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「自分を貫く強さがある」とは

「自分を貫ける強さ」がある人に憧れる。
おそらく、自分にはもともとそんなに備わっていない個性だと感じるからだと思う。

私も大人になって、それなりに自分を貫いて生きているとは思う。
でもそうではなくて、ここでいう文脈として憧れているのは、そういう想定の範囲内の「自分がやりたいことをやる」「自分の考えや意見をもつ」といったレベルのものでなく、もっとぶっ飛んで「誰がなんと言おうと、これが私の生き様です!!!!」くらいに常識をぶち抜いた感じをイメージしている。

実際、そういう人って、戦略的にパンチのある個性を演出しているというよりは、もう私はこういう風にしか生きられません!っていう、(もしかしたら多少の葛藤はあるかもしれないけど)自然な流れでそういうスタイルに行き着いていることが多いのではないかと想像する。

それを選べるとかっこいいけど、それはそれで、そうでない場合よりも大変なことがあるだろうなーと思う。

だから、私はそうはできない。

だから、世の中の多くの人は、私みたいに「"それなり"の個性や特徴を個人的に大事にしている」程度におさまって暮らしているのではないだろうか。

難しいところではある。

「誰がなんと言おうとこれが自分だ!!」を全開で生きるのは、気持ちいいかもしれないけど、同時にそれが足枷となることが多々あるのは目に見えている。どういう環境で生きていくかにもよるだろうけど、少なくとも私が暮らしているコミュニティではそんなにプラスにはたらくことはないと思う。

なぜなら、私自身、特に一緒に仕事をするなら、めっちゃくちゃ個性的で見た目も性格も感性もばちばちに振り切れている人より、普通にその人なりのバックグラウンドがあって、普通に会話ができて、普通にお互いに気遣いができるような、普通の大人と付き合いたいとやっぱり思うからだ。

世の中でいう「普通」とは?
自分が思う「個性」とは?
「変わってる」と思われたいか、「ちゃんとしてる」と思われたいか?
どの部分が「自分らしさ」で、どの部分は「社会への順応」か?

これらの問いに対する答えは、一つじゃないだろう。
10人いれば10通りの考え方があるタイプの質問だ。
私は結構、こういう答えのない問いについて考えを巡らせるのが好き。みなさんはどう思うだろうか。

おそらく、自分は本当につまらない人間だな、ってときどきじわっと実感するたびに、なんとなく「もし、こうでなければ」とパラレルワールドに非現実的な理想を投影してしまうんだろう。

真面目に育って普通に学校を卒業して普通に就職して、どこにでもいるような普通の大人になった。基本それで問題ないとは思っているけど、そうじゃなかったら、もっと面白かったかもしれない。

今さらばちばちにぶっ飛んでいくことはないだろうな〜〜と思うけど(今リアルで関わってくださっているみなさん、安心してください)、そういう憧れが根底にあることを、年々より強く自覚するようになった。だから、自分が吸収したことをアウトプットしたり、考えや価値観が多いに影響するような仕事や働き方を少しずつ選択するようになったんだと思う。

個人事業主になってから、「やっと、自分の人生を取り戻してきた」と感じることが増えた。誤解のないようにいっておくと、それ以前も別に誰にも何も奪われてはいない笑。誰かに何かを強制されたわけでもなく、自分の意思で選んできた道だ。でも「別に嫌じゃないけど、こういう時間の使い方はなんかちょっとしっくりこないな〜」って感じがしていた。

10代〜20代前半だと、いろいろ経験がなさすぎてまだ「自分らしさ」どころじゃない人のほうが多いだろう。この年齢になったからようやく、「自分らしいとは」なんていうテーマについてしっかり考えられる材料が揃ってきたのかもしれない。

全てにおいて自分を貫く必要はないけど、せめて自分の人生に関わるような局面では、ばちばちに自分を貫ける強さと、迷わずそれを選択できるくらいに自分に対する解析度を上げておきたいと思う。

※トップ画像は生成AIで作成しました。


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