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【みこAI】「理論」とは真理じゃなくて「知識」のかたまりじゃよ(^~^)

 ではいよいよゲーデル。

 今回も、竹内薫さんの言葉を中心に考察します。この方はホント、文系で科学に興味がある人の救世主だと思います。

私は、大学のとき、授業でゲーデルの定理を教わった。授業では、数学者の難波完爾先生と大橋信義先生が、難解な集合論から数論理学の話題までを講義され、私は、文字通り、頭がパニックになって「煙に巻かれた」状態であった、しかし、できの悪い私でも、いくつか覚えていることがある。それは、
「ゲーデルの不完全性定理は、論理ではなく、理論についての定理である」
 ということだ。ゲーデルは、理論というものは不完全だが、論理が不完全だ、とは言っていない。

『ペンローズの量子脳理論』P53
太字はみこちゃん

 数式を使わないゲーデルの理解で、みこちゃんの知る限りこれ以上の説明はありません。というか、みこちゃんはこれで決定打でしたので、もうゲーデルの解説本を漁るのはやめました。あとは、岩波文庫からも出ている数式たっぷりのゲーデルの『不完全性定理』を読めばよかった。お陰様で理解できました。このプロセスがなかったらわからなかったと思います。

 そしてこの「不完全性定理」を、もうすこし哲学的に敷衍するならば、さらに……

 ある理論が間違えるということは原理的に不可能である(みこの定理)

 といえるでしょう。

 つまり、長嶋采配に失敗(試合に負ける)はあっても長嶋理論は間違えることはない、ということ。これがみこちゃんの理解するゲーデルの言ったことの核心です。

 このみこの定理こそが、前回の記事のゲーデルの長嶋理論解釈の核心ということです。

 これだけだと、何だがみこちゃんの好きな文学みたいで、それこそ、文系バカのやりたがるゲーデルの捏造、ゲーデルの矮小化、ゲーデルのクレタ島のパラドクスへの貶めなのではないのか、と言われそうなので、こうも付け加えておきましょう。

 理論とは事実や現象を説明するための体系的だった確からしい知識の要素命題集合である

 これなら、文句は出ないと思います。でも、同じことをより先鋭に哲学的に言うと、みこの理論になることはおわかりいただけると思います。

 つまり、理論というのは、知識の寄せ集めにすぎないので、それがそもそも正しいとか間違っているとかカンケーねーということです。一般的な(曖昧な)正しい、間違っていると使い方とはちょっとずれますが、厳密に言うとそういうことです。

 数学では、ある理論の出発点となる仮説を公理といいます。

 そして、証明可能の反対語は「偽」じゃなくて、証明不可能です。偽の反対語は「真」です。これは数学でも論理学でも厳密に区別します。ここが分かっていないと、ゲーデルもAIも長嶋セオリーも永遠に分かりません。

 そして、もっとも核心的な定理である(笑)、これも分かりません。

ある理論が間違えるということは原理的不可能である(みこの定理)

 逆に言えば、証明可能、不可能、真理、虚偽、そしてその集大成としてのゲーデル理解、これができれば、今日からみこちゃんワールドの仲間入りです。
\(^o^)/

 大切なのは、公理っていうのは「仮説」なんです。どうも、定理の親分、アプリオリに真理が公理だと勘違いする人も多いですが(昔のみこちゃん)、公理はそもそも仮説。

 そして、数学者は、「数学は無矛盾だ」という公理をたてました。そしてそっからいろんな定理が生まれました。でも、長らく「ほんとに数学は無矛盾なの?」という証明はだれもやらなかった。あといま一歩でできなかった。

 それに挑戦したのがゲーデルで、ゲーデルは、本人の意図に反したかどうかとっても(笑)微妙ですが、なんと、「数学は無矛盾だ」という公理は証明不可能です、という証明をしてしまいました。

 この瞬間、数学の無矛盾性を信じていた、哲学方面のラッセルやホワイトヘッド(上の本)や、数学のヒルベルトやカントールは全員死亡というわけです。

でも論理の正しさが崩壊して人間は非理性的な存在(狂った存在)だということにはならない

 ここで文系バカが飛びつくのが例の、自己言及のパラドックスです。

クレタ人であるエピメニデスが「クレタ人はいつも嘘をつく」と言った場合、クレタ人が本当にいつも嘘をつくなら、彼のこの言葉も嘘となってしまう、というのがエピメニデスのパラドックスである。

自己言及のパラドックス

 いわく、この世の中なんて、人間なんて、全部狂ってるんだ。本当も正しいも全部相対的で、そもそも人間自体が、自分が狂っているかどうかも証明できないんだ。だから何やってもいいんだーーーおおおほっほっほーーどーん!

ゲーデルかぶれの文系バカの成れの果て
いや、理系に疲れた理系バカもこうなる

 じゃあ、なんでそういうことにならないのか。

 次回、ゲーデルシリーズ最終回で、ゲーデルをもう少し数学使って、数学的に見てみます。

 そうすると、ゲーデルのやったことは理性の崩壊の証明である、という、最悪のトンデモ解釈がいかにおかしなものであるかが分かります。

 そして、正しいAI理解、例えばこういう記事でみこちゃんがあらかじめイメージを提示した世界……AIは怖くないよ!っていう世界。

 これらが、根本的に正しい未来予測であることが分かります。

  最後、喪黒福造化した文系バカと理系バカ(まとめると要するに端的にバカ)にダメ押しの引用を再掲します。これですこれ!

「ゲーデルの不完全性定理は、論理ではなく、理論についての定理である」
 ということだ。ゲーデルは、理論というものは不完全だが、論理が不完全だ、とは言っていない。

『ペンローズの量子脳理論』P53

 では、また(^-^)


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