見出し画像

『ZEROISM』6

第六話「死闘~帰る家がある男たち」

【登場人物】外川数史(33歳)警視庁外事4課の天才。カフェ『菜の花』での読書を生き甲斐にしてる孤独な男。両親を飛行機事故(テロ)で亡くしている。
棚橋純菜(13歳)外川が通うカフェ『菜の花』の娘。外川と同じ本を読んで、夢は彼のお嫁さん。親の棚橋夫妻公認。
杉浦竜則(32歳)外川と警察学校が一緒だった友人。部署は公安1課。
杉浦南美(27歳)杉浦の幼馴染みで妻。まだ新婚。
森長英治(48歳)外事4課の係長。外川の大学の先輩にあたる。外川と二人でZEROISMを極秘捜査している。

金曜日、午後九時二分。カフェ『菜の花』
――連絡が来ない。パーティーは九時までなのに…
杉浦南美が、公安専用の携帯電話をテーブルに置いたまま、鞄の中にある拳銃に手を伸ばした。その手が震えている。
『いいか、南美。連絡が来ない時は、俺と外川が死んだ時。まあ、それはないか。それか黒崎を取り逃がして、黒崎を追っている時。黒崎が菜の花を知っていることはないと思うが、念のためにその時は準備していなさい。森長さんも近くにいる』
夫の杉浦竜則はそう言って、極左の殺人犯が出没する婚活パーティー会場に向かった。
「棚橋さん」
南美が、棚橋夫妻と純菜を見た。店は臨時休業だった。夫妻は南美の前の席に座っていて、純菜は南美の隣に座っていた。
「念のために、倉庫に逃げていてください」
店の奥にある梯子を見た。
――震えても泣いてもだめ。しっかりしろ、わたし。すぐに森長さんがきてくれる
南美は窓の外を見て、祈るような気持ちで夫と外川の無事を願った。東京のくすんだ夜空に満月が少しだけ見えていた。

金曜日午前。警視庁公安1課、会議室。
「皆さんも知っているように各部署、人員不足で、外事4課から特別に、本日休日の外川数史主任代理の協力を得ることになりました。外川主任代理、お願いします」
杉浦が、ホワイトボードの前に外川を呼んだ。少し会釈した杉浦に、外川が「いいんだ」と小さな声で言った。
「外事4課の外川です。うちの部署も主任が病気で長期離脱。1課はケガ人、2名と京野係長が急性胃腸炎が治ったばかりで、まだ体力がないとのこと。しかも相手が、黒崎忠政とその手下三名。黒崎は銃の使い手で元医師。医療用メスを携帯していて、近くにいる一般人を手軽に人質にできるように神経質に行動している。なのに上から、出没先が分かっていながら逮捕できないとはなんたることか、と京野さんが叱られたことで、本日、黒崎が出席する表参道の婚活パーティー会場に潜入。黒崎とその手下。主催者を同時逮捕する作戦です。すでに京野さん、杉浦と計画を練ってあります。皆さん、メモの用意を」
総勢九名の公安1課の人たちは、あまり気持ち良くないのか仏頂面を露わにしている者もいた。すると、杉浦南美が立ち上がり、
「外事の外川さんは問題児と言われていますが、ああ見えても許嫁がいて、今日、彼が帰ってくるのを待っています。皆さん、プライベートな言葉になりますが、潜入するわたしの主人と外川さんにご協力をお願いします」
と言い、大きく頭を下げた。
「このイケメン顔をああ見えても、と言われても困るが、ああ見えてもこう見えても皆さんと同じで帰る家がある。菜の花がいつも咲いている家です。まさに潜入するのはイケメンバーテンダーに化けられる私と杉浦。外の囲みをよろしくお願いします」
外川がそう言うと、京野公雄係長が、
「俺に正露丸をプレゼントしてくれた男だ。皆、素直に受け入れてほしい。作戦は空調を使い、観葉植物を火災させる心理作戦で、黒崎を生きたまま確保できない時の作戦もある。合図は、突入が成功。つまり、杉浦と外川くんが黒崎を確保した。突入中止は失敗。黒崎に人質を取られた。黒崎を逃がして、我々は辞表を提出。最後に、ゼロイズム」
会議室がざわついた。
「杉浦からの無線でゼロイズムという言葉が入ったら、一般人でもない彼らが邪魔になったという意味だ。その時は…」
京野が言葉をいったん止めた。
「…黒崎は私と杉浦、外事からの外川くんの三人に任せてほしい。杉浦からのゼロイズムの声の時も、君たちは外にいる黒崎の仲間を押さえてくれ。なお、杉浦南美巡査は、人質になる可能性が僅かにある、ある一般人の家に待機させるので、表参道の現場にはいない。それでは作戦の概要と詳細を外川くんと杉浦から聞いてほしい」
京野は椅子に座って、外川数史を見た。
――この作戦が失敗するとしたら、それは二つの珍事があった時だけ
会議が始まる前に、車の中で打ち合わせをしていた外川、杉浦、京野係長の三人は、プリントされた会場の見取り図を片手に緊張した面持ちで話し合いを重ねていた。
「まずは、一般人の誰かが腰を抜かして逃げなかった時。しかもその一般人が黒崎の手の届く場所に座り込んだ時だ」
外川がそう言う。
「まあ、女性も多いからな」
杉浦がため息を吐いた。
「俺たちが黒崎を狙うのは彼が一瞬、一人になった時だ。あいつはトイレに、ゲイの藤原秀一を連れていくほど神経質に動いている。だが、火災が起こった後に、帰宅した人が増えれば、会場に空間が生じる。一瞬でも黒崎から一般人が離れたら、俺と杉浦で狙撃態勢を取る。俺はフロア正面から、杉浦は簡易バーのカウンターの中から、黒崎の場所は観葉植物の前なら最高だ」
「もう一つは?」
京野が訊いた。
「ゲイの藤原秀一の目的が分からない。彼が邪魔をした時です」
「目的は1課、全力で調べたよ」
京野がそう言った。杉浦が目を丸めた。
「君が外川くんを説得している時だ。藤原秀一は、本気で婚活に出ている。彼はゲイだが子供が欲しいようで、ゲイでも結婚してくれる女性を捜して歩いている。意中の女性が彼を嫌った時に、その女性をもらうのが黒崎だ。実際に二人と付き合った女を見つけて話を聞いてきた」
「その女は、黒崎が指名手配犯だとは?」
「もちろん知らない。ずっと医師だと思っていて付き合っていて、半年くらいで捨てられたそうだ」
「なるほど」
外川が駐車場の壁の一点を見て、
「ゲイだと言わずに、女と付き合い、途中でカミングアウト。嫌われたら、黒崎を紹介する。黒崎はその女をやり捨て。その繰り返しだ。恐らく、ゲイの彼がやっているんじゃない」
遠くにいる昔の裏切り者を憎むような顔をしている。
「それにZEROISMが絡んでいるって?」
杉浦が訊く。
「ハイスペック男子を狙う女たちが多い婚活パーティーに行けば、同性愛を差別している女と出会える確率が高くなる。彼女たちは、貧乏な男や学歴のない男には目もくれない。結婚の条件が難しくなるゲイなんか相手にしない。そんな女たちをこの世から抹殺するのが、ZEROISMらしいやり方だ」
「黒崎は彼女たちは殺してないが」
京野が言った。
「いつか黒崎が逮捕されたり、彼女たちが指名手配犯の写真を見て気づいた時に青ざめるでしょう。指名手配犯とセックスをしてやり捨てされたことで、十分、こらしめたってことですよ。いちおう、ZEROISMは女性は優遇するみたいなので殺しはしない」
「ゲイの藤原秀一はそれで満足なのか」
「傷つくんだ。ゲイだから結婚を断られて。その傷をZEROISMが拭ってあげている。きっと、ゲイのあなたの子供を産んでくれる女性が現れるわ、とか言って、婚活パーティーを教えているんだろう」
「ゲイとか関係なく、そんな人間は俺も嫌だがな。付き合う前にゲイをカミングアウトしてほしいもんだ」
杉浦が言った。個人主義の彼は人を肌色やLGBTなどで差別しない。
「そうだ。ゲイは関係ないんだ。人種も男と女も、何もかもその個人の人間性の問題だ。藤原ってゲイがそんなに真面目に婚活してるなら、俺が子供が欲しい女を紹介するよ。普通にやればいいんだ。それをZEROISMたちはしない。世の中がひっくり返るようなやり方で、一気に社会改良を実行する。そして気に入らない人間は駆除したがる。人間の表面だけしか見ない。片方の局面からしか見ない。自分たちの都合の良い視点でしか話さない。両立、平等と言いながら、そんなことはまったく考えていないと思うな」
外川は一呼吸、置いた後、
「藤原は一般人だが、動き次第ではケガも仕方ない。黒崎、逮捕。ケガ人、一名で、上が許すかどうか知らないが、日本警察の美徳を押し付けるのは、拳銃を持っていない凶悪犯の時だけにしてほしいもんだ」
と言った。
「外川くん、君の言うとおりだ。黒崎を君らが射殺した時は、私が責任を取る」
京野がそう言った。外川が、京野の顔を見た。
「本当は私がベテランバーテンダーで潜入する予定だった。私が射殺したら許され、君が射殺したら、頼んでおきながら、上が文句を言うかもしれない。その時は私が辞表を提出する」
「良い上司に恵まれたな」
杉浦に言うと、彼は黙って頷いた。

午後六時。パーティー会場。表参道。
会場の隣の大部屋の空調口から、京野と1課の男が内視鏡を入れていく。先端にはカメラと送水孔が付いている。カメラから送られてくる画像モニターをもう一人の1課の男が見ていて、
「そこです。止めてください」
と言った。モニターには、真下に、婚活会場の観葉植物が見えた。
「係長、ニトログリセリンをこんなに流したら、爆発しますよ」
ニトログリセリン液が入った小瓶を見て、部下が言う。
「それは予備だ。垂らすのは一滴でいい。約0.2㎜g。最初に垂らすのは午後七時四十分。スプリンクラーは?」
「少々の煙でも作動させます」
部下はそう言うと、携帯電話を使い、「田浦、横川だ。発火は午後七時四十分だ。合図するからその瞬間にスプリンクラーをONにしてくれ」と連絡を入れた。ビル管理室にいる公安1課のその彼が頷いた。
モニターにはバーテンダーの制服を着た外川と杉浦が、料理の準備をしている姿が映った。立食パーティーである。
「まもなく開場だ。黒崎の姿は?」
また、部下が別の仲間に連絡をする。今度は無線だった。
「確認しました。タクシーから降りてきた。藤原秀一とべったり。すでに女子たちも道端に大勢いる。確保は難しい」
「わかった。係長、ということです」
「杉浦に伝えろ」
「杉浦、黒崎が到着した。会場入り前の確保は無理だ。任せるぞ」
そう無線で伝えると、パーティー用に設置された簡易カウンターの中にいた杉浦は、
「わかった」
と言い、無線をフロアから死角になるカウンターの中に置いた。そこに彼の拳銃もあった。
「外川、黒崎がきた。受付もバーテンダーがやるのか。笑顔を作れよ」
外川に無線で伝えると、耳の中に嵌めてあるイヤフォンを「コン」と叩くような仕草を見せた外川が笑顔を作り、
「神経質だな。黒崎は」
と言った。
黒崎が藤原秀一と一緒に受付に現れた。体格がよく、だが、スーツを着ていて、殺人犯には見えない。清潔感を主張している。靴も晴天用の革靴だった。
「久米幸弘と藤原秀一だ」
偽名を言うが、それは分かっていて、外川が黙って、出席表にチェックを入れた。
「前回のバーテンダーと違うな」
黒崎の言葉に、それを聞いていた京野たちが緊張した。外川と杉浦が胸の肌に付けている小型マイクから会話を聞いているのだ。
すると、藤原が、
「久米さんは神経質だなあ。前回もその前と違うバーテンダーでしたよ」
と笑った。京野たちが胸を撫でおろした。
「ちょっとおまえ立ち上がって、万歳をしろ」
外川にそう言う、また京野たちに緊張感が走った。杉浦がカウンターの中の銃を握った。
「足は?」
「足ですか」
外川がとぼけた顔をした。黒崎が舐めるように外川の全身を見た。腰にも足の衣服にも拳銃のような物騒なものを隠している『膨らみ』がないのを確認した黒崎は、納得するような顔で何度か頷いた。
その時に、
「あー、この前の方、早くこっちに来て」
と女の声がした。参加者の一人だが、黒崎は見覚えがないのか首を傾げた。だが、満面笑顔の美女の、彼女の方に歩いて行った。
「わたし、前回すぐに帰ったの。でも、あなたのこと覚えている。いつもそちらの方と一緒に歩いていたから、すごく仲のいい親友だと思って」
と笑った。歳は三十歳くらいの美女だった。
杉浦が、
『助かった。あの子は誰だ?』
『森長さんの情報屋の女で、鹿野瑠璃子』
『え?』
『細かく説明してある。森長さんの愛人みたいな女で信頼できる。彼女が、観葉植物の前に常に立っていて、黒崎を近くに呼ぶようにしてある』
『先に言えよ』
『味方も騙さないと、あんな神経質な奴は騙せない。銃の腕よりもあの性格が危険だ。でも、俺、なんにも持ってないから』
外川がそう言うと、『足首に隠してあるんだろ』と杉浦が言う。
『ないよ』
外川がそう答えたから、杉浦が首を傾げた。余裕を見せていたから、杉浦は何も訊かずに通信を止めた。
隣の部屋に待機していた京野が、「さすが、外事の天才。成功したら、おまえも神経質だって皆で嫌味を言おう。そして森長も、本当に彼が大事なんだな」と呟いた。しかし、モニターを見ていた部下が、
「外川さんは拳銃を持ってませんね」
と言った。少し両手を上げた時に、腰に何もなかった。
「どこかに隠してあるんだろうな」
「あの二人、親友のように呼吸があっていますね」
「実際に親友なんじゃないか。新妻があんなにかばっていたし」
京野がそう言った。杉浦から、『いったん、カメラを下げてください。ちょっと目立っている』と連絡が入り、京野たちが、カメラを通気口の中に戻した。
午後七時、婚活パーティーが本格的にスタートした。
女性十二名、男性十五名だった。
会場のビルの周囲にあるビルの屋上に、公安1課の男たちが一人ずついて、自動小銃を構えて、狙撃態勢の男もいたが、一般人が多く、発砲は威嚇までとなっていた。
まもなく午後七時三十九分。

同日同時刻、カフェ『菜の花』。
「今からです」
杉浦南美が、臨時休業にしてある店の中で、棚橋夫妻と純菜に言った。
「数史さんなら大丈夫。南美さんの旦那様も」
純菜が笑顔を見せた。
「うん。彼もわりとクールだから、潜入班に抜擢されたの」
南美はそう言うと、「始まります」と言った。

午後七時四十分。婚活パーティー会場。表参道。
再びカメラを戻した京野たちが、ニトログリセリンを観葉植物の中に垂らした。その瞬間に、外川が運んでいたコップを落としそうになって、女性にぶつかった。女性が声を上げたからその物音で発火の音が消される。黒崎と藤原、そして鹿野瑠璃子と他の女性たちが二人、観葉植物が燃えているのに気づいた。
「煙草は灰皿にちゃんと捨ててください!」
杉浦が叫んだ。観葉植物の横に、灰皿が置かれてあった。僅かに煙が出た。するとスプリンクラーが作動し、大粒の水が噴き出してきた。女性たちが悲鳴を上げた。火災警報は鳴らなくしてある。
「いったん、会場の外に出てください。すぐに火を消してスプリンクラーを止めます」
杉浦がそう叫ぶと女子たちが一斉に扉に向かって走った。フロアにいた外川が女性たちにもみくちゃにされてしまっている。再び、モニターをカメラから見た京野たちが、「外川が見えなくなっているぞ。お酒のコップとか落としてしまっている」と叫んだ。京野が心配そうにモニターに見入った。
「何よ、この水は。早く止めて」
鹿野瑠璃子が外川に食って掛かったその時に、なんと彼女が鞄からさっと何かを取り出した。小型のリボルバーだった。外川がそれを腰の後ろで受け取り、コップを拾うふりをして足に巻いたホルスターにしまい、ズボンの裾で隠した。
「今の見たか」
京野が唸った。
「見ました。カメラ、いったん下げます」
「外川は最初に黒崎にチェックされることを想定していた。俺は胃腸炎になってよかったかもしれん」
京野が目を剥いた。

午後七時五十五分。カフェ『菜の花』

携帯電話が鳴動し、思わず南美が手に取った。
「1課の横川だ。第一作戦は成功した。外川さんはすごいぞ。君の旦那のサポートも完璧だ。通気口からカメラを出しすぎたら、係長が旦那さんに叱られた。引き続き、待機」
「は、はい!」
南美が笑顔を見せたのを見た純菜が、「ほらね。数史さんはすごいんだぞ」と笑った。
南美が、「隣に座って」と純菜を呼んで隣に座った純菜を抱きしめた。
「本当にすごいらしい。わたしの旦那とあなたの暫定旦那様」
と言った。

同時刻、パーティー会場

会場の人の廊下やエレベーターホールに集まっていた参加者たちに、外川が、「火はただのぼやです。水も止めました。再開しましょう。あ、透けている服が気になる女性は帰宅しても構いません。皆さん、とてもお綺麗ですが」と言う。
すると、外川の「綺麗」という言葉に気を良くした女性たちが先に会場に戻っていき、男性参加者も彼女たちを追ってほとんどが会場に戻った。
『黒崎は?』
杉浦が外川に訊いた。
『今から戻る。夏だから濡れたことは気にしていない』
と言った。
『そして俺は銃を手に入れた。後は作戦決行だけだ』
『分かった』
パーティーはいつもよりも盛り上がった。白いシャツやドレスだった女性は、透けて見えているインナーをからかわれて、笑い声が絶えない。お目当ての男たちが、「いやー、色っぽいな。今夜は特別に参加費を倍額払おうかな」と嬉しそうだ。
『本当におまえの言うとおりに盛り上がってるよ』
杉浦がそう言うと、
『俺も参加したい』
と外川が笑った。杉浦が作ったカクテルや水割りを積極的に運ぶ外川は、完全に、バイトのバーテンダーになりきっていて、怪しい気配は何もない。神経質な黒崎が、時々、外川を見るが、背を向けることが多いのを確認したのか、その無防備さに外川を見ることはなくなった。
「わたしのブラも見えてる?」
鹿野瑠璃子が、黒崎に言うと、
「うーん、もう少しかな。紐はいつも見えてるんだろ、悪い女だな」
と笑った。
「わたし、煙草を吸うけどだめかな」
黒崎に言うと、「俺も吸うからいいよ」と頷き、藤原も一緒に観葉植物の近くに寄った。
「喫煙OKだったから、前回も来たんだけど、急にお腹が痛くなって帰ったの」
「そうか。なんか変なものを食べたのか」
「やだなあ。女の子の日よ」
「ああ、すまん。そうか」
「生理、きちゃったら、素敵な男性がいても思い切り勝負できないしね」
「なんの勝負かな。ところで、こっちの男は君の好みではないか」
藤原秀一に目をやる。
「あれ? さっき聞いたけど、お医者さん友達ですよね。参加条件が、年収二千万円以上、医者か弁護士か一流大学卒の五十歳以下の男性」
「俺はその五十歳以下でここにきている。滅多にないんでね。四十九だ」
黒崎が笑った。
「しかも煙草も吸うんですね。そうだな、わたしは、わたしを好きになってくれる人がいいな」
鹿野瑠璃子がそう言うと、別の女子が割り込んできた。
『ち、なかなか、黒崎が一人になることはないな』
杉浦がカクテルを作りながらそう言うと、
『俺がなんとかする。このままだと床が乾いてしまう』
と外川が言った。鹿野瑠璃子に目配せすると、
「お兄さん、カクテルをください」
と彼女が言った。
「あ、三人の分も」
と、杉浦に視線を投げた。
「わかりました。そちらの男性は何を飲まれますか」
黒崎は水割り、藤原はカクテル、もう一人の女性もカクテルだった。
杉浦が、すぐに作れる水割りを先にカウンターの中から外川に渡す準備をした。黒崎から、杉浦の位置は真横ではなく、右斜めになる。
『勝負する。カクテルを鹿野瑠璃子が自分で取りにくる。それを恐らく藤原たちも手伝う。手伝わなかったら、鹿野が呼ぶ。その瞬間に、俺たちが銃を抜く。水割りを渡して、俺が背中を向けて離れたところで、外の手下を確保だ』
『分かった』
『おまえは奴に近い。おまえが先に狙われたらカウンターの下に潜れよ。フロアには出るな』
『……?』
『結露だ』
杉浦が結露がついているコップで水割りを作った。

同時刻 カフェ『菜の花』。
「結露がついているコップを渡しに行った。これから確保だ」
連絡を受けた南美の顔に緊張感が走った。肩を震わせている。
「今から、外川さんが、犯人を撃ちます。邪魔が入ったら銃撃戦になるかも知れません」
と、棚橋たちに言うと、純菜が南美の手を握った。その手は緊張のあまりに冷たくなっていた。
「ぼ、防弾チョッキとかは?」
棚橋拓郎が訊いた。
「ありません。バーテンダーの軽装なので」
南美の説明に、思わず妻の弥生を見る。
「外川さん、頑張って。うちに帰ってきて。来年の春、うちを菜の花畑にするから」
弥生が泣きながら言った。純菜は春に生まれた。菜の花の名前だった。

同時刻、婚活パーティー会場。表参道。

外川が、カウンターの中の杉浦から渡された水割りをお盆に乗せて、持ってきた。
「水割りです。カクテルはちょっと待ってください。あなたがブルームーン、あなたがスティンガーで、あなたがマンハッタンですね」
と言いながら、お盆の上の水割りを取るように、黒崎の前に出した。その時も外川は女の子と藤原を見ている。
「君、これを一口飲んでくれないか。一緒に酔おう」
「え?いいんですか。では一口だけ」
外川が目を丸めながら、水割りを飲んだ。それを見て、黒崎は「考えすぎか」と言い、外川に笑顔を送った。外川が「何か一品持ってきますよ」と言い、料理が置いてある会場の端に歩いて行った。黒崎には背を向けている。杉浦がカクテルを作りながら、そっと、銃を手にした。
「カクテル、遅いなあ。取りに行くね」
鹿野瑠璃子が、黒崎から離れた。それを見た藤原秀一が、「僕も手伝います」と言い、黒崎に「彼女、口説きたい。ちょっと待っててください」と鹿野瑠璃子と一緒に行く。
「久米さん、待ってて。わたしだけ行かないと、やな女になるから」
割り込んでいた一般人の女性もカウンターに向かった。
『今だ』
杉浦が銃を取りながら、外川に言った。料理を小皿に乗せようとして、大きな鳥の唐揚げを落とした外川は、「しまった」という顔をしてそれを拾うために、腰を落とした。次の瞬間、外川は床を反転して転がると、いつの間にか黒崎に対して前を向いていて、足首のホルスターに隠してあった拳銃を抜き、手にしていた。
「黒崎! 警察だ!」
腰に隠していた銃を取ろうとした黒崎は、自分の銃に安全装置を施してあることに気づいて、一瞬、銃口を向けるのを遅らせた。指が滑ったのか、銃口が下に向いたまま、「くそう!」と叫んだ。
女たちが悲鳴を上げて、扉に向かって走った。男たちも逃げた。
「黒崎、こっちもだ! 動くな!」
カウンターの中から杉浦が狙っていた。もはや、黒崎は絶体絶命だった。しかし、銃口を少し斜めに動かしたのを見た外川が、「杉浦、伏せろ!」と叫びながら発砲した。外川の銃弾は黒崎の足首に命中し、バランスを崩したまま撃った黒崎の銃弾は天井に当たった。
「おいおい、どこでそんな技を覚えたんだ」
外川が銃口を向けながら、黒崎に近寄っていく。
黒崎は外川に銃を向けられないと判断した瞬間に、腰の位置から杉浦を撃とうとしたのだ。
「銃を捨てろ」
一歩一歩近づいてく外川の言うとおりにした黒崎は銃を遠くに投げた。一回、立ち上がろうとしたが、撃たれてない足に力を入れると、床が濡れていて滑って転んだ。
「公安にこんな腕のたつ奴がいるとはな。その銃はいつの間に手に入れた?」
「刑務所でゆっくり考えろ」
その時だった。
「この人はだめだ!」
と、藤原が叫んだ。そして黒崎に飛びつくようにして抱き着いた。
完全に、外川から見て盾になってしまっている。藤原がカウンター側から走ったから、杉浦も撃てなかった。黒崎はすぐに医療用メスを取り出し、藤原の首に刃を当てた。
「形勢逆転だな。この下に静脈がある。俺が少しでも指に力を入れたら、救急車を呼んでもこの男は死ぬ。切り方次第では数分だ」
「え?黒崎さん、僕を殺すの?黒崎さんも大好きだったのに」
「俺が死なないためだ。ZEROISMとやらには世話になった。大いに女を愉しませてもらったよ」
「僕は死にたくない。家族が欲しいんだ」
藤原が泣いている。だが、首にはメスが押し付けられていて、彼はそれに気づいていて、黒崎から離れられない。
「ほら、珍事だ。参った。杉浦、作戦終了だ。黒崎を逃がす」
外川が銃を捨てた。杉浦も同じように拳銃を遠くに投げた。そして、「作戦、失敗。突入中止。ゼロイズムです」と杉浦が胸のマイクに呟いた。
「ハードダウン!」
外川が怒鳴るように叫んだ。カウンターの前にいる鹿野瑠璃子たちの前に走りこみ、杉浦がカウンターの中に隠れたその瞬間、観葉植物が爆発した。黒崎の真後ろだった。
黒崎は頭蓋骨から脳が出ていて、腕が吹っ飛んでいた。藤原も意識を失ったのか床に伏せたままだが、逆に黒崎が爆風や爆発物の壁になったため、出血は体中からあったが、死んではいない。
「ご、午後八時二十三分、作戦終了。突入」
杉浦がそう無線で言い、カウンターの中から出ようとした。
「外川、さすがだ。改めて認め…」
そこには、血まみれの外川数史の姿があった。
杉浦は顔面蒼白になった。カウンターを乗り越えて、床に着地する。だが外川の前に棒立ちになったまま動かない。外川が庇った女性たちは無事だった。
「うわー。嫌だ、嫌だ。外川ー!」
杉浦が狂ったように叫んだ。

…続く。

ここから先は

0字

警視庁外事四課と公安一課の刑事が、謎の組織『ZEROISM』と極秘に戦う本格刑事ドラマ。歳の差婚、同性愛、動物愛護、虐め問題…。天才、外川…

普段は自己啓発をやっていますが、小説、写真が死ぬほど好きです。サポートしていただいたら、どんどん撮影でき、書けます。また、イラストなどの絵も好きなので、表紙に使うクリエイターの方も積極的にサポートしていきます。よろしくお願いします。