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何故 おかしを作っているの?



何故 おかしを作っているの?



ルチルク店主とおかしのであいは

20代後半

それまでおかしを作ったこともない、
興味もありませんでした

タップダンサーになりたくて上京
しかしプロになる程の情熱は持つことが出来ず、専門学卒業後は
「食べる事に困らない」
飲食店のバイトを転々と。。
BARで働いたり(イラストレーターを目指しつつ)、
イタリアンのホール、和食のキッチンなど、、、

和食のキッチンにいた時、
その店のデザートを作ることを任されることになり

「ビスキュイ」

というフランス菓子を作るのに苦戦します
メレンゲの立て方、生地の混ぜ方、何の知識もない わたしは、何度も失敗を繰り返します

ある時やっと成功した時にシェフに

「合格!!」

と言われ

そこからわたしのおかしの扉は開かれたのです


『フランス菓子めちゃくちゃ楽しい!!!』


となったのです

シェフはわたしの変化に氣付いて、
レシピはフランス語で渡してきて、何も作りをを教えてくれないし、フランス語の辞書を買い 毎日必死に調べました

その後、その和食店は人手不足で デザートを作ってる場合ではなくなり、
毎日毎日大根の面取りに追われ わたしは逃げる様に辞めることになるのですが。。



未経験、20代半のわたしがパティスリー社員で飛び込んだところは

月の休み4日
1日の休憩30分
毎日終電帰り
おかしの仕事は 若いバイトで奪い合い、

わたしはお菓子の袋詰め
野外イベントでのかき水.たこ焼き作り
「このままでは、何もやらせてもらえないまま歳くってしまうっ!!」
と半年で抜け出し、イタリアンに飛び込みます


ピザを焼いたりしながらも
「お菓子つくります!つくりたいです!」
アピールを続け、
そのお店のシェフパティシエとしてイタリアンドルチェ.ウエディングケーキなどをつくることが出来るようになりました

その店舗にいる時、
モンブランを食べたお客様から
「今まで食べたモンブランで1番美味しい!」と言われ泣き崩れたわたしを見たシェフに
「もっと自分に自信持っていいよ!」と言われたことはずっと心に残っています

(今現在提供しているモンブランの元となっているモンブランです)


例に漏れず、こちらも
2週間休みなし
終電ですら帰れない
賄い立ち食い
など多々あるお店で

胃腸炎で真っ青な顔して働いているわたしを見て、派遣で来ていたキッチンの方が「まともなところあるよ」と招介してしれたのが
ホテルのフレンチレストランでした

『月9日も休みが!?ゆ、有給??そんなところがあるのか、、、』

わたしは衝撃でした笑
どれだけブラック慣れしてたんでしょ笑
そのホテルで中込さんと出逢うのです
(中込さんとのお話は10月31日のInstagramの投稿で)


絵を描くのが好きでイラストレーターになりたいと思っていたこともあったわたしは ここで
お皿
というキャンバスで又、絵を描くことがことが出来たのです

わたしにとって、
デザート=アート
なので、惹かれ続けているのでしょう




人にとって大切な

衣・食・住

デザートは『食』ですが食事とは違い
『なくても生きていけるもの』
『無くてもいいという人がいるもの』
だと思っていて、
だからこそ



『どの様にして「無くてはならない存在」
なれるか』

『「嗜好品」ではなく「心も體も嬉しくやさしいもの」であれるか』



ルチルクはそう有り続けることを根っこにしています


日本の豊かな四季、旬を 堪能出来るデザート

『この植物たちが最も喜ぶには、どうしようかな♪』

わたしの妄想はわくわくばかり


わたしが、わたしの手で生みだして
心からの喜びを人から伝えられたもの
それが『おかし』だったのです


Rutileq

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