「整うこと」の意味とアップデートの準備
「整う」
という感覚が、私にとって至福である。
ということを、改めてじんわりと味わっている。
それは、
「単に物が整然と並べてある」
ということ以上に、
置かれてある物が、
「きちんと意図してそこに置かれている」
という、エネルギー的なものに、心地よさを感じるのだ。
数年前、あるお宅に夜にお邪魔して、宿泊させてもらった時のこと。
朝、目覚めた時に、明るくなった部屋を見渡して、私は涙した。
破れた障子の穴は、桜の花の形に切り取ったの和紙で塞がれ、箪笥の上に置かれている子供が作ったであろういくつかの造形物は、それを愛でるように大切に置かれていた。
細やかに、大切に暮らしを紡いでいる、彼女のやさしい波動に共鳴するように、心が震え、何故か涙が溢れて止まらなかった。
今、私は、生きづらいほどの自分の繊細さを、心地よく生きていくためのツールに転換し、それをどう活かして生きていくか、ということを模索している。
色々と、楽しい妄想をして、ニヤニヤしていたりもする。
このエピソードは、そんな中で、ふと思い出した出来事。
そしてそれから、自分の部屋の片付けを始めた。
毎日の暮らしの中で、少しずつ少しずつ溜まってきた、ゴミや埃を払い、これからの自分に必要なものだけを、ここと思う場所に収納する、配置する。
そしてこれは、私のアップデートの準備でもある。
焦らず、ゆっくり、少しずつ。