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3月の思考の旅。

かの有名なスティーブ・ジョブズは毎朝、鏡に映る自分に向かって

「もし今日が人生最後の日なら、自分は何をするだろうか?」

と自問自答していたという逸話がある。

私にとってこの問いはあまりピンときていなくて、人生最後の日にこんな問いを考える余裕なんてないだろ!ってツッコんでしまう。
こういうことを考えられるならそこそこ元気だし、多分その日は死なない。
(人生何があるかわからないから”絶対”なんてないし、この話の本質がここではないことは理解しつつ…。)

先日、ヨルシカの『詩書きとコーヒー』という曲を聞いていて、とても気になる一節があった。

寿命を売るなら残り2年 それだけ残してあの街へ
余った寿命で思い出を漁る
ヨルシカ『詩書きとコーヒー』

寿命を売るという概念は今はないけれど、
もしこういうことができるならば、自分は寿命をどれくらい残して、残りは売りさばいてしまうのだろうか…?
そして、残った寿命で何がしたいと思うのだろうか…?

思考を巡らせる旅が始まる

歌詞の中に出てくる2年が長いのか、短いのかも分からない。少し考えてみよう。

ここまで書いてみて、数週間。
いろんな人とも話をして様々な考えに触れることが楽しかった。

ある人はそもそも寿命を売りたくない!と言っていたり、
またある人はいくらで売れるか次第かなぁ〜。と言っていたり。

様々な意見を聞いて、とても面白かった。
そんなこんなで暇なときにはこの問いに向き合い、考えてみた結果
今の自分には解が出せないなと。
(おいおい、そんなつまらないオチかよ〜という感じですが…。)

旅の終わりは突然に

そこからまた数週間。
久しぶりに大好きなミュージカルを観に行った。演目は『RENT』。

演目自体はずっと知っていたけど、観に行くチャンスがなかった作品。周囲でも大好きな作品であげる人が多く、なぜそこまで魅了されるのだろうか?とずっと疑問に思っていた。
やっと観れたのが去年の来日公演。友人にお誘いいただき、初めて『RENT』の世界に足を踏み入れた。ただ、英語での上映で内容がよく分からず、曲を聞きながらすごいパワーがある作品だなぁと思って終わっていた。

日本語版の上演が決まったことを知り、来日公演を一緒に観に行った友人を誘って、観劇。日本語で観る『RENT』は、私の心の中にどんどん入っていく。
『RENT』を観終わったころには、ずっと思考を巡らせていたこの問いも消化されていた。

いつ死がくるなんて分からない

すごく当たり前だけど、意外と忘れていること。
問いの出発点もそもそも死のタイミングが分かる前提なのだ。でも、死のタイミングが分かることなんてめったにない。

1991年、ニューヨーク・イーストヴィレッジ。映像作家のマークは、友人で元ロックバンドのボーカル、ロジャーと古いロフトで暮らしている。夢を追う彼らに金はない。家賃(レント)を滞納し、クリスマス・イヴにもかかわらず電気も暖房も止められてしまう。恋人をエイズで亡くして以来、引きこもり続けているロジャー自身もHIVに感染しており、せめて死ぬ前に1曲後世に残す曲を書きたいともがいている。ある日、彼は階下に住むSMクラブのダンサー、ミミと出会うが彼女もまたHIVポジティブだった。一方のマークはパフォーマンスアーティストのモーリーンに振られたばかり。彼女の新しい相手は女性弁護士のジョアンヌだ。仲間のコリンズは暴漢に襲われたところをストリートドラマーのエンジェルに助けられ、二人は惹かれあう。季節は巡り、彼らの関係もまた少しずつ変わってゆく。出会い、衝突、葛藤、別れ、そして二度目のクリスマス・イヴ……
https://www.tohostage.com/rent2023/#intro

『RENT』に出てくるキャラクターはほぼHIVに感染しており、常に死と隣合わせで生きている。死と隣合わせでも決して悲観することなく、今世をどうやって生き抜くかを必死に考え、行動している。
お互いを励まし、人生に葛藤しながら生きていく姿が描かれていく。

『RENT』は命の重さや儚さもテーマの一つではあるが、その色を強くしているのは確実に作者のジョナサン・ラーソンの存在も大きい。

1996年の初演以来ブロードウェイで12年4か月のロングラン、世界40か国以上で各国語版の上演、2006年には映画化もされたミュージカル『RENT』―― プレビュー公演の前日に35歳の若さで急逝した作者、ジョナサン・ラーソンの意志を継ぎ、世界中で上演され続ける作品が再び帰ってきます!
https://www.tohostage.com/rent2023/#intro

『RENT』を作るのに足掛け6年をかけてきて、念願のオフ・ブロードウェイの初日公演の前夜に息を引き取ってしまった。その後、トニー賞、オビー賞、ピュリツァー賞などあらゆる賞を総なめにした。
ただ、本人はそこにはいない。

1年をどうやって数えようか?

『RENT』は名曲が多い作品だが、その中でも特に有名なのが『Seasons of love』である。一時期CMにも使われていて、聞いてことがある人もいると思う。

歌詞を全部載せたいところではあるけど、特に私が好きな部分を抜粋。
日本人キャストが歌う日本語バージョンもあるのでぜひ。

Five hundred twenty-five thousand
Six hundred minutes
Five hundred twenty-five thousand
Moments so dear
Five hundred twenty-five thousand
Six hundred minutes
How do you measure
Measure a year?

In daylights
In sunsets
In midnights
In cups of coffee
In inches
In miles
In laughter
In strife
In five hundred twenty-five thousand
Six hundred minutes
How do you measure
A year in the life
『Seasons of love』より

1年を分にすると、52万5,600分。この時間をどうやって数えようか?という問いかけでスタートするこの曲。
1年の数え方がたくさんあることに気づかされる。あなたはどうやって1年を数えたいのか?と問われている気がする。
この曲では”愛”で数えるのはどうだろうか?と問いかけられるけど、でも心が動いた数でもいいし、泣いた数だっていいだろうなって思う。

時間、分、秒で数えるのもいいけど、もっと人生の捉え方を変えるために数える単位を変えたってよいよな。

日常は少しずつ崩れていく

『RENT』の2幕で仲間の一人が死を迎える。仲間の死をきっかけに仲間たちは徐々にバラバラになっていく。
1幕では全員が手を取り合い、生きていく姿を見せられ、これがずっと続くかと錯覚に陥るくらいだったのに。

大人になると、ちょっとしたことでいろいろなことが崩れていくことが増えいく。大事にしたいものやことが増えているからだろうなとも思う。
自分の輪郭がはっきりすることがよいときもあるけど、境界線がはっきりすればするほど排他的にもなっていく。

私も直近で似た経験をしていて、その出来事を重ねて考えていた。
ずっと仲が良かった友達と明確なきっかけはないが、なんとなく疎遠になってしまった。そんな状況が自分の中でずっともやもやしていて、でも自分から「ごめん。」や歩み寄る声がけをするタイミングを作れず、葛藤をしていた。
偶然、街中で友達を見つけ、すれ違いざまに目があった気がしたが、目を逸らしてしまった。その瞬間、猛烈に冷や汗をかいた。
もし友達が目を逸らしたことに気づいていて、私との仲が修復不可能だと判断してしまったらどうしよう…と思った。そして、とても悲しかった。
悲しいという気持ちがあるなら、現状を変えようと思い、その場でLINEを開き、友達に連絡をした。ご飯に行く約束を取り付け、色々話していくうちに
”あぁ…、自分の勘違いだったんだな。”
と思うことも多く、友達と新たな関係が築けるような気がした。

この過程でもう友達との仲は戻らないんじゃないか、とか会っても何も変わらないんじゃないか、とか色々考えたけど、一歩踏み出せてよかったなと思っている。ここで何もしなければ、自分は後悔するだろうなという気持ちが行動させてくれた。

少しずつ崩れていくものたちを変化と捉えて、そのままにするのもアリ。
でも、嫌だとか後悔するだろうなと思うことはそのままにしてはいけないなと思った出来事だった。

No day but today

『RENT』の締めくくりを飾る言葉である。
直訳すると”今日以外の日はない”
歌詞の中では、”今日という日があるだけ”と訳されることが多い。
これらから転じて、
・今を大切に
・今を一生懸命に生きる
という意味で捉えられることが多い。

明日も生きれるか分からない若者たちの叫びを聞くと、なんとも胸を締め付けられる。そして、明日は我が身であることを突きつけられる。
全く他人事ではいられない。
自分だけではなくて、自分を取り巻く環境だって”No day buy today”である。

意外とやりたいことを全てやりきるには人生はとても短いんだろうな。
1年をどうやって数えて、どういう人と”今”を生きていくのか?がとても大切だろうなということを改めて考えさせられた3月でした。

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