今の世界って
こうやって書き始めるのもだいぶ久方ぶりになってしまいました。
さて、これを読む人がどの程度いるのかはさておき、ここ最近色々と感情的に揺さぶられたり考えさせられたりすることがあるなぁと思い、久々にnoteのアプリを開いて今に至ります。
激戦州でみるトランプ氏の勝利
私は米国ミシガン州でとある大学の研究所で働く日本人です。就労ビザで滞在している移民のひとりです。米国滞在歴は、かれこれ10年目が見えてきました。今回で米国で大統領選挙を経験するのは3回目になり、また、トランプ氏の勝利を目にするのは2回目。
投開票日までは、数少ない職場関係の知人らからトランプ当選に対する不安についてよく耳にしました。投開票日の夜、トランプ優勢が明らかになり、暗い気持ちになって就寝することに。
前回トランプ氏が勝利した2016年、私はカリフォルニア大学で働いていました。投開票日の翌日、出勤すると職場は重い空気でした。すすり泣く声もいくつか聞こえました。
またあの雰囲気を味わうのかと思って出勤すると、そこはいつもと全く同じ雰囲気の職場でした。誰も選挙のことを話題にしていないようでした。
リベラルな州であるカリフォルニアと比べて、あまりにも違う空気感に少し戸惑いを覚えました。
兵庫県知事選挙
各種ニュースで取り上げられた斉藤知事の問題。自殺者も出した問題で百条委員会が開かれ、少なくとも私自身は知事本人および副知事が誠意をもって事実関係を証言しているとは感じられませんでした。その結論も出ないままに行われた選挙。当初の予想を大きく覆し、斎藤元知事が再選を果たしました。
そこで見たのはアメリカ大統領選挙と同じようなデマやフェイク情報の拡散、そしてそれらの確かかどうかもわからない情報を声高らかに「事実だ」と叫ぶ人々。
終わった後に知ったのですが、某N党代表の虚言とも言える発言をテレビが流したり、明らかな切り取りと思われる百条委員会の動画の拡散など、いやはやこれが今の時代の流れなのかと背筋が寒く感じました。
大きい声で言った嘘は嘘でなくなる時代
これは今に始まったことではないとは思いますし、それこそナチスが使った戦略でもあるわけですが、インターネットが世論を完全に動かす時代において、時代の流れに沿った声の大きささえあれば、そこにどんな嘘や不正の実態があったとしても、世論は動いてしまうのだなと考えるようになりました。
もうすこし嫌な言い方をすると、多くの人が聞きたいであろう事をうまく利用して、あたかもすべてが正しいように装うことで、人々はその後を着いてくるようになってしまうということです。
第三者視点で見る社会
アメリカにおいて移民である私、日本には住んでいない日本人である私(そもそも兵庫県民でもない)。そんな選挙で投票する権利が無い状態で見たこれらの出来事は、今後また思いもしないような歴史的な事件が本当に起こるかもしれないという、よくわからない不安な期待を私に抱かせました。
また、どんなことが起こっても自身と家族(妻とペットの犬しかいませんが)が何かの不幸の巻き添えにならないような位置に身を置くことをしっかりと考えることしか出来ないだと思わせました。
アメリカの格差はすごいです。現在のインフレもすごいです。中流から零れ落ちてしまった人の生活は本当に苦しそうです。通勤中、交差点でお金をもらうために立ちんぼをしている人をちょくちょく見かけます。日本でもいずれそんな光景を目にする日が来るかもしれません。NYなどの都会ではホームレスの増加もすごいです。温暖化によると思われる異常気象(ハリケーンや洪水、山火事など)の被害に合ってしまった人達も大変そうです。被害は年々増えていくでしょう。
でも
私は今のところ差し迫った問題もなく幸せです。晩御飯に何を食べるか悩む余裕があります。常識的な範囲内で必要なものは何でも買えます。毎日、暖かいベッドでゆっくり寝ることができます。
ああ、世界ってこういうふうに出来ているんだな。最終的にそう思ったところで、そろそろこの記事を書くのを終えることにします。
明日も私の世界が平和でありますように。