人生を振り返る時期!?
最近やたらと昔のことを思い出してしまう。一人の時間、何もしていない空虚な時間に、自然と頭の中に思い浮かぶ。昔と言っても、小学生の頃、実家で過ごした時の思い出である。その頃の記憶が鮮明に、ずっと忘れていたようなことまで思い起こされてきたのだ。正直に言って、子どもの頃の日々は私にとってしんどいことの連続だった。でもその当時はそれがしんどいとも思わなかった。今思えばありえないことばかりであり、今考えると正しくないことだと、〈今の自分〉がそう判断して記憶を処理しているということなのかもしれない。子どもの頃の自分にとってはその世界しか経験していないから、それが異常なこと、あるべき状態ではないという思考回路がまずもって存在しなかった。すべては当たり前の世界で構成されていたからだ。
「最近、昔あった嫌なことばかり思い出してしまうんです。」と、行きつけの整体師さんに相談した。この整体師さんとは数年来の付き合いになるが、もうすっかり最も信頼する人の一人になっている。その日も整体を受けながら、今がチャンスといわんばかりに、日頃のあれこれを話したりしていた。
「それはね、今必要だから思い出しているんですよ。」整体師さんがほとんど間を置かず、しかしなんとも的確な一言をプレゼントしてくれた。なんといっていいか…それはあまりにも腑に落ちる一言だった。そしてそれを、ちゃんと思い出して、自分の中で留めてしまわずに、誰か信頼できる人にただ話を聞いてもらったり、SNSでも良いからアウトプットしてしまうことが大事だということだった。というわけで、この場をお借りして、自分の人生をちょっくら振り返ってみようと思う。
小学生の時、私は人前で笑うのが苦手だった。同級生の男の子から、「笑顔が不細工だ」と言われたのがきっかけだったように思う。笑わないし大人しくて感情を表に出せない子供だったから、いじめも相当経験した。どちらが先なのかは今となってはよく分からないのだが、実家でも、感情を出せなくなったり、表情を変えることが出来なくなっていた。でもそこには、父親の厳しく歪んだ教育方法が根底にあった。
父親は、こうあるべき、こうでなければならない、という価値観がおそらく人よりも狭くて、非常に限定的な価値観で物事を判断する人だった。そしてそれを私たち子どもにも常日頃から押し付けていた。子ども自身がどう思っているかということは一切尊重してくれず、父親である自分の価値観がすべてに於いて正しいと思っているような人だった。少しでも自分の思惑と違う風に事が運ぶと、私や家族はいつも人格否定を受けてきた。母親が私たち子どもをかばってくれることも殆どなく、父親の言葉を受け入れてしまい、何かを言い返してくれることはほぼなかった。だから、こんなに強く否定をされるのはそれだけ私が駄目ってことなんだなぁと子ども心に思い、家の中ではいつも落ち込んでいた。夜中寝ている時に人格否定を受けることも多く、目が覚めてしまい、枕を涙で濡らすこともしょっちゅうだった。
どうしたら怒られないだろう?とも勿論考えたのだけれど、もう私が何をやっても着火剤になるらしく、父親より先に風呂に入ったから、とか、父親の嫌いなタレントが出演するテレビ番組を観たから、などと予測もできないところで急に怒られるから、常に父親の前ではびくびくと怯えて過ごすようになったものだ。
そんな父親から言われた言葉で最も強烈だった一言がある。
「お前なんか生まれなければよかったのに」
もう一言。
「お前は絶対に幸せになれない」
日常的に、否定的な言葉を浴びてきた中でも、この2つだけはハッキリと、言われた時の声の感じも覚えているくらいの衝撃だった。
生まれなければ良かった、というのは、もうね、その人自身の存在すべてを否定してしまう言葉なんだ。それを、血の繋がった実の親から言われることの衝撃を想像してみてほしい。その言葉を放った我が親に想像してもらいたいものだけど。
そして、お前は絶対幸せになれない、と来た。絶対って何?あなたは神様か何かですか?って今の私なら言い返したくもなるんだけど、当時の私はただ真っ直ぐに受け止めて苦しんでいたなぁ。そして枕を濡らす夜を過ごしていたのであった…
続く。。。