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スピリチュアルな観点を取り入れて生きる

近年、「手放し」とか「願えば叶う」とか、思考が現実化する「引き寄せ」などのスピリチュアルな言葉を、わりと普通に耳にするようになった。

もっと言えば、「私たちは光で愛の存在だ」という言葉を聞くこともある。

それは、ちょっと怪しく感じたり、ぶっとんだ考え方、と感じたりする人もいるだろう。

そういったいわゆるスピリチュアルな考え方については、メッチャ盲信する人、全く信じない人、メッチャ毛嫌いする人、バカにする人、様々だと思う。

「ふわふわ系のスピ」とか「地に足の着いたスピ」とか、分類する人もいる。

スピリチュアルについて、どう受け止めてどんな態度でいるかということは、人それぞれでいいのだと思う。

その上で、私が考えていることについてお話したいなと思っている。

そもそもスピリチュアルについて考えることの神髄は、

「人間は、どうしてこの地球に生まれ、どうして死んでいくのか?」

「目に見える『肉体』と目に見えない『心・魂』が、どういう関係性を持っているのか?」

「目に見えない心・魂が、肉体を離れたら、どこに行くのか?」

というようなことを知って、

それを現世界で生きている私たちが、幸せに満たされて生きるために活用できるようになることだと思う。

ただし、「魂」は目に見えないものだから、「知る」ことは難しい。

そもそもここに生きている人間は、死んだことがないのだから、肉体から離れた「魂」のことなんて、知る由もない。

だから、死の淵から生還した人たちの「臨死体験」の実話や、生きながらにしてあちらの世界に繋がった人たちの話を聞くことは、それを知るヒントになると思う。

その人たちの話が本当だとして受け止めて、自分の内側にどんな感覚が起きるのか、感じてみることが「知る」ということになるのかもしれない。

そして、それが本当なのかどうか、自分で実験してみて面白がってみたら良いと思う。

例えば、
●自分が「思考=判断」していることに気付いたら、自分の身体の感覚に意識を向けてみたらどうだろう?

●自分が、過去や未来について「不安」を感じたら、それを一度しっかりと受け取って、今度は自分の内側の「安心」の感覚に意識を向けてみよう。

●不機嫌な自分に気が付いたら、好きな歌を歌って(あるいは大好きなスイーツを食べて)自分のご機嫌の感覚思い出してみて、そうしたらなにが起こるんだろう?

ってことを実験して、自分を観察してみる。

私自身、それをやってみて、悪いことが起こったことは一度もない。

何か不本意なことが起こったとしても、また「今ここ」で自分にできる安心の選択をするだけだ。

その「安心」の選択は、私のこころに、ポカポカとした温かい心を生み出す。

私が穏やかでいると、周りの人達もきっと嬉しいし、平和な心が広がっていくと思う。

この本を読み終えて、益々、スピリチュアルは、現世界で肉体を持って生きている私たちが、幸せに満たされて生きることに活用するものだと実感している。

「喜びから人生を生きる」
〜臨死体験が教えてくれたこと〜
アニータ・ムアジャーニ著

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