かの合図が頭に鳴り響く。その声を無視してはならないと、改めて思った。
涸沢岳へ向かった日は、雨降りの翌日だったため、やや滑りやすい道になっていた。慎重に歩いていたが、滑落注意の道を越えて、何でもないところで滑って転けてしまった。濡れた草を踏み、さらにザラザラした道だったので、足を滑らせたのだ。危ない、危ない。
ヒヤリとすることが続いたけれど、目的地には登頂できた。
そして、バスの乗車時刻1時間前に、上高地に到着した。長いようで、終わってみると1ヶ月という期間はあっという間だった。
好きな山で暮らせると、胸を高鳴らせて上高地に降り立った1ヶ月前。実際に山で暮らしてみると、生活のギャップは確かにあった。
「好きな場所で暮らす」だけではダメで、もっとありありと暮らしをデザインすることが大事なのだと痛感した。
どんな暮らしがしたいのか?
その暮らしに見合う仕事は何なのか?
その暮らしをするとどんな人たちが周りに集まるだろうか?
そんな具合で、環境と仕事と人という3つのトライアングルが完成する。これをもっと明確にすることが、自分らしく自然体で生きることに繋がるのだろうと、今回の山暮らしをしてみて感じることができた。
山で道を誤った時のように、「違うよ」と日常の暮らしの中で警鐘が鳴っていることがあるかもしれない。
そんな時は、その声を無視しないで。
何が違うんだろう?
どうしたらもっと理想の暮らしに近づくんだろう?
どうしたら私は一人ではなくなるんだろう?
素朴な疑問や気持ちを無視しないで。
道標を改めて定めて、前に進めるように気持ちと方向性を整える。
「私はこう思うんだけど、この人がそう言うなら合わせておこう」とか、「この人はあまり好きではないけれど、この人と付き合っていたら何か良いことがあるだろう」とか
打算的な考え方は、警鐘の邪魔になると思う。自分の感覚を無視しなかったら、自然と私に合う人たちだけが周りに残るし集まるのだろう。
自分の感覚に素直になる。そんな小さなケアが、理想や目標を叶えるためには大切なのだと、私は思うのだ。
3000mの山暮らしを終えて、
大事なものをちゃんと掴んで下山できたのではないかなぁ。
山を下山していくと、徐々に木々が視界に入ってきた。森林限界を迎えた。下界に近づいている。こうしてまた、新たな生活が始まろうとしている。
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