ウォーゲームの勇者と視点と勝利条件
やぁ、同好のみんな! こんにちは!
皆はウォーゲームを遊んだことはあるだろうか。
戦闘をシミュレートするゲームという意味では、ウォーゲームの守備範囲はとても広く、現代では対戦型のミニチュアゲームや、PC/家庭用ゲーム機の世界ではターン性ストラテジーゲーム、リアルタイムストラテジーゲームなどが人気だね。
そんな中で僕はクラシカルなコレクションとして、いくつかのチットを利用したウォーゲームを所有している。ごくごくたまにだが引っ張り出して遊んだり、友人と遊んだりするよ。
ウォーゲームを思って、思い出したこと
別の記事でも話をしたが、このようなウォーゲームはその後、RPGやファンタジー世界を舞台としたストラテジーゲーム、ミニチュアゲームに発展していく(厳密にはチットを使ったウォーゲーム以前に小さなミニチュアを使った戦争演習ゲームは行われていた。一方現代のようなサイズのミニチュアが使われ始めたのは後期になる)。
実際プレイしてみるとこれが面白いことに、なぜRPGが生まれたのか、なぜ大きなテレインとミニチュアを持ち出したいと思ったのか、なぜRPGにコンピューターRPGやゲームブックといったクリエイター主動の作風が生まれたのかがよくわかるんだ。
今回は僕なりの解釈で、あえてクラシックなゲームに戻ったことで気が付いた、子孫たちの魅力を語りたいと思う。みんなの持つそれぞれのゲームへの解釈や考えと見比べながら、改めてフレッシュな気持ちでそれらを楽しむ為の清涼剤として、この記事を読んでくれたら嬉しいな。
勝敗より大事なもの
これは人によると思うし、僕のウォーゲームへの向き合い方が強く影響しているのだが、正直なところウォーゲームを遊んでいて勝敗にこだわったことはあまりない。
そもそも歴史を扱う多くのウォーゲームは、ものによっては素晴らしいバランス調整がされているものの、対戦ゲームであるにもかかわらず基本的には非対称な戦力、配置が提供され、それだけにお互いとれる戦術も限られている。
あっという間にいつもの戦線が構築され、いつものエリアが激戦区となり、いつものようにどちらかの軍勢が負けていくというのが多々見られるものだ。
競い合うことを主眼に置くのであれば、これはあまり面白いとは言えない。実際、ウォーゲームの専門誌を眺めると、その大半は歴史上の激戦に関する解説で、どうすれば相手に勝てるかといった記述は思いのほか少ないのだ。
では何が楽しいかと言えば、味わいであると自信を持って言える。
歴史上のあの人物になりきって幅広い戦線を動かしていく、多くのユニットがゆっくりと戦場に向かって準備を整えていく、思ったようにいかない泥沼をじわりじわりと押し、押されていく。
このような勝敗とは全く異なる、しかし大きな勝敗という目標に向かっているからこそ形成される、味わいがウォーゲームにはあるのだ。
サイコロのきらめきとRPG
ゆっくりと味わっていくウォーゲームという楽しみだが、時折腰を高くしてサイコロを握ってしまう出来事が発生する。
それは、予想外に活躍するユニットや、想定外の重役を急遽担うことになったユニットたちだ。
おおよそ彼らには無理難題が課せられ、36分の1の奇跡を勝ち取ることが要求されるが、彼らのサイコロを振る瞬間、あるいは彼らをぐるりと囲む地形と敵を眺める瞬間、確かに僕らの脳裏には小さな映画が流れ始める。
もし彼らがさらに活躍するようなことがあれば、あるいは彼らを救援に来る味方がいれば、彼らと常に対峙することになる敵がいれば、僕らはそこにドラマを作らざるを得ないだろう。
できればそこでゲームの手を止めて、彼らの冒険をメモしたり、戦闘中にレベルアップをするようなルールを彼らのために作りたいと思うかもしれない。
これがまさにRPGの誕生であると言える。
そう思うと、RPGとは個の活躍に注目する楽しみであるとも言えるし、同時に周りの世界があったこそピリリと味わい深くなったキャラクターに焦点を当てる遊びであるともいえる。
そこには冒険という、誰もが興奮する世界が広がっており、小さな、解像度の高い、具体的な、個人的な体験が詰まっている。
戦線、地形、ユニット
場面を大局的に見た時、あるいは一度データからはなれ、常識的な目線で平面の盤面、その盤面に山の地形が描かれていることを見返した時、僕らは一気に鷹の目で戦場を飛び回ってみることができる。
夫々のユニットから彼らの進行方向を見てみるのも楽しいだろう。ふと右を向くと現れる戦車大隊に安堵を感じる楽しさもあるはずだ。あるいは森と茂みの中からじっとこらえる突撃砲に乗った気分で蒸し暑さと興奮を感じる瞬間があるかもしれない。
この興奮をまさに楽しませてくれるのがミニチュアゲームだと僕は思う。しかもミニチュアは、チットを切り抜く瞬間の何倍もの興奮を、準備の楽しさを僕らに与えてくれる。
ミニチュアゲームの味わいは、準備と場面、思わぬ組み合わせと画角、熱気を感じるような没入感にあるのではないだろうか。
だから僕らはミニチュアで遊ぶとき、ついつい机と同じ目線でぐるぐるとあたりを見回してしまうのではないだろうか。
再現と予想とシナリオ
前述のとおり、多くのウォーゲームでは定石が決まっていたり、おおよそ再現性のある展開が決まっている。そうでなかったとしても、ゴールである目標については、まず間違いなく設定がされている。
これを見た時、果たして退屈だと思うだろうか。
なぜか冷静な、ある意味つまらない頭の時は、これが退屈に見えてくる。新しいものやランダム性が欲しくなるのだ。しかしやり始めると事は大きく変わる。
決まったルール、決まった目標のなかでうごめくダイナミズムに乗ることで、まるでその歴史を眺めているような、しかも再現ではなくまさにその歴史が目の前で進んでいるような幻視を得るのだ。
これは実に不思議な感覚だが、カオスではない、ある程度決まった流れの中だからこそ小さな発見や見方、感動の余裕が出てくるのではないかと感じている。
この楽しみは、コンピューターRPGやゲームブックといった、物語の多くをクリエイターに任せた遊びに通ずると思った。
余計なことを考えるのではなく、ただじっと、しかし主体的に作品を眺めるという気持ちが、これらの作品をより楽しくしてくれると信じている。
忘れがちな楽しさは必要から
今回の記事は、個人的な備忘録として、改めてそれぞれのゲームの楽しさを見返す大きな役割になった。
おおもとに立ち返ることで、必要に立ち返ることで、僕らは意外と忘れがちな『小さな僕らが楽しんだこと』を思い出すことができる。
もしこの記事を読んで、久々にあのホビーを遊びたいな、いつものホビーが少し明るく見えた、そんな感想を持ってもらえたなら何よりもうれしい。
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