研究という仕事をしている理由
私は研究という仕事をしています。
研究と聞いて思い浮かべるのは、実験室の中で試験管の中の液体を振っているようなイメージでしょうか?研究と言っても、その分野は多種多様です。なので、ここではその種類を掘り下げないことにしますが、私の専門は『分子生物学』、DNAを扱う分野です。
さて、本テーマである【#この仕事を選んだわけ】ですが、厳密にいうと私が積極的に選んだからではありません。「流れ着いた」という表現がしっくりくる気がします。そんなことあるのかと思う方もいるかもしれませんので、これからそれについて書いていきます。
小学生の頃からそうなのですが、私は大体のことをさほど努力せずにある程度器用にこなすことが出来るという能力(?)がありました。どんなこともだいたい70〜80点は取れるといった具合です。それは運動も勉強もどちらもです。
自分の進路を決めるにあたり、科学が好きだったことと、推薦枠がもらえるということで高等専門学校(高専)に進むことにしました。その最終学年における卒業研究のテーマを選ぶ際に、比較的仲の良かった友人と一緒に生物学系の研究室を選び、その流れで生物学系の大学院修士課程へ進みました。大学院へ進んだのは特に研究がしたいというよりは、特にやりたいと思える仕事がなかったからという極めて単純で不純なものでした。
しかし、修士課程の生活が一年過ぎようかというところで、いよいよ進路を決めなければいけない時期になりました。修士課程の先には、博士課程か就職するかの2択しかありません。
この時点で研究にさほど面白みを感じていなかったので、さらに大学院で研究するという選択肢は考えられませんでした。
しかしそれでもなお、この仕事がしたいというものは自分の中にありませんでした。なので理系大学院生に人気のある職種や、なんとなく目に止まった企業に応募していくという、なんとも意思の無い就職活動をすることになります。
その就職活動のかいあってひとつの内定を得ます。それは今まで学んできた分野とは全く異なるIT系企業。それも小さい企業ということもあり、入社の意思を保留していました。
ほんとにこの選択でいいのだろうか?
そんなときに、所属する大学の研究室の教授経由で、大学近くのバイオベンチャーで研究経験のある人材を募集しているという話が転がってきました。悩んだ結果、大学院まで来た時間を無駄にするのもと思い、その紹介を受けることにしたのです。
就職の悩みが消え、なんとか自分の卒業研究に形をつけ、卒業をあと1ヶ月に控えたある日、会社から急な連絡がありました。
人事担当のひと「突然な話で申し訳ないんですが、入社後すぐに横浜の理化学研究所に出向してもらうことになりました。」
『えっ?あっ、はい。わかりました』
理化学研究所といえば、ニュースでも時々耳にする国立の自然科学研究機関です。自分で言うのもなんですが、私は研究室でいちばん研究に対して不真面目な学生だったと思います。先輩から嫌味を言われることもしばしばありました。
そんな私が理化学研究所で研究の業務に就くことになったのです。人生、どうなるかわからないものですね。
「お前が理研かよ」「やっていけるのか?」などと心配もされましたが、いざ仕事を始めてみると、それなりにこなしていました。もちろんミスや失敗も経験しましたが、2年もするといつの間にか所属した研究チームの主力になっていました。
新しい遺伝子検査の研究で学術論文の執筆もするなど、それなりに成果を出しつつも、日本で研究職を続けることが将来的に経済面の不安になると考えて、出向が命じられてから7年後に臨床試験に関わる業種に転職したのでした。
これで完全に研究から離れたと思いきや、3年後に大きな転機が訪れるのです。
妻が仕事で渡米することになり、一緒に行くことになりました。英語がそれほど話せない自分にとっては、生活するだけで色々と大変でした。
が、それ以上にアメリカで仕事を見つけることはもっと大変でしたが、それまでの研究の経験から、アメリカのとある大学で研究技術者として職を得られることになり、今に至るのです。
もともと科学は好きでしたが、研究がしたいと思ったことはありませんでしたし、それを目指して努力もした覚えがありません。にもかかわらず、私は研究の仕事を現在もしているのです。
振り返ってみると、子供の頃から好きだと感じた自然(虫や植物)は、義務教育の過程で科学というものになり、それに沿ってなんとなくした選択が、結果として今の仕事になり、外国で仕事を得る手段にもなっていたということです。
これが「選んだ」ではなく、『流れ着いた』という表現を選んだ理由なのです。長々とここまで読んでいただいてありがとうございます。