東洋思想に神はいるのか 陰陽五行論#6
こんにちは、ゆっきーです。
私はアニメが好きでいろんな作品を見ているのですが、『千と千尋の神隠し』とか『夏目友人帳』とか、神様や妖怪が出てくる作品は特に魅力を感じたりします。あなたはアニメってみますか?
そういったアニメ作品でもたびたび神様が題材になったりしていますが、今回は東洋思想の観点から「神」についてみていこうと思います。
ちなみに、「神様」って言われて、あなたはどんなイメージを持ちますか?
天国にいて私たちを見守ってくれる存在?
お寺や神社で願い事を叶えてくれる存在?
それとも、絶対的な力を持って私たちを裁く存在?
先に答えを言ってしまいますが、東洋思想においては、そういうイメージとはまったく異なるんです。
目の前に広がる自然の中にある法則、それこそが東洋思想でいう「神」です。山があって、川が流れて、木々が育っていく。四季が巡って、昼と夜が繰り返される。そういう自然の中にある変わらない理(ことわり)、それが「神」と表現されています。
自然の理(ことわり)としての神
それではより具体的にみていきます。実は東洋思想の「神」って、人の願い事を叶えたり、良いことと悪いことを裁いたりする存在ではありません。
では実際どういうものなのか。
例えば、種を蒔いて水をやり続けると、芽が出て育っていきます。当たり前のことのように感じるかもしれません。でも、よく考えてみると不思議なことです。誰かが「ここで芽を出しなさい」って命令しているわけではないのに、確かに芽は出て、育っていく。
こういった、目には見えないけれど確かに存在する自然の法則。
これこそが東洋思想でいう「神」の本質です。
昔の方々はこの考え方をとても大切にしてきました。
例えば、山に入る時は山の神様に挨拶をする。川で魚を取る時は、川の神様に感謝する。これって、山や川に宿る目に見えない存在に、ただお願いをしているわけではありません。
むしろ、自然の中にある法則や理(ことわり)を理解して、それを尊重しながら生きていこうという考え方をしていきました。必要以上のものは取らない。自然の循環を壊さない。そういう、今で言う「サステナブル」な生き方の知恵というわけですね。
東洋思想における「理」の多様な表現
この「理(ことわり)」という考え方、実は東洋の様々な思想の中で、少しずつ形を変えて表現されています。一緒に見ていきましょう。
例えば、道教では「道(タオ)」という言葉で表現します。この「道」というのは、目には見えないけれど、世界のすべてのものの中を流れている力のことです。川の流れのように、人工的なものではなく、自然にそうなっている、という感じですね。
儒教では「天」という言葉を使います。でも、これは空の上にいる誰かということではありません。自然界の秩序そのもの、宇宙の法則そのものを指しています。例えば、親が子を思う気持ちとか、人と人との信頼関係とか。そういう、人間の中にも自然に存在する道理のようなものですね。
神道の八百万(やおよろず)の神々も、実はこの考え方に近いです。山の神様、川の神様、木の神様...。これって、それぞれの場所や物事に宿る自然の理(ことわり)を表現した言い方なんですね。
これらの思想に共通しているのは、「人間も自然の一部である」という考え方です。だから、人間が無理に何かを変えようとするのではなく、自然の理に従って生きていく方が大切だと教えてくれています。
例えば、どんなに頑張り屋さんでも、休みなしで働き続けることはできません。それって、人間も自然の一部だから、自然のリズムに従う必要があるということ。無理は続かない。でも、自然の理に従えば、きっと長続きする。そんな風に考えると、目の前の人生も豊かになると思いませんか?
陰陽五行論から見る自然の理
ここまで見てきた「自然の理(ことわり)」という考え方、陰陽五行論の中にもはっきりと表れています。
例えば陰陽って、一見すると「相反するもの」と思いがちですが、実は、そうではないんです。
例えば、昼(陽)と夜(陰)。これって「対立」しているわけではありません。むしろ、自然に移り変わっていく一つの流れの中にあるんです。昼があるから夜が存在するし、夜があるから昼がある。どちらが欠けても成り立たない。
自然界には、こういう調和の法則が必ずあります。強すぎるものは必ず弱まっていく。弱まりすぎたものは、また必ず強まっていく。極端に偏ることなく、自然とバランスを取ろうとする。とても不思議ですが、でも確かな自然の営みだと感じています。
五行の考え方も同じです。木、火、土、金、水という五つの性質。これらは順番に影響し合って、永遠に循環していきます。
木は火を生み出し、 火は土を生み出し、 土は金を生み出し、 金は水を生み出し、 水は木を育てる...。
これはまさに自然界の循環そのもの。例えば、春に芽吹いた木々が、夏の太陽を受けて成長し、実りの秋を迎え、冬の水分を蓄えて、また春を待つ。そんな自然の営みそのものを表していますね。
ここでも大切なのは、これが人間の力で作り出したものではないということ。もともと自然の中にある法則なんです。だから、この法則に逆らおうとすると、必ずどこかで無理が生じてしまう。
現代を生きる私たちも、この法則から逃れることはできません。人間も自然の一部。むしろ、この法則をよく理解して、それに沿って生きていくことで、より豊かな人生が送れるんじゃないかな、なんて思ったりします。
自然の理(ことわり)と共に生きる
さて、ここまで東洋思想における「神」とは自然の理(ことわり)である、という視点からお話ししてきました。
実は、この考え方は今の私たちの生活にもとても深く関わっていきます。
たとえば、なんとなく生きづらいと感じる人は多いんじゃないかと思います。予定に追われ、締め切りに追われ、ずっと走り続けているような感覚。でも、これって本当に自然なことでしょうか?
自然界には、必ず活動と休息のリズムがあります。動物たちだって、ずっと走り続けることはありません。木々だって、冬には休息の時期があります。
私たち人間も、本来はそういうリズムを持っているはずなんです。体調を崩したり、心が疲れ果てたり、人間関係が薄くなってしまったり...。こういったことって、もしかしたら自然の理(ことわり)に反した生き方をしているからかもしれません。
東洋思想が教えてくれる「神」の考え方は、そんな現代人の生き方を見直すヒントですね。
神様に願い事をするのではなく、自然の中にある法則を理解して、それと調和しながら生きていく。そんな東洋思想は、むしろ今の時代だからこそ、必要になります。
これからの毎日を、少し違う視点で見つめ直してみる。そんなきっかけになれば嬉しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?