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どうも本から離れぎみの私に良かった「『名著』の読み方」

本を読むのは好きなのだけど、どうも手に取るのがハードルが高くなっていました。

以前のように通勤時間のような余白の時間がなくなり、細切れの時間はより受動的なSNSを見ることが多くなったからでしょう。

読みたい気持ちはあるけれど腰が重くなっていた私に、この本『「名著」の読み方』はうってつけでした。



特に気に入ったのは以下の内容。

・「1日5分」から始める
・本に名前をつけて、話しかける
・「著者と共著を作るんだ」というつもりで本を汚す
・本に委ねる
・「異物」を「気づき」孵化させる

特に最後の『「異物」を「気づき」孵化させる』というのは、消化しきれなかった本の内容を時間をかけて温め続けることで時間をかけて理解し、新たな気づきへ「孵化」させるということです。

作者の秋満吉彦さんは「歎異抄」を読んだ経験をもとにお話されていました。

「今生に、いかにいとほし不便と思ふとも、存知のごとくたすけたければ、この慈悲始終なし。」

「この世においては、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままにたすけることなどできないのだから、あなたの慈悲は完全なものでないですよ」と言っているフレーズです。
秋満さんは「何を当たり前のことをいってるんだ」と思いつつも自分の中に「異物」として残り続けたといいます。

そしてその本当の意味がわかったのは、25年ほど経って東日本大震災が起きた時のこと。
いくら取材をしても、家族を失った人たちの悲しみや生活の大変さを伝えることはとてもできない。そう思っていたときに歎異抄の一節が頭に浮かんだそうです。これは「驕るな」と言われているのではないか。私たちの力なんて不完全でちっぽけなんだから、誰かを本当に救うことなんてできはしない。「救える」と思うとしたら単なる驕りだというのが「歎異抄」の教えだったのではないかと感じたそうです。

今すぐに理解できなくても、答えを導かなくてもいい。いつの日か孵化させることができるかもしれない。という考えに、肩の力を抜くことができました。

秋満さんのあとがきにこう書いてありました。
「僕の願いはとてもシンプル。ここまでよんでくださった皆さんが、読書好きになってくれること。そして一冊でも多くの素敵な名著に出会い、豊かな人生を送ってくれること。どこかでお会いしたら、ぜひ感想を聞かせてください。」

「この本のおかげで、毎日本と出会うことができるようになりました」そうお伝えできる日を楽しみにしています。

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