なぜ本(作家活動)ではなく写真のアート展なのか
【愛する子供を棄てるように写真を辞めたある日】
私、里中李生(noteでは山宮健)のファンは九割が私の著作の読者です。
今も週に何通もメールが来る。
「新刊はまだですか」
と。
私の本は主に自己啓発と恋愛エッセイだったが、短編小説集やフォトエッセイも上梓していて、累計は260万部超になっている。
「作家」と名乗るように言ったのは担当編集者で、それは私にライターがいないから。
すべて私の自筆の書です。アシスタントに書かせたこともない。
ボイスを録音し、後で編集者とライターで仕上げるというのがこの業界にありがちだが、それもない。
それは人には知られていない事実だが、私の誇りです。
はっきりと言うと、私は一度、出版業界で成功しているのです。全国総合一位になった事もあったほど。その時の二位や三位に東野圭吾さんとかいた。
一方、写真家としての私は大赤字のまま、ある日、突然、辞めていた。
少年時代から大好きだった写真。それをまるで、愛する子供を棄てるように辞めた。
辞めてしまった。
自宅の写真室のドアを閉じ、その部屋に近寄らない。写真の整理もカメラ機材の保管もせずにいたから、数年後に見たら、フィルムにカビが生えていた。
私のナチュラルなポートレートは、背景を画面いっぱいに取り入れ、モデルになってくれていたグラドルたちは、雑誌でセーラ服のパンチラや水着の猥褻なポーズばかりしていたから、とても喜んでくれた。
アマチュアのカメラマンたちからも、「どうしたらこんなに綺麗に撮れるのか」とか「どうしてこの場所を見つけられるのか」とか褒めてもらってばかりいたが、当時の私はベストセラー作家で超多忙。
個展を開いたりする時間がない。
多忙な事で間違いも犯した。
カメラに精通していた優秀なアシスタントが車の免許がなかったから辞めさせて、車の免許を持っている写真を知らない男を雇ってしまった。
同じ頃に、信頼していた男に裏切られ、また有名な大御所カメラマンから、「里中が来るなら飲み会に出ない」「俺が里中と会って、なんの得があるんだ。奴が来るなら帰るぞ」などと圧力もかけられて、モデルの質が一気に落ちた。
つまりその大御所カメラマンと同じグラドルが撮れなくなった。
今の私なら、その大御所さんがどんなに偉くても、その飲み会に行き、「ごめんなさい」を言うまで許さないが(器の小さい男は人類の恥。消えていい)、当時の私は子供が生まれたばかりで無茶は出来なかった。
ある年、何度も撮影していた山宮静香というとても愛嬌があり、フレンドリーで優しい性格のグラドルが引退した後、
◆私自身の失敗
◆裏切り
◆圧力
…が重なり、しかも挨拶もしない今どきのモデルがどんどんやってきたのを見て、たぶん、メンタルが崩壊したのだろう。私は廃人写真家になったのだ。
写真室の中には五十万円以上するライカもあり、それすらも放置されていた。
【俗なエロへの反抗で復活した写真の成功】
時が経ち、コロナ禍の前に、私はある女性と出会った。
それまでにどんな美女と出会っても、カメラを持たなかった私が、なぜか、「この子、真剣に撮りたいな」と無性に思うようになり、フルサイズのNikonD750を購入。それでも中古で、まだカメラを持つ事に不安があったが、撮り始めたら、
「なんて綺麗な太ももなんだ。この子の脚を撮り続けたい」
そんな衝動にかられて、夢中になってきた。
ところがインスタに投稿したら、こんなコメントが溢れた。
「パンチラがかわいい」
「パンチラの下着は白がいい」
パンチラ?
俺の美術写真が、ただのパンチラなのか。さすが、アートが分からない日本人だな。
東京ドームホテルに、平山郁夫の巨大陶壁画がロビーにそびえているが、それを見ている人は滅多にいない。
『誰がパンチラなんて俗語を作ったんだ。パンチラと言わせないくらいに綺麗に撮ってやる』
その意地と、私のナチュラルポートレートの技術と合わせた『本を読む女』がインスタで大ヒットした。
ところが自粛中のコロナ禍の中、余裕をかまして撮影してたのと、毎日、フォロワーが200人くらい増えていくからかインスタから警告がさかんにきて、遂に完全凍結。凍結される前には投稿した写真をヌードでもないのにインスタが勝手に削除した。
『あなたの写真は通報が多い』とインスタから返答がきた。
一方的に削除される写真は、部屋でのセミヌードではなく、屋外のただのポートレート。そんなバカな‥‥。
昔の敵は仲間たちだった。
今度は外野だ。
「こんなに綺麗に撮った写真の何が悪いのか。また嫉妬じゃないか」
茶番としか思えないコロナ禍に反抗してロケ撮影していたからか、それが出来ないアマチュアカメラマンやインスタを見た人からのクレームの嵐である。
あの大御所カメラマンがなぜ、飲み会やパーティーで私を出禁にしたのか知らない。会う前から嫌われていた。
「どうして人間はこんなに小さいのか」
部屋の壁を殴るほどの怒りで、再び、写真を辞めようと思ったが、A3ノビまで大きくプリントした彼女の写真がとても美しい。
そう、私の写真は、モデルさんが画面いっぱいにでしゃばる事は少ないから、インスタのサイズには合わなくて、でっかくしてなんぼなのである。
「やっぱり個展だな。だけど、一人でやる気力がない」
そんなことを考えていたら、SNSで久しぶりに八田員成氏の投稿を見た。
【八田員成氏との二度目のコラボ】
彼とはコロナ禍の前に、奈良公園で会った事がある。
私の肖像画(切り絵の)を持ってきてくれた。
鹿と中国人観光客がうるさかったことしか覚えてないが、その後、彼と『切り絵と写真の展示会』を兵庫県でやる事になり、フライヤーを作るまで具体的に進んでいた。だが、コロナ禍で来客が見込めない事が分かり、中止。
それから彼と疎遠になっていた。
八田員成氏は私が知らないまに『Hachi』と名乗っていて、デビィ夫人や松本人志さんに切り絵の肖像画をもらってもらうほどになっていた。
彼にメールで、
「切り絵とヌード写真を融合させた展示会をやらないか」
と打診したら、即、「やりたい!」と返事がきて、すぐにプロジェクトがスタートした。
コロナ禍の兵庫県での展示会は、私の過去作品と彼の切り絵作品を展示し、トークショーをするだけの企画だった。
今回は、
「切り絵とヌード写真を混ぜるように展示する。合わせ鏡みたいにしたり、双子のようにしたり、切り絵の中にヌード写真を隠したり…。世界中、探してもないと思うよ」
私の提案を受け、彼は俄然燃えてきた笑
私も、「今度こそ成功させて、そして継続させたい。誰にも裏切られず、権力者に邪魔もされず、ずっと続けたい」
そう強く、強く思った。
ヌードにした理由は、八田氏が別で語っているのもあるが、私は【アートヌード写真】が好きではないからこそ、ヌード作品展なのです。
せっかく美しい裸体に影を被せてほとんど見えなくしたり、奇妙なポーズで裸体を捻じ曲げたり、裸体に花や小物を置いて乳房などが見えなくなったり、裸体に絵の具や泥を着けたり、まるで、
『写真や画像レタッチの技術を競ってるだけで、モデルさんの美しさが損なわれてる作品ばかり』
そうではなく、ナチュラルに美しいポーズかセックス(本能や欲望)を連想させていて、ファッション的なポーズが好きなのだ。
ところが日本では、『考える人』が考えすぎて体がクネクネしたポーズのヌードなら「アート」。
服を脱いだだけなのは、「エロ」なのである。
セックスを連想させていたら、まさに猥褻。「エロ」としか言われない。
それに対して、「女性の裸体そのものが芸術、美術で、ヨガみたいなポーズにレタッチを重ねた作品は自己満足の世界」と思っている私が、ファッションヌードの美しさを世間に知らしめるのは、究極のアートの一角である切り絵の力を借りるしかないのです。
八田氏の才能は特出した唯一無二の原石で、私は彼をもっと世に出したいのもある。
◆
写真の撮影には皆さんが想像するよりも体力がいる。
私は独特のロケ撮影をするから、その撮り方ではあと十年も撮影できないだろう。
一方、文章は死ぬまで書ける。
実家の母から、私が若い頃に書いたノートがたくさん送られてきた。
「あんたが書いた小説がいっぱいノートに書いてある。仕事が落ち着いたらまた書いたら?」
『衝撃の片想い』のヒントになるネタも書いてあった。
『衝撃の片想い』シンプル版。
これを正規版として書き終わらないと死ねない。ちなみに、イラストが若い頃の八田員成氏なのだ。
私の本のファンの人たちは少し待ってください。
人生には、「見返す」「負けたままでは終われない」大事な仕事、恋愛がある。
皆さんが応援してくれたら、このプロジェクトはあっという間に実現し、落ち着いて執筆活動もできます。
クラウドファンディングの支援よろしくお願いします。
里中李生