現代詩の解放感覚
前回、「現代詩の価値を伝えるのは、 恩恵を受けた者の役目かも」と述べたので、がんばってみます。 詩を読み始めた頃、この作品に出会いました。
青草の上に
青草の上に腰をおろしましょう
私たちは抱き合わない
そんな力の要ることはしません
青草の上に並んで腰をおろして
私たちは手を握り合わない
そんな力の要ることはしません
五月の青草の上に
全身の力を抜いて
腰をおろしましょう
青草の葉脈を還流する水分を冷く感じながら
私たちは喋らない
私たちは互いに言葉を
かなり遠くへ飛ばすように
言葉だけに力を込めているのです
私たちの言葉が
互いに求め合って
力の限りきつく抱き合い
激しく性殖すればよいと
青草の上に
全身の力を抜いて
思っているだけです
(鈴木志郎康詩集『柔らかい闇の夢』より)
若かった僕は、この作品の「私たち」 は恋人同士と思い込んで読み始めました。恋人同士なのに「 抱き合わない。そんな力の要ることはしません」「 私たちは喋らない」。こんな関係あるのだろうか。 でもなんだか青草が心地よい。
恋人だから抱き合うとは限らないし、そもそも恋人とも限らない。 意味はないけど、解放感がある。 この詩の言葉を日々自分のなかに持っていることで、 いつでも解放感覚に至れる。 極端な例えですが、もし監獄や強制収容所に入れられても、この詩の言葉を持っているだけで自由になれる瞬間があると感じられるのです。
詩の言葉について書いてみて、「解放感覚」 という言葉が出て来たのが意外ですが、これも言葉の機能。 僕はこの解放感覚を忘れないように、 詩の言葉を持ち運んでいるのかもしれません。
鈴木志郎康という詩人はプアプア詩で有名ですが、 僕はプアプアより後の作品を好んで読みました。 今でも思い出すフレーズやシーンはいくつもあり、 先日も入浴中、フラッシュバックのように思い出しました。
「音と模様」を共有している私たち|yukkiestar @yukkiestar #note
脳にとって言葉は、音(話し言葉)と模様(文字)です。 これをどう持つか、自分の中に入れていくかは、 世界の見え方に影響します。だとしたら、生きることが豊かになる持ち方ができるといいですね。
田植えが終わったあと。
(http://kizunamail.hatenablog.com/entry/2021/05/12/132926 より転載)
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