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隠された裸婦の肖像

宮本三郎 秘密の裸婦発見。隠された裸婦の謎。

新聞の見出しが私の好奇心を掻き立てた。       書いた人の興奮が滲み出ているような記事内容だった。

記事を読んで、実物を見てみたくなった。

愛知県立美術館 コレクション展

伊藤若冲展以来、久し振りの県美。        他用の後に寄ったので、ちゃちゃっと観て帰ろうと思ったが、他の作品も含め1時間半じっくりと観た。   

『裸婦』 は、1936年(30歳くらい)二科展会員に推挙された翌年に二科展に出展された作品、その後存在が不明になる。この頃は多忙を極めていたようで、翌年には過労で健康を害している。

1940年頃からは軍の命令で従軍し、戦争画の制作に励む。

『家族』を描いたのは、1956年(50歳くらい)東京教育大非常勤講師をしながら、専門委員など数々の肩書を持ち、海外に渡ったり褒章を受けたりと華々しい&安定時代。


何故、『裸婦』に『家族』を重ねたのか。様々な憶測が渦巻く。欲望…時代背景…華々しさの裏側に潜む悲観…など。 とにかく意図的に重ねてあるのだ。

学芸員が発見した際の状況説明も展示してあった。

絵の側面を見ると、画布が二重に固定されているのが分かる。画布の張り方がなんだか妙だ。額から取り出せば、誰が見ても重ねて張ってあるのが分かるような固定の仕方なのだ。とても雑な感じがした。

つまり、

いつか必ず誰かが気付くであろう。  

という期待を持って、画布を重ねて張っていると想像できるのだ。『裸婦』の存在を隠したければ、もっと分からないようにきっちり重ねるか、別の方法を選べばいいのだが、敢えてこの方法を選んだのは何か理由があると考えたほうが自然だ。

だが真相は分からないので、想像を膨らませ、思いを馳せる。                   『家族』を描いている時、何を思ったのか。    いや、もしくは大して深い意味もなく重ねたのか?何十年後かに観る人に思わせぶりに仕掛けた可能性もあるし、はたまた本人が重ねていないのかもしれない。

私みたいな物好きがやってきて、ひとり想像して楽しむなんて思ってもいなかっただろうな。

お一人様美術館、楽しみ方は自由。

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