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アイドルオタク亡霊の成仏note

私は関ジャニ∞のファンの亡霊である。

ファンを卒業して数年経って、大好きだったあの頃の気持ちが戻ってきているが、大好きだった頃の関ジャニ∞はもう存在していなくて、この気持ちのやり場がないからこのnoteを書いてみることにした。

関ジャニ∞と私

オタクになったきっかけ

関ジャニ∞を好きになったのは、私が高校1年生の頃。
偶然、『イッツ マイ ソウル』の MVを見たのがきっかけ。
カーボーイハットを被った長髪のイケメンがいるではないか!!この人は誰だ!!
たくさん検索をして、渋谷すばるくん(以降は当時呼んでいた”すばるくん”と記載)ということが分かった。

そこから、すばるくんについてたくさん調べて、関ジャニ∞のメインボーカルであることやパフォーマンスを見て、気づいたら大好きになっていた。
これが私のアイドルオタクの第一歩だった。
メールアドレスに”8”を入れたり、携帯の壁紙を関ジャニ∞にしたりとオタクっぽいことをするようになった。

すばるくんは私と10歳離れていて、当時高校生の私からすると26歳のすばるくんはとても大人に見えた。

関ジャニ∞の47都道府県を回ったツアーDVDを買い、擦り切れるほど見た。
友達にもおすすめして、一緒にDVD鑑賞会もした。
ビハインド映像もたくさん見て、気づいたら7人の関ジャニ∞が好きになっていた。
すばるくんが好きだし、すばるくんを囲む6人も好きになった。

愛知の片田舎に住んでいた私はライブに行くことも許されず、頑張って貯めたお小遣いでCDを買うことが精一杯の応援だった。
一度、東京ですばるくんのソロライブがあることを知り、親に行きたい!と直談判し、こっぴどく怒られて、すごく悔しくて泣いた思い出もある。
そこから大学は絶対に東京の大学に行くんだ!と心に決めた。

本格的にオタクになっていく

有言実行。私は大学進学を期に上京した。
大学でジャニーズオタクの仲間も増えた。

やっと念願の関ジャニ∞のライブにも行けた。
初めて行ったライブは5大ドームツアーの東京ドーム公演。
全然実感もなく、あっという間に3時間の公演が終わってしまった。
初めて大好きなすばるくんの生歌を浴びて、嬉しかった。
本当に関ジャニ∞って存在するんだなって思った瞬間だった。

初めて自分の部屋を手に入れて、オタク部屋を作り上げた。ライブに行ったら、うちわ・ポスターを買って、それらを自分の部屋に飾り付けた。
風水的に良くないとか言うが、その当時の私にとっては推しが目に入るだけでとても幸せだった。

私の心の支えになってくれた関ジャニ∞。
たくさんの曲で励まされ、どんどん活動の幅を広げていく彼らを見て、ファンである私は誇らしさを感じていた。
当時付き合っていた彼氏にもファンクラブの名義を作ってもらい、チケット戦争をなんとか勝ち抜いて、ライブに行きまくっていた。
これからもずっと関ジャニ∞が大好きなんだろうなとその当時は思っていた。

オタク卒業が見えてきたころ

社会人になり、月に6日しか休みが取れなかったり、接客部門に異動になり土日が休めなくなったり、終日立ち仕事で終電帰りが週6日続いたりで、生活を成り立たせるだけで精一杯になってしまった。
その頃から、私の生活の中に関ジャニ∞が姿を見せることは少なくなってしまった。

ある日、ネットを見ていて関ジャニ∞の新曲が発売されたことを知った。
それまでは、新曲リリースのお知らせが出たらCDショップへ走り、予約をして、発売日前日にフライングゲットしていたのに…。
結局、その新曲のCDを買うことも、TVで披露しているのを見ることもなくなってしまった。その出来事に悲しさを感じる隙も当時はなかった。

気づいたら、ファンクラブの更新時期も過ぎており、ファンの権利を消失していた。それに気づいたときも再度入ろうとは思わなかった。

大学生の頃は部屋に所狭しとグッズを飾っていたが、社会人になり引っ越しを機に部屋の中にグッズはなくなってしまった。
クローゼットにしまい込んで、そこから取り出されることはなかった。

オタク卒業を後押ししたあの出来事

私の生活から彼らの姿が消えてしまった。ある日、推しであったすばるくんがジャニーズ事務所を退所することが発表された。
そのときも全く実感がなく、「ふ〜〜〜ん。」くらいに思っていた。記者会見を見ても、なぜか他人事。記者会見に応対する彼らを見て、ファンだった自分が思い出せないくらい遠い存在になっていた。

そんな出来事があり、自分もそろそろオタク卒業かと思い、クローゼットの奥にしまい込んでいたグッズを取り出した。
参戦したライブのグッズがパンパンに詰まったダンボールが出てきた。中には買ってから一度も開けていないグッズなども出てきた。買っただけで満足してたんだろうなと少し笑いながら、一つ一つ見ていく。
グッズを見るだけでライブのセットリストが思い出されて、本当にオタクを全力でまっとうしていたんだなと思った。
一方で、あれほどの熱量を彼らに再度向けることはできないと思い、大量のグッズを手放すことを決めた。

ジャニーズ専門の買取サービスへグッズを送るためにダンボールに詰めていく。大量にグッズがあったので、箱は1つに収まらなかった。CD・DVDもあったのでかなりの重さになり、箱の底が抜けそうになった。なんとか荷物を詰めて、配送。
査定金額は5,000円にもならなかった気がする。数十万円はかけたであろうグッズが1万円にもならないのはとても虚しい気持ちになった。
この瞬間、絶対に再度アイドルオタクになるのは辞めようと心に決めた。

亡霊が生まれた出来事

そこからまた数年が経ち、私の生活に彼らは全く姿を見せなくなった。推しも気づいたらジャニーズ事務所を卒業していた。他のメンバーも後を追うように卒業をし、関ジャニ∞は気づいたら5人になっていた。

私はめげずに他のアイドルオタクをしていた。

何気なく、Twitterを見ていたらトレンドに”18祭”の文字が。
見ていると、関ジャニ∞のデビュー18周年が今年であり、様々なイベントが行われるとのこと。彼らにとって”8”をいう数字はとても重要であり、10周年よりも8周年を盛大にお祝いしていた。
とあるファンが昔の動画を上げていた。それは私が一番足繁く通っていたライブの映像だった。その映像を見た瞬間に、当時の楽しかった気持ちや関ジャニ∞を好きだった気持ちが蘇ってきて、泣いていた。
本当にあの頃が楽しくて、キラキラ輝く7人を見ているだけで幸せだった。

それからもTikTokなどで過去の映像がたくさん流れてくるようになり、本気でオタクをしていたあの頃の記憶がどんどん蘇ってきた。
彼らも変化をし、私が大好きだった7人の関ジャニ∞は過去のものになっていた。どれだけ願っても、絶対に7人の姿を見ることや歌声を聞くことが叶わないという現実がただそこにはあった。

再解釈の可能性

時間を巻き戻すことはできないし、7人の姿を見ることは叶わない。そこに思いを馳せても、どうしようもない。
悲しい気持ちが9割だが、一方で少し違う感覚も芽生えてきた。

それは当時応援していた彼らの年齢に自分がなったことで、少し彼らに近づけた気がした。オタクをしていた頃は、メロディーが好きで聞いていたが、よく聞いてみると良い歌詞が多い。そして、この歌詞をどんな気持ちで当時彼らは歌っていたんだろうと思うようになった。
もちろん、全く同じ人生を歩んできたわけではないから、気持ちを完全一致させることはできないが、でも人生の酸いも甘いも少しだけ味わったことでほんの少しだけ彼らに近づけた気がした。

前段がとても長くなってしまったが、ここからは30代に突入した私が当時なんとも思わなかった歌詞を取り上げ、応援していた頃の彼らに思いを馳せてみようと思う。

大人になった今、再解釈をしてみる

本当は全曲やりたいくらいではあるが、ここからは自己満足の極みなので私が好きな曲を中心に再解釈にチャレンジしてみたい。
取り上げた曲はタイトル曲ではなく、収録曲ばかりで馴染みのない曲ばかりだが、興味のある方はぜひ読み進めてもらえると嬉しい。

わたし鏡

この曲はオタクをしていた当時も大好きだった曲。改めて聞くと本当に良い歌詞だなと。

逢いたいトキ逢うのが 全てじゃなくて
幸せ、辛さ背中合わせの一線違いであって
絶妙なバランス保っているたった今
わたしとあなた
ワガママだけど……はよ逢いたい

作詞:安田章大 作曲:安田章大
『KJ2 ズッコケ大脱走』 DISC2収録

メンバーの安田くんが作詞作曲をした曲。擦り切れるほど見ていた47都道府県ツアーで披露していた曲。後に違うメンバーがカバーしたり、ジャニーズの後輩がカバーしたりと割と有名な曲になっていく。

この曲の中で昔も今も刺さるフレーズは幸せ、辛さ背中合わせの一線違いであって。当時は大学生らしくバカップルをしていたので、少し会えない時間があるだけでこの歌詞に悲しさを重ねていた。
でも、今は恋愛だけでなく人生ってそういうものだよな…って思うようになった。

売れるようになり日々忙しくなっていく中で好きな人と会えない辛さと売れていく幸せ、望んでいた未来に近づく幸せはとても複雑なものだろうなと。
アイドルと自分を並べるのはおこがましいが、30歳前後になるといろんなことがのしかかってきて、辛さの渦に飲まれそうになるけど、その中にある幸せに目を向けていくことは忘れないようにしたい。

Heavenly Psycho

この曲も当時も好きだった歌。すばるくんが関ジャニ∞の冠番組最後の出演時に歌うことを選んだ曲でもある。みんな複雑そうな顔で歌っている映像をみて、胸が張り裂けそうになった。
短い歌なので全て歌詞を掲載したい。

いつも夢に選ばれないまま 陽は登り沈んでいく日々
そこに僕の姿がなくても 世界は簡単にまわった

でもこうして繋いだ手 ひとりじゃないね

胸にHeavenly Psycho 今は未来に向かう道の途中だ
泪にさえも戸惑うことなく 願いを歌う

ありきたりの質問に答えて 許される明日ならいらない
そう言ってはみ出してから 行き着く場所に限界はなくなった

不安だってわかり合って 笑ってたいね

夢にHeavenly Psycho 叫んだ声だけが空に響いた
だから何回もためしてみるんだ 希望の歌

目の前の闇を かき分けて届くまで…
震える思いに また登る太陽

胸にHeavenly Psycho 今は未来に向かう道の途中だ
泪にさえも戸惑うことなく 願いを歌う

夢にHeavenly Psycho 叫んだ声だけが空に響いた
だから何回もためしてみるんだ 希望の歌

希望の歌

作詞:TAKESHI 作曲:Julius Lars Bengtsson・Henric Per Hugo Uhrbom
『大阪レイニーブルース』収録

この曲はライブの定番曲で終盤で歌われることが多く、何度か生で聞いたことがある。毎回毎回叫ぶように歌っていて、とても印象的だった。そして、歌い出しはとても悲しそうに歌う。

とても初期の曲。当時、関西ジャニーズJr.からデビューしたグループがまだない中で編成されたのが関ジャニ∞。関西発でどうやって売っていくのか?ジャニーズの中でも異色のグループとされていた彼らの覚悟の歌なんだろうなって思う。この曲が長年歌われていることも彼らを初心に戻してくれる曲なんだろうなと思う。

自分がいなくても回っていく世界の中で、覚悟を決めた瞬間に道が見えてくる。選んだ道が正解かどうか分からないけれど、信じた仲間とともに歩んでいく覚悟を感じる曲。
おそらくこの曲に私はこれからも励まされるんだろうなと思う。

ER

関ジャニ∞がライブでエイトレンジャーというコントをやっていて、最盛期にはエイトレンジャーで映画まで制作された。この曲は、その映画の主題歌でエイトレンジャーの名義で出されたもの。
ライブのコントが映画になってしまうなんて、本当に勢いがあった。

この時代で こう息吸って 預かった一つ命を
なぁなぁって 有耶無耶にしちゃって
さらりと終えたくはないんです
食いしばっては 汗かいて 言い訳にケリくれちゃって
立ち向かっては 失って 確かに理想に迫っていく

作詞:UNIST 作曲:UNIST
『ER』収録

この曲は映画が公開された2012年のライブやテレビを中心に披露をされた。本当にこの頃は勢いがあって、テレビに引っ張りだこだった彼ら。
その一方で、ライブでのバンドスタイルを加速させていったのもこの頃だった気がする。世間から面白いアイドルと見られがちな彼らだったが、自分たちがやりたい音楽へ貪欲にチャレンジしていた。

世間から求められているキラキラアイドルだけではなく、自主制作もやっていくアイドルの先駆けだったように思う。
なぁなぁって有耶無耶にして、さらりと終えたくないという意思をとても感じる。おそらく当時の彼らはなぁなぁにしても十分に売れただろうけど、それを良しとしなかったのは彼らの美徳だろう。

社会で働くことにも慣れてきて、なぁなぁに有耶無耶にしながらでも生きていけるけど、本当にそれでよいのだろうか?
理想を追い求めるのは、簡単ではないし歯を食いしばりながら、汗をかいていく泥臭いことが多いだろうけど、でもそれもまたいい命の燃やし方だと思ったりしている。最近、そういう風に命を燃やす大人と話すことが多く、いいなって素直に思う。

再解釈を試みて…

今回、このnoteを自分の気持ちを成仏させるために書いてみたが、全く成仏できていない。
むしろ、あの頃の関ジャニ∞が大好きだと再認識したし、追いかけていたあの頃があるから今の自分があるんだなと改めて実感させられた。自分に対して、ポジティブな影響だけだったわけではないが、全力でオタクをしていたあの頃も含めて今の自分だなって思えているのが、このnoteを書いた結果得られた結論。

関ジャニ∞が好きだった気持ちを忘れようと思って、書き始めたこのnoteだが、やっぱり大好きだから過去の曲を聞けるようにCDを借りてこようと思う。
私はこれからも関ジャニ∞の曲に励まされて生きていくんだろうな。

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