【コラム】価値のある行為=没頭することができる行為?
こちらのnoteでは「生きるとは自分にとって価値があると思う行為」であると述べました。しかし、『私にとって「価値がある」行為とは一概に○○だ!』と言える人は中々いないと思います。
それでは自分にとって価値がある行為とはどういう行為なのでしょうか。
私は価値がある行為とは「没頭することができる行為」であることだと考えます。
みんな没頭できてる?
みなさんは最近、「気づいたら時間があっという間に過ぎていた。」という没頭の経験をしていますか?。小学生の頃は友達と放課後遊んでいたら、気づいたら帰る時間になっていた…という経験は日常茶飯事だったのでははないでしょうか。
社会人になると好きに使える時間も減り、なにかに没頭する時間というのも減る気がします。しかし、「自分はこのままでいいのだろうか」とか、「周りは結婚し、次のライフステージに進んでいるのに」とかネガティブなことはたくさん考えてしまいます。
私もそんなもやもやした感情を抱えて日々を生きていましたが、最近1年ぶりくらいに好きな絵の模写をしてみました。
すると、気づいたら3時間ぐらい作業に没頭し、その時の気分はわくわくしていて、終わった後はとてもすっきりとした気分でした。創作系の趣味をもたれている方はこの感覚わかるのではないでしょうか。
また、私は以前に以下のようなnoteも書きました。
これってめちゃくちゃ没頭じゃん!!って振り返って思いました。
もしかして価値のある行為=没頭することができる行為?
引用したこの2人に共通しているのが「没頭」のすすめ。
しかし、若林さんは没頭する行為において「ギャンブルやゲームは良くない。できれば体や心に良いもの。」と定義づけしています。一方吉田さんは、没頭する行為において「意味があろうとなかろうと、関係ない」と定義づけしています。
没頭できる行為に優劣はあるのか
私が没頭できる行為の中に、例えば筋トレとゲームがあります。しかし、若林さんの理論で考えるとゲームは悪で、筋トレは良いものとされている。なんとなく私の中でも、ゲームをするぐらいだったら筋トレをした方がいいという思いもあります。
つまり、「価値のある行為=没頭できる行為」ではあるけれど、没頭できる行為の中には自分の中で優劣があるのではないでしょうか。
まとめ
「価値のある行為=没頭できる行為」なのではないかと論じましたが、まだ価値のある行為はどのように選別され、自分の中で優劣がつけられるのかをうまく言語化できませんでした。
今後はこの「価値とはなにか」に着目して、noteを書けたらいいなと思います。